生国魂神社【いくくにたま】(大阪市天王寺区生玉町)

当社は、当初上町台地の北端大阪城の地(旧称玉造の難波杜))にあった。蓮如が石山本願寺を建てたときにはまだ傍らに鎮座していたが、織田信長の石山攻めに際して社殿が灰燼に帰し、のち豊臣秀吉が大阪城を築くにあたり現在地に移された。(『日本史小百科 神社』)

生玉北門坂の鳥居

生玉北門坂の登り口にある鳥居(千日前通りにある陸橋から撮影)




生國魂神社の北門

北門(冠木門)
生玉北門坂を登ると北門に至る
真言坂

真言坂を見下ろす
北門は真言坂に面している
掲示
真言坂
 生國魂神社の神宮寺であった法案寺をはじめとする生玉十坊が、明治の廃仏毀釈まで神社周辺で栄えていた。うち、神社の北側には医王院・観音院・桜本院・新蔵院・遍照院・曼荼羅院の六坊があった。すべて真言宗であったので、この坂は真言坂とよばれた。


真言坂は天王寺七坂の一つで唯一南北に走る坂だ。



生國魂神社境内入り口

境内入り口




生國魂神社拝殿

拝殿




生國魂神社本殿

本殿
現本殿は昭和31年の再建でコンクリート造り。複雑な屋根の構造を持ち、俗に生玉造と呼ばれる。

生國魂神社公式インスタグラムより
生國魂神社(いくたまさん)official
ランドマーク・名所旧跡
約2700年の歴史を有する大阪最古の神社。
第1代・神武天皇が日本統一の旅の途中、現在の大阪城を含む一帯に日本列島そのもの神、生島大神と足島大神を祀られた事に始まる。別名八十島神。大阪築城に際し豊臣秀吉が現在地に遷座、以降上方芸能文化の発祥地となる。旧官幣大社。
ikutamajinja.jp

『延喜式』の神名帳、摂津国東生郡【ひがしなりぐん】に「難波坐生国咲国魂神社二座 並明神大。月次相新嘗」とある。生国魂神と咲国魂神の二座ということだが、『御由緒調査書』(明治四十四年)には生国魂神は生嶋神又生国神といい、咲国魂神は足嶋神又足国神という、とある。(『日本の神々3』)

境内社配置図

境内社配置図
めずらしい境内社が結構ある




皇大神宮

皇大神宮

掲示
皇大神宮祭神 天照皇大御神【あまてらすすめおおみかみ】
御神徳 伊勢の神宮(内宮)の御分霊をお祀りし八百萬神【やおよろずのかみ】の本宗として広大無辺の御神徳を授けられます。




住吉神社・天満宮

左:住吉神社              右:生玉天満宮

掲示
住吉【すみよし】神社
御祭神 底筒男神【そこつつおのかみ】 中筒男神【なかつつおのかみ】 表筒男神【うわつつおのかみ】
御神徳 古くより海路平安・航海安全の神として、また和歌文学の神として御神徳灼【あらた】かです。

天満宮
御祭神 菅原道真公【すがわらみちざねこう】
御神徳 学問の神として崇敬され、進学・受験など学問の向上を叶えられます。




精鎮社

精鎮社

掲示
精鎮社【せいちんしゃ】
御祭神 事代主神【ことしろぬしのかみ】(えびす) 比め大神(べんてん)
御神徳 商売繁盛・豊漁満足 海上安全

往古、表参道蓮池に祀られていた弁財天社(明治初年精鎮社と改称)で、特に鮮魚を取り扱う商人、漁師や釣り人の信仰が篤い。




稲荷神社

稲荷神社
源九郎稲荷神社

源九郎稲荷神社

掲示
稲荷神社
御祭神 倉稲御魂神【くらうかのみたまのかみ】
御神徳 佐賀県の祐徳稲荷の御分霊で鍋島藩とその蔵屋敷出入りの商家が篤く崇敬したと伝えられ、五穀豊穣・商売繁盛・除災招福の願望を叶えられます。

源九郎稲荷神社【げんくろういなり】
御祭神 源九郎稲荷大明神 八兵衛大明神
御神徳
 源九郎稲荷大明神 五穀豊穣・商売繁昌の神 奈良県吉野の源九郎稲荷の御分祠と伝えられています。
 八兵衛大明神 芸道の神 道頓堀中座の閉館に伴い、劇場に祀られていた八兵衛大明神を当社に合祀しました。歌舞伎役者や松竹新喜劇の方々の崇敬が篤かった事が知られています。




