伊香具神社【いかぐ・いかご】(滋賀県長浜市木之本町大音)
一の鳥居
背後は賤ケ岳に連なる山並み
一の鳥居
桜の並木は、蕾が色づいていた。
参拝したのは2005年3月の日曜日。多くの人たちが境内を清掃されていた。煙は、集めた落ち葉を焼いているものだ。
伊香式鳥居
神明系の三輪鳥居と両部鳥居がドッキングしたような形だ
掲示 伊香式鳥居 神社の正面に両翼を広げたこの鳥居は奈良の三輪式鳥居と安芸の厳島式鳥居がくみあわさった様な形をしている。その昔、この神社はすぐ前が伊香小江と云う入江であり後方の山が香具山とよばれた神奈備であったので、これら湖の神様と山の神様にあわせ捧げる意味でこの鳥居が作られたものです。 大音区 賤ケ岳観光協会 |
拝殿
掲示 當社由緒概略 當社の祭神は天児屋根命五世の孫伊香津臣命にして創立は天武天皇白鳳十年以前なり 古傳に 當社祭神始めてこの地に来たり給ふや田園未だ開けず國郡と別れず因って子孫に告げて曰く 吾天児屋根命の命を傳へて皇孫に侍従し久しく宝器を守る 尚この地に止まりて永く属類を守るべしと 是より号して伊香郡と言うと蓋し当社の起源古きを知るべ し延喜式名神大社にして往古より伊香大社を称し実に當郡の総社たり されば歴代の御叡信篤く特に文武天皇慶雲二年神地千石を賜ひ清和天皇貞観元年正月従四 位下仝八年閏三月従四位上を授けられ宇多天皇寛平七年菅原道真公の奉達に依って正一位 勲一等大社大明神の菅公自筆の勅願を賜ひまた管公も當社を崇敬し自ら法華教金光明教を 書して寛蔵に納むと 建長三年九月大社の鐘を鋳し建武三年十一月足利尊氏朱印二百石を寄せ毎年正五九の祈祷を行ふ この祭今に傳はる當時の隆盛察するに餘りありといふべし 然るに星霜移りて元亀中織田信長社領を没収し天正十一年賤岳の兵火に罹りて祠廟旧記多く鳥有に帰せしも慶長十三年社殿の再建寛永十三年神宮寺の造営あり正徳年中漸く旧態に復す 現境内は実に千五百八十七坪にして背後の香具山には奥の宮天児屋根命鎮座し老樹 鬱茂森森たり明治九年十月郷社仝三十二年十月縣社に加列す 當社例祭は醍醐天皇昌奉二年初めて四月二十四日に勅定せられ尓後歴し来りしが旧幕の頃より四月六日に変更し以て今日に至る 明治四十五年五月記 近江伊香郡縣社伊香具神社 |
雪が残っている境内
玉垣御門と本殿
御祭神:伊香津臣命
左:白山神社(祭神:伊邪那美命【いざなみのみこと】) 右:三の宮神社(御祭神 臣知人命【おみしるびとのみこと】)
掲示 白山神社・祭神(伊邪那美命) この白山神社は曹洞宗・西光寺の守り神として西光寺の境内に祀られていました。 山岳仏教の栄えた時代には神仏混合で神社とお寺が併合で祀られていましたが、明治の初めに神仏分離令が執行され明治八年に西光寺境内からここえ移されました。そしてこの神社はもともとは伝教大師が開かれたと云う堂角寺の守護神として祀られたものと云われている。 大音は生糸の産地で昔から水を大切に守ってきました、この神様は水の神様で村人は今尚崇拝しています。 大音区 賤ケ岳観光協会 |
掲示 縁むすびの神 三の宮神社 御祭神 臣知人命【おみしるびとのみこと】 当社は伊香具神社の境内社として古くより此の地(三の宮番地)に祭られています近江風土記に見られる白鳥伝説によればこのあたり(通称木之本盆地)は古代は琵琶湖の入江であり「伊香の小江【いかのおえ】」と言はれ、この小江の津浦【つのうら】に、ある日八人の天女が白鳥に姿を変えて、水浴していたという これを見た、この地に住む伊香刀美【いかとみ】と言う猟師白い犬を行かせうち一羽の白鳥(天人)の羽衣(着物)を取らせました 天へ帰へれなくなった天女は伊香刀美と夫婦となり四人(二男二女)の子供をもうけました この人達こそこの地方(湖北地方)の祖先であると記るされています 伊香刀美とは当寺神明大社伊香具神社の御祭神伊香津臣命【いかつおみのみこと】のことでありその子供の一人(長男)が当社の祭神の臣知人命【おみしるびとのみこと】である 里の言伝によれば、この神社は他人【ひと】に見られず参拝し「縁むすび」の祈願をすると、きっと御利益があると言はれています.