綱敷天神社【つなしきてんじんしゃ】(大阪市北区神山町)

綱敷天神社入り口

境内入り口
鳥居の額には「綱敷天神社」の文字




綱敷天神社拝殿

神門の奥に拝殿




綱敷天神社拝殿

拝殿




綱敷天神社手水屋

左:手水舎 右:喜多埜稲荷神社




綱敷天神社狛犬阿形

拝殿を背にして右手の狛犬
綱敷天神社狛犬吽形

拝殿を背にして左手の狛犬

(木があるのでベストな撮影が出来ませんでした。)




綱敷天神社拝殿

拝殿




綱敷天神社本殿

本殿(拝殿に向かって右手より)

掲示

綱敷天神社 由緒

御祭神
 嵯峨天皇
 菅原道真公

第五十二代嵯峨天皇は、弘仁十三年(822年)津の国難波兔我野町に行幸され、この地で一夜をすごされた。
 天皇死去後、皇子の左大臣源融公は、追悼のあまり承和十三年(843年)この神山の地に神野神社として奉祀された。

菅原道真公は、延喜元年(901年)大宰府権師に左遷の時、この北野の地に着船、神野神社に参拝され、紅梅樹が美しく咲いていたので、船綱をといて御座とし賞翫【しょうがん】された。
 今、御神宝とされている綱から綱敷天神社といわれ学問の神様として御信仰があり、守り伝えられています




綱敷天神社本殿背後

本殿背後




喜多埜稲荷神社

喜多埜稲荷神社【きたのいなりじんじゃ】
祭神:宇迦之御魂大神




神使の牛と白龍社

左:神使の牛  右:白龍社

掲示
牛と天神さま
 天神さま(菅原道真公)をお祀りしている神社は必ずといっていい程、牛の像がお祀りされています。これはお稲荷さんならキツネ、お伊勢さまならニワトリ、と同じように天神さまのお使いの動物(神使)が牛であるといわれる為です。
 なぜ牛なのかといいますと、天神さまこと菅原道真公のお生まれになられた年が丑年である為や、伝承では天神さまが大宰府でお亡くなりになられた際に、棺を運ぶ牛が突然立ち止まり、押しても引いても動かぬ為、天神さまが「ここに葬ってくれ」と牛に伝えられたのだと察し、その場に埋葬したのが大宰府天満宮の由来である事や、雷の神様としても慕われる天神さまの御神徳に由来して、農耕神としての性格から牛がお使いであると言われたりと様々な説がありますが、古来より牛さんにお願い事をすると天神さまに「誰々はこのようなお願い事をお祈りしています。どうか願い事を叶えて差し上げて下さい。」とお伝えするといわれ、老若男女を問わず今も昔も慕われています。

掲示
白龍社【はくりゅうしゃ】

御祭神
 ・白龍大神
 ・猿田彦大神

 このお宮にお祀りされていますのは、家や土地の守り神さまであらせられる白龍大神さまと、方除け、交通安全の神さまであらせられる
猿田彦大神さまです。

 白龍大神さまに関しては詳細な記録が、戦災で焼失してしまった為、詳らかではありませんが、古くよりヘビの神さまであると伝えられ、ヘビは家屋の守り神ともいわれるので、この地の守り神さまとして崇められていたと伝えられています。また水性の守り神さまともいわれています。

 猿田彦大神さまは古事記、日本書紀にも登場する国津神であり、瓊瓊杵尊の天孫降臨の際に先頭に立って道案内をした神さまとして知られています。猿田彦大神さまは伝説によると長い鼻を持っていたといわれ、妻である天宇受売神と一緒に、天狗とおかめの姿の道祖神として、悪いものが街に入り込まないよう、街道の辻々などでよく祀られており、災難除け、方除け、旅行安全の神さまとしても慕われています。

 この白龍社は戦後復興されたお社ですが、老朽化が目立っていた為、平成二十五年十二月に修理事業を行い、その際に社殿改修と、石玉垣、参道石畳を整備しました。



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綱敷天神社御旅社【つなしきてんじんしゃおたびしゃ】(大阪市北区茶屋町)

綱敷天神社御旅社全景

鳥居の額には「綱敷天神社御旅社」の文字
標柱には「綱敷天満宮御旅社」の文字




綱敷天神社御旅社正面

綱敷天神社御旅社



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写真:2025.07撮影
home   作成:2025.07.30