鴫野神社

鴫野【しぎの】神社

掲示
鴫野神社【しぎのじんじゃ】
御祭神 市杵島姫賣神 大宮賣神 淀姫神
御由緒 女性として栄華【えいが】を極【きわ】めた淀姫【よどひめ】(淀君【よどぎみ】)ゆかりの神社である。鴫野神社はその昔「鴫野の弁天【べんてん】さん」として大阪城東側(現在の大阪市城東区)に祀られていた。淀姫が大阪城からこの弁天社【べんてんしゃ】に足繁【あしげ】く通ったことから、後【のち】の世【よ】には淀君自身も弁天社に併【あわ】せ祀【まつ】られた。爾来【じらい】、女性の守護神【まもりがみ】と仰【あお】がれ、心願成就【しんがんじょうじゅ】と縁【えにし】(縁【えん】むすび・悪縁切【あくえんぎ】り)の神様として霊験【れいけん】あらたかとの評判【ひょうばん】が広まり、お参りする人が群【むれ】れをなしたと伝わる。




城方向八幡宮・鞴神社

左:城方向【きたむき】八幡宮   右:鞴【ふいご】神社

掲示
城方向八幡宮
御祭神 譽田別命【こんだわけのみこと】 氣長足媛命【おきながたらしひめのみこと】 玉依比賣命【たまよりひめのみこと】
御神徳 大阪城鬼門の守護神として鎮祭されたから城方向【きたむき】(北向)と称します。 方除・厄除・勝運の神として、篤く崇敬されています。

鞴神社
御祭神 天目一箇神【あめのまひとつのかみ】 石凝杼売神【いしこりどめのかみ】 香具土神【かぐつちのかみ】
御神徳 鞴【ふいご】とは火起こしの道具のこと、鍛冶【かじ】の神で、製鉄、製鋼、鋳金また機械工具等を商う金物業界の守護神として篤く崇敬されています。




家造祖神社・浄瑠璃神社

左:家造祖【やづくりみおや】神社   右:浄瑠璃【じょうるり】神社

掲示
家造祖神社
御祭神 手置帆負神【たおきほおいのかみ】 彦狭知神【ひこさしりのかみ】
御神徳 家造りの祖神で土木建築の守護神とされています。特に建設業界に篤く崇敬されております。

浄瑠璃神社
御祭神 近松門左衛門を始めとした文楽の先賢を祀る
(2001年に参拝したおりの掲示には「音律和調霊神【おんりつわちょうれいじん】、相殿 文楽先覚諸霊神」と書かれていた。)
御由緒
 御鎮座の年は不詳であるが、記録によれば明治九年に竹本春太夫・鶴沢清七等と共に、三業(太夫・三味線・人形)の先師三十八柱の御霊を生国魂神社の境内に社殿を整え合祀したのが始まりである。
爾来、この浄瑠璃神社で毎年春秋の二季に例祭を斎行し、物故された方々を合祀する。
文楽の道の御祖神として文楽関係者はもとより、広く日本舞踊や琴など諸芸上達の守護神として篤い信仰がある。
因みに「曽根崎心中−生玉社の段−」は、生国魂神社境内が舞台である。


井原西鶴像  井原西鶴像(2001.05撮影)
『好色一代男』などの小説を書いた井原西鶴は、当社境内南坊で一昼夜に俳句を四千句詠む「矢数【やかず】俳諧」を敢行したという。


上方文化発祥の地
神社境内には、芝居小屋や見世物小屋が 軒を連ね、数多くの文化芸能がこの地で 花開く。

近松門左衛門
近松の作、浄瑠璃『曽根崎心中』『生玉心中』は当社が舞台になっている。

織田作之助像
織田作之助は中学生の頃まで当社の近くの町にそだった。『木の都』というエッセイ?に当社のことを書いている。

掲示
米沢彦八【よねざわひこはち】の碑
いくたまさんは上方落語発祥の地とされる。上方落語の祖米沢彦八にちなみ諸芸上達を祈願する人が多い。

また当社境内で落語を演じたそうだ。

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写真:2015.12撮影
home   作成:2023.03.21