石切劔箭神社上之社【かみのやしろ】(大阪府東大阪市上石切町)

石切劔箭神社上之社参道入り口

参道入り口




上之社参道

左端に親子連れ牛像(石切劔箭神社本社にも同様の像があった)、中央に手水舎(コロナウイルス感染症予防のため柄杓はなかった)
右の参道の石段を登りきると境内に至る




上之社拝殿

拝殿




上之社本殿

本殿

掲示
石切劔箭神社上之社御由緒

 祭神
  饒速日尊荒御魂【にぎはやひのみことあらみたま】
  可美真手命荒御魂【うましまじのみことあらみたま】

石切劔箭神社は 神武紀元二年 現在の生駒山山頂に程近い宮山に饒速日尊を奉斎した事をもって創祀と致します その後 崇神天皇の御代には可美真手命を奉斎するため下之社(現御本社)が創建され 長らく饒速日尊を祀る宮山 可美真手命を祀る下之社(合わせて石切劔箭神社二坐)として祭祀が継承されました 慶安三年(1650)宮山の御神座は光堂山(現在の上之社鎮座地)に御遷座が行われ 下之社に対し上之社と称されるようになります しかしながら時代は下って明治四十年 政府の神社合祀政策によって上之社は下之社に合祀される事となります その後上之社跡地として石碑のみを有する形となりましたが 崇敬される参拝社は後を絶たず 多くの方々の御懇志により昭和四十七年に再興され現在に至ります 現上之社の御本殿は 元は下之社本殿として造営された室町時代の建築によるもので 昭和七年に現本社本殿造営を機に解体保存されていたものです

 和御魂と荒御魂
神様のお働きには和御魂と荒御魂という二つの側面があります 和御魂は優しく平和的な側面であり荒御魂は荒々しい側面です 荒御魂は勇猛果敢で義侠心に富むとされ その荒々しさから新しい事象を生み出す活力の源とされています 和御魂と荒御魂は同一神ですが別の神様に見えるほど強い個性をお持ちです 伊勢の皇大神宮(内宮)における正宮は天照大神の和御魂をお祀りし 荒祭宮には荒御魂がお祀りされています 同様に 上之社では取り立てて石切劔箭大神様の荒御魂を畏れ畏み 奉斎しております

物部氏の祖神、天照国照彦火明櫛玉饒速日命【あまてるくにてるひこほあかりくしたまにぎはやひのみこと】(=饒速日尊)と宇摩志摩治尊【うましまじのみこと】(=可美真手命)は、神武二年、天の磐船に乗って河内の哮峯【たけるがみね】に降臨した。(哮峯は生駒山頂付近か?)宮山は山頂に程近い平坦地で、石切劔箭神社の飛地境内地となっている。現在でも土器などが多数出土するという。降臨の地哮峯を遥拝する宮山の地に饒速日と宇摩志摩治を祀ったのが石切劔箭神社創祀の場所と推定される。(『日本の神々 3』参照)




上之社本殿左壁画

本殿向かって左側の壁画




上之社本殿右壁画

本殿向かって右側の壁画




神輿台

奥のキャラメル型の石組は神輿台、神輿台右手に拝殿がある。手前の八角柱の石組は井戸?
写真の左手にお百度石があり、この時男女二人の方が神輿台を取り込む様に歩いてお百度参りをされていた。




上之社境内より市街を見下ろす 左写真は上之社境内から西方向を撮影したもの。かなり高い位置にあることが分かる。そもそも、近鉄奈良線の石切駅が高い位置にある。実はこの後、石切劔箭神社本社の二の鳥居付近から東方向を見たら、山腹に近鉄電車が走っていて驚いたのだった。


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写真:2020.06撮影
home   作成:2020.08.23