大阪天満宮【おおさかてんまんぐう】(大阪市北区天神橋)

『日本の神々3』には、「天神様は全国で一万余りを数えるが、なかでも大阪天満宮は、京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮とともに・・・」と、書き出している。
天暦三年、(949)、村上天皇の勅願により大将軍の森に創祀されたと伝えられる。この地は上町台地の一端にあり、古くは難波宮の北方の鎮所として、うっそうとした原始林におおわれていた。
私は当社へ来るのに地下鉄堺筋線を使い南森町駅で降りたのだが、南森町という地名もまたその名残だという。
天満宮の「天満」については、「虚空見大和【そらみつやまと】」からの転化、仏教思想の「天魔」に基づく、道真公の心が「天に満ちる」ことからきた、等の説がある。

表門

表門
当社には六つの門があると書かれていた。表門は南中央にある。(北にある門を出ると天満天神繁昌亭がある。)

表門の左には戎門がある。
蛭子門【えびす】の由来
当宮には六つの門がありそれぞれに独自の用途と由来を持っている
東門は入ってすぐ左手に「戎社【えびす】(蛭児社)」が祀られていたことから「戎門」と呼ばれてきた
江戸時代の「戎社」では、毎年の正月・五月・九月の十日に「蛭児尊遷殿神事」を斎行しておりこの年三回の「十日えびす」には数多くの参拝者が当門を利用した
その後「戎社」は境内西北に移されたが「戎門」の名は変わらずに今に伝えられている
昨年正月に「十日えびす」を復興したのを記念してその由来をここに記す

平成二十年正月吉日
宮司 寺井種伯




権現造の拝殿部

正面から見ると独立した拝殿のようだが、拝殿と本殿を一体化した権現造になっている




社殿

北東方向から権現造を見る
写真右手が本殿部分




権現造の本殿部分

南西方向から本殿部分を見る
天保八年(1837年)の大塩平八郎の乱で本殿及び多くの社殿が焼失し、その後弘化二年(1845年)に再見され現在に至っているとのこと




蛭児遷殿・神明社・大将軍社

左:蛭児遷殿 中央:神明社 右:摂社大将軍社

蛭児遷殿 祭神:蛭児大神
神明社  祭神:天照皇大神、豊受皇大神
大将軍社 祭神:八衢比古神【やちまたひこのかみ】、八衢比売神【やちまたひめのかみ】、於富加牟津見神【おほかむつみのかみ】、久那斗神【くなどのかみ】




住吉社・吉備社・八幡社・霊符社

左から、住吉社(手前に鷽【うそ】献灯)、針塚、吉備社、八幡社、松尾社、霊符社が並ぶ

祭神
住吉社:底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命(住吉社のみ、西に面している。)
吉備社:吉備真備公(入唐した際、刺繍裁縫の業を持ち帰ったという故事により祀られる。)
八幡社:応神天皇
松尾社:大山咋神
霊符社:天御中主神




霊符社

霊符社




白米稲荷社とその奥宮

左手白米稲荷社、右手稲荷奥宮




鶴姫大明神・天満辨財天・亀吉大明神

鶴姫大明神、天満辨財天、亀吉大明神




八坂社

八坂社

掲示
祭神 素戔雄尊
もと北区天神西町にあった お社を天満宮へ移転奉祀した



妻社

妻社

掲示
浪華古図によれば渡辺橋北詰に鎮座ありしを当宮にてはこの社の廃れしを再興せんと昭和二十二年九月社殿を造営し鎮斎す。
祭神 大己貴大神(大国主の別名)


十二社

十二社

掲示
祭神
吉備聖霊 早良親王 藤夫人 伊豫親王 火雷神 火産霊神 埴山比売神 天吉葛神 川菜神 藤原廣嗣霊 橘逸勢霊 丈太夫霊




老松社

老松神社

掲示
祭神
住吉大神
神功皇后

由緒
古く神功皇后九州筑紫より帰航の折 巨松に風波の難を避け樹下に社を建てたのが始まりと伝う のち貞観二年(860)白砂青松の地(旧老松町三丁目)を卜し老松神社を建立す 平成二年六月吉日大阪天満宮境内に遷座す




遙拝所・老松社紅梅殿・白太夫社

中央は老松社紅梅殿、右は白太夫社、左手の建物は屋根だけで遙拝所か?




星合橋

宇賀神鳥居
正面鳥居の柱に「宇賀神鳥居」と刻まれていた。星合の池に架かる星合橋を渡ると、左手奥に宇賀社がある。
星合の池は周囲をコンクリートで囲まれた方形で、現在は池というより貯水槽というイメージだ。

掲示
星合の池
天暦三年(949)に天満宮が御鎮座になった時、この池水に霊光が映ったと伝承されている。天正二年(1574)の石山軍記に「天満山の北、明星の池、星合の池の間、少し北に属し、織田信長本陣を布き」と録しているから、少なくとも千年以上の歴史を持つ古池である。
なお、付近に七夕池、明星池、夫婦池等が明治年間まで現存していた事は昔「難波碕」の付近に残った沼沢の名残であると思われる。
昭和の初めまで池には「宇賀の杜」があり、紅梅紫藤が咲きみだれ、付近には歌舞伎を常打とした天満八千代座、浪花節の国光席、吉本興業発祥となった天満花月古川館などの寄席が隣接していた歓楽街であり、極めてにぎやかであった。
池に架かっている「星合橋」は一名「愛嬌橋」とも言う。当時適齢者の「見合」が行われたからである。また、池畔にあった白米稲荷に因んだ「いなりずし」は、参詣者に賞味され、有名であった。

 大阪天満宮




宇賀社

宇賀社
本殿の北に位置するこの区域には、宇賀社のほか、祖霊社、明治に廃社された川崎東照宮の神輿蔵などがある。



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home   作成:2014.04.10