鏡神社【かがみ】(滋賀県蒲生郡竜王町鏡)

額に唐破風の屋根を持つ鳥居

額の上に唐破風の屋根を持つ珍しい鳥居。さらに笠木は瓦葺だ。



参道掲示

鏡神社由緒
主祭神(天日槍尊)アメノヒボコノミコト
配祀神(天津彦根命
【あまつひこねのみこと】、天目一箇神【あめのまひとつのかみ】
境内社
若王子神社(天津日高日子邇邇芸命
【あまつひこひこににぎのみこと】
雨宮神社(罔象女命
【みずはのめのみこと】、龍王宮近江貴船大神、天満宮別霊菅原道真公)
守山神社(大国主命
【おおくにぬしのみこと】
大島神社(大海津見命
【おおわたつみのみこと】、金比羅大権現)
八幡神社(応神天皇
【おうじんてんのう】、源義経公)

例祭日 四月二十九日

 当社の創始年代は不祥であるが、主祭神天日槍尊は日本書紀による新羅國の王子にして垂仁天皇三年の御世(BC三一)来朝し多くの技術集団(陶物師、医師、薬師、弓削師、鏡作師、鋳物師など)を供に近江の国へ入り集落を成し、吾国を育み文化を広めた祖神を祀る古社である。
 天日槍は持ち来たる神宝の日鏡をこの地に納めたことから「鏡」の地名が生まれ。書紀にも「近江鏡の谷の陶人は即天日槍の従人なり」と記されている。鏡山の麓は渡来集団に関わる地名も多く須恵器を焼いた古窯址群も広く現存する。
 延喜の御世には大嘗会に鏡餅を献上した火鑽の里であり、鏡路は鏡山と共に万葉の歌枕として百五十余首詠まれ、宮廷巫女の歌人額田王や鏡王女にも所縁の地である。現社殿は室町時代に再建された三間社流れ造りにして屋根は「こけら葺き」の貴重な建築様式は国の重要文化財である。
 承安四年(一一七四)牛若丸こと源氏の遮那王は京都鞍馬から奥州への旅路、この鏡の宿に泊まり境内宮山の岩清水を盥に汲み自ら烏帽子をつけ元服した。鏡神社へ参拝した十六歳の若者は「吾こそは源九郎義経なり」と名乗りをあげ源氏再興と武運長久を祈願した武将元服の地である。以後岩清水は源義経元服池と称し現在も清水を湛えている。義経公を偲ぶ「とがらい祭り」は十一月二の午夕刻に男児を主役に斎行される。
 大正六年、当地宮城一帯における特別大演習を大正天皇御統監のみぎり鏡神社宮山に行幸あそばされ、御親拝の栄に浴す。以後宮山を御幸山と称し、自然公園として管理される。飛地境内の鏡山は山頂に近江の総社龍王宮を祀り七月十日を例祭とする。


境内

境内







本殿

本殿




八幡神社

八幡神社
応神天皇と併せて源義経を祀る




境内社

本殿に向かって左手の境内社
(右手にも二社ある)



鏡神社に初めて参拝したのは、2005年10月だった。道の駅で頂いたMAPに当神社の名を見つけ、参拝することにしたのだった。2005年、NHKは大河ドラマ「義経」を放送しており、義経の名を記したおびただしい幟が道の駅周辺にはためいていたのを記憶している。神社の参道には、義経が参拝した折りに烏帽子を掛けたと伝わる松の大木がある。(あった。)明治六年の台風で破損し幹だけを残しているが、その幹が太い。また神社周辺には、義経が泊まった宿の跡、義経が元服をする時に使う水を汲んだと伝わる池がある。

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home   作成:2011.04.25