往時当地方製糸業盛んなり頃は夜なく杖を引く人が絶えなかったと里の古老は今に語り伝へています又一説には羽織の紐等供え祈願をし恋う人に贈ったとか・・・・・・・ 「里の語り部」より 祭日 毎年一月十九日 三の宮神社々中 |
伊香招魂社
掲示 一ノ宮神社(祭神・天之押雲命【あめのおしくものみこと】) もと伊香具神社の一ノ宮であった。現在は木之本町飯ノ浦在住の大音氏がお守りしておられます。現在の鞘堂は戦前伊香具小学校の奉安殿で昭和二十年に移したものです。 大音家では毎年二月二十一日に神事が取り行われている。 大音区 賤ケ岳観光協会 |
『大音区史跡名勝案内図』によると「野神御神木」と書かれた左手隣に「一ノ宮神社」と書かれている。上記一ノ宮神社の掲示には「もと伊香具神社の一ノ宮であった。」とあることから「一ノ宮の白樫(野神・神木)」と書かれた御神木が一ノ宮であろうか。(社殿のようなものは無かった気がする。)
蓮池
奥に見えるのは独鈷水
独鈷水
掲示 千三百年前の郡内唯一の大社 伊香具神社の独鈷水と蓮池 弘仁三年五月(西暦八一二年)空海・弘法大師がこの地を巡業されて長祈山浄信寺 (今の木之本地蔵院)伊香胡神社に詣し先ず独鈷(大師の加持祈祷の法具)を以て水淙を掘り当て清水を得られ昔の治水第一業を行ない村造りをはじめられた当来独鈷水?神聖なる浄水源として今日に至っている。 又、蓮池は、神社の前がびわ湖とつらなる伊香胡の入江であった弘法大師がこの入江に住む大蛇をこの地に伏せ込めたという伝説があり当時の沼の遺跡がこの清らかな水を満々とたたえる蓮池である。社前三輪式の大鳥居は安芸の厳島神社と同じ形式のもので水の中で安定性のある仕組みで神社前まで入江であった名残りであるうしろに賎ケ岳をひかえて山王さんの形式もそなわっている。 |
掲示 糸とり・絹織物の歴史 繭を紡いで糸とりする技方と絹織物の大音へ伝わった歴史は古く、人皇十六代・応神天皇の時代三十七年に呉の国より四人の女工が若狭を経由して渡来してきました。女工は長い船旅の疲れをこの大音でいやし お礼に糸とりの技方を教えたと伝えられています。その後、伊香具神社の神職伊香厚行(いかごのあつゆき)は伊香津臣命の子孫で香具山の麓に湧き出る水(独鈷水)を汲とり、この地で産する生繭を煮て製糸を試みたところ白く光沢の良い生糸の誕生を見た。厚行は喜び村人に製方を伝え、伊香津臣命の時代より伊香氏は中央政権とのつながりもあり、出来上がった生糸を用いて冠の紐や刀の下緒を作り宮中へ献上したのが大音糸の始まりです。良質の生糸が生産出来たのは香具山の地下鉱物により軟質の水が湧くので非常に光沢のある弾力に富んだ生糸が出来たのです。そののち大音糸の評価も世に広く認められ村の産業として発展してきました。また、弾力性にも富んでいるので琴や三絃にも広く使われ、昭和の初めから戦後までは大工の墨糸水糸・パラシュートの糸・医療糸あるいわラジオのダイヤル糸にも多く使われてきました。 大音区 賤ケ岳観光協会 |
掲示 一ノ宮の白樫(野神・神木) 湖北地方では古くから塚や巨木を野神として祀る風習があります。雷・風雪に耐え、天を覆う大きい樹冠と苔むした表皮からは四百年の風格を感じ取れます。 大音区 賤ケ岳観光協会 |
写真:2005.03撮影
home 更新:− 作成:2021.09.23