比賣許曽神社【ひめこそ】(大阪市東成区小橋【おばせ】)

東側の鳥居

突き当り右手に境内がある




境内入り口の鳥居、奥に拝殿 標柱

境内入り口

標柱には「式内 比賣許曽神社」の文字



拝殿

拝殿




本殿

本殿

神社略記
當社は其の創建極めて古く人皇第十一代垂仁天皇の御代愛來目山【あくめやま】(大阪市天王寺区小橋東之町一帯の丘陵地)に下照比賣命を祀り以て起源を為すと傳【つた】ふ。その後第廿【にじゅう】三代顕宗天皇の御宇社殿の御造営あり、又第丗【さんじゅう】三代推古天皇十五年春正月十二日正遷宮の際天皇行幸あらせ給ふ。第五十六代清和天皇貞観元年に神階従四位上に進め給ひき。即ち延喜式内明神大社にして實に荘厳なる社殿なりしも数度の兵乱により改築毎に小社となり遂に天正年間織田氏の石山本願寺攻めの兵火に遭い辛くも難を避けて摂社なる牛頭天王社に移りぬ。現今の社地是なり。昭和三年御大典を記念して社殿社務所を改築す。昭和十二年一月十二日氏子有志より神輿の奉納ありその年より古儀を復興し夏祭に神輿渡御を行う。その巡行誠に盛大なり

御祭神
本殿 下照比賣命【したてるひめのみこと】
相殿 速素戔嗚命【はやすさのをのみこと】
   味鋤高彦根命【あぢすきたかひこねのみこと】
   大小橋命【おほをばせのみこと】
   大鷦鷯命【おほささぎのみこと】
   橘豊日命【たちばなとよひのみこと】

平成十二年八月
比賣許曽神社社務所


 『古事記』の応神天皇の段に以下の説話がある。
昔、新羅の国王に子があった。子の名は天之日矛【あめのひほこ】といった。この人は渡来した。渡来した理由は以下の通りである。新羅の国に沼があった。名は阿具奴摩【あぐぬま】といった。この沼の辺に賤しき女が昼寝をしていた。そこへ、日の輝き虹のごとく、その陰上【ほと】を射【さ】した。また賤しき夫【おとこ】がそれを見て不思議と思い、常に女を監視した。するとその女が妊娠して赤玉を産んだ。監視していた賤しい夫【おとこ】は赤玉を所望して、いつも包んで腰につけていた。(その夫【おとこ】と天之日矛が偶然出会い、赤玉は天之日矛のものになるのだが、内容は省略)天之日矛は赤玉を持ち帰り床の辺に置いたら、美麗【うるわ】しい嬢子【おとめ】となった。よって婚【まぐわい】して正妻とした。彼女は、色々な美味しい料理を用意して夫に食べさせた。ところが、天之日矛は心が高慢になり妻をののしったので、彼女は、「だいたい、私はお前の妻となるべき女ではない。わが祖【おや】の国に行く。」と言って、さっそく小舟に乗って逃げ渡り来て、難波に留まった。これが難波の比売曾【ひめごそ】の社に坐【いま】す阿加流比売【あかるひめ】の神という。(天之日矛は、彼女の後を追って渡り来るのだが以下省略。)
 『日本書紀』垂仁天皇の段に、古事記の天之日矛の説話と似た話出てくる。
大加羅国(朝鮮半島南部)の王子都怒我阿羅斯等【つぬがあらしと】が、いなくなった牛を探していると、村の老人から牛は殺されて食べられたと聞かされた。牛を食べた者は「持ち主が現れたら物で償おう。」と言っているという。老人は、「牛の代価に何を望むか?」と聞かれたら「村にお祀りしてある神が欲しい。」と言いいなさいとアドバイスした。しばらくして村の役人が来て「牛の代価は何を望むか。」と問うた。老人のアドバイスに従うと、白い石をわたされた。それを持ち帰りねやの中に置くと、石はきれいな娘になった。阿羅斯等は大変喜んで交合しようとした。ちょっとした隙に娘は失せて、日本国に行った。難波に至り、比売曽社【ひめごそのやしろ】の神となった。また豊国【とよくに】の国前郡に行って比売曽社【ひめごそのやしろ】の神の神となった。そして二か所に祀られている。

国東半島の北にある姫島には比売曽社がある。神社の掲示には「ひめこそしゃ」とかながふられている。祭神は比売曽神【ひめこそのかみ】としている。
大阪市平野区に赤留比賣命神社がる。祭神は赤留比賣命。
大阪市中央区にある高津宮神社の摂社に比賣曽神社【ひめこそ】がある。祭神は下照姫命。高津宮神社は、大阪城築城の際に比賣曽神社の社地に遷座したそうだ。

『古事記』に書かれている阿加流比売神【あかるひめのかみ】が下照姫命に変わった理由は諸説ある。同神説、住吉大神の御子神の姉妹説、阿加流比売命は渡来神・下照比売命は国魂(玉)で別の神説等がある。アカルもシタテルも太陽光輝の形容で、日妻【ひるめ】的要素の共通性がある。




白玉稲荷大神

鳥居の額には「白玉稲荷大神」の文字
本殿に向かって右手に鎮座




大国主大神

提灯には「大国主大神」の文字




胞衣塚全景

胞衣塚
胞衣塚にある祠

祠の額には「大小橋命」の文字

掲示
胞衣塚(えなづか)
 式内社比賣許曽【ひめこそ】神社とゆかりの深い大小橋命【おおおばせのみこと】の胞衣【えな】を納めたところと伝えられる。
 後世この塚に植えられた柳が、子供の夜泣き封じに効能があると伝承され、俗に”よな塚”と呼ばれて人々から親しまれた。
   東成区役所

この塚のすぐ左手(西)に比賣許曽神社の表参道がある。



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写真:2015.10撮影
home   作成:2023.05.06