豊國神社【ほうこく】(大阪市中央区大阪城)

大阪城二の丸南側に鎮座する。京都市東山区茶屋町に鎮座する豊国神社が訓読み(とよくに)で、豊臣秀吉のみを主祭神とするのに対して、当社は音読み(ほうこく)で、豊臣秀頼、豊臣秀長も配祀する。(Wikipediaより)

豊國神社裏鳥居

裏鳥居




豊國神社表鳥居

表鳥居
奥中央に豊臣秀吉公の銅像が見える




豊國神社の秀吉像

豊臣秀吉公銅像
高さ:5.2m(像:3.2m、台座:2m)




奥に豊國神社拝殿

鳥居の奥に拝殿




豊國神社手水舎

手水舎




豊國神社拝殿

拝殿




豊國神社狛犬吽形 豊國神社狛犬阿形

拝殿前の狛犬




豊國神社本殿

本殿

豊國神社の由来【ゆらい】
 当社は「豊臣秀吉公」「豊臣秀頼公」「豊臣秀長卿」を御祭神とする神社です。明治元年、明治天皇が大阪へ行幸された際、国家の為に多大なる功労を残した大勲労を残した豊臣秀吉公を大阪の清らかな地に奉祀するよう仰せになったことから、明治六年に京都の阿弥院峯墓前を本社として社殿を造営、大阪には明治十二年十一月に別格官幣社豊國神社の別社として中之島字山崎の鼻(現在の中央公会堂の地点【大阪市北区中之島】)に創立されました。大正元年に府立図書館の西方の公園内に移転。昭和二十年より宗教法人として神社本庁所属の神社となり、その後、大阪市の発展に伴う市庁舎増築にあたって、昭和三十六年一月に現在の地へ奉還しました。
 ここ大阪城跡は、かの有名な石山合戦にて石山本願寺の宗徒が十一年にも渡り、織田信長の猛攻に対向し続けた場所です。さすがの信長も攻略をあきらめ、和睦を結ぶに至ったほど要害堅固な土地であったことがら、秀吉公は天下を平定し居城を築くにあたってこの地を選んだという、御祭神に最も縁が深く奉祀するのに最適な神域とされています。

(御由緒より)




豊國神社摂社 若永神社 摂社 若永神社【わかなが】
御祭神:宇迦之魂神(うかのみたまのかみ)

今を遡ること四百年余前、豊臣秀吉公の御用商人であった豪商「淀屋」の屋敷内に火難除けの御守護神として御鎮座された稲荷神社です。大阪市の都市計画に伴う地下鉄御堂筋線工事のため、昭和2年に大阪市庁社東の豊國神社境内に遷座され、その後昭和36年1月に豊國神社が当大阪城内に遷宮の際、現在地に御遷座されました。現在も淀屋の末裔の方々をはじめ、多くの方々の信仰を集めています。
(豊國神社公式HPより参照)



豊國神社摂社 玉繁神社・玉春神社・玉繁神社・白玉神社・七夕神社


左額
 摂社 玉繁神社【たましげ】
                御祭神:宇迦之御霊神【うかのみたまのかみ】
 摂社 玉春神社【たまはる】
中央額
 摂社 白玉神社【しらたま】  御祭神:宇迦之御霊神【うかのみたまのかみ】
右額
 摂社 七夕神社【たなばた】  御祭神:稚日女尊【わかひるめのみこと】、宇迦之御霊神【うかのみたまのかみ】

各地域にあった神社が、明治の神社合祀政策により集約された。
(豊國神社公式HPより参照)



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写真:2018.03撮影
home   作成:2024.06.18