三光神社【さんこう】(大阪市天王寺区玉造本町)

境内入り口

境内入り口

掲示

三光神社由緒略記
創立は第十八代反正天皇の御宇にして以後神職として、武内宿弥の苗裔たる武川氏が八十六代に渉って奉仕され
当社は古来より日本全國で唯一の中風病除の神として知られ崇敬者は全國に存在し六月一日から七日まで祈願大祭あり
又七福神の一つ寿老神(武内宿弥)を祀り毎月七日は大阪七福神巡りが盛んなり
此地はもと大阪城の出城(堰月城)の在りし処にして慶長・元和の大阪合戦の頃真田幸村茲
【ここ】に陣し本城より此処に至る地下に暗道を設け今尚其のこん跡を本殿階下に止むるより世俗に真田山の三光と称するに至れり。
境内をはじめ宰相山公園一帯は櫻の名所にて春は宰相山公園愛護会による三光さくら祭りあり
(以下略)
(宰相山とは、加賀宰相前田利常が陣を張った場所。ここから真田丸を攻撃した。)




境内(六文銭の旗印)

境内
(真ん中よりやや右に「真田幸村公之像」の膝下部が見えている。その左側に「真田の抜穴跡」がある。)




本殿への石段

階段の上に拝殿が見える
拝殿前の鳥居(旧鳥居の柱が残る)

拝殿前の鳥居

向かって右側、鳥居の柱が一本立ってる。先の大戦で破壊された鳥居の柱とのこと。公式HPによると、悠久の平和と国家の安泰を祈願してこの柱を残されたという。下方に刻まれているのは関取の名前だそうだ。




拝殿

拝殿
本殿

本殿

御祭神:天照大神【あまてらすおおみかみ】、月読尊【つきよみのみこと】、素戔鳴尊【すさのおのみこと】




末社

末社
主守稲荷社:宰相山は狐の穴が多く本社の側に稲荷社を祭られたとのこと。
竹内宿禰社(寿老の神):武内宿弥の末裔たる武川氏が三光宮の創建以後神職として奉仕し長寿の神として祭られたとのこと。
野見宿禰社(角力の神):明治十九年三月二日、難波新地六番町から当社境内に移転されたとのこと。
(公式HPより)




仁徳天皇社?

公式HPに書かれていた仁徳天皇社かもしれない。(未確認)




遥拝所?

遥拝所?




真田の抜け穴跡

真田の抜け穴跡
真田幸村之像

真田幸村之像



原点の神社その4
 小学校高学年の頃だったと思う。友達数人と小さな弟を連れて、三光神社によく足を延した。自宅からは約1.5kmほどの距離であるが、当時はちょっとした冒険気分を味わう事が出来る神社だったのだ。(JR玉造駅の近くに日の出通り商店街があり、一人または弟を連れて本を買いに来ていたので、当社への道の大半は慣れた道でもあったのだが。)境内に長い急な滑り台のような場所があり、ズボンが土で汚れないよう段ボールをお尻にあてて滑り降りるのが目的だった。地元の同年代の子供達も来ていて、一緒に滑っていたのだった。うん十年ぶりに当社を訪問しその場所をそれとなく探したが、よくわからなかった。昭和二十年六月一日の大阪大空襲で、当社は社殿のみならず山が崩れるほどの被害を被ったというが、時間をかけ現在の姿まで復興されたのだ。ただ、真田の抜け穴跡は、昔の面影を残していた。
(「ウージーの雑な文」2015.11.08に文章有り)

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写真:2015.10撮影
home   作成:2018.09.15