胡宮神社【このみや】(滋賀県犬上郡多賀町敏満寺)

表参道入り口

表参道入り口
私は裏参道側に車を止めておりますが、表参道の景観が好きなので必ずここへ来ます。
背後頭上には名神高速道路が通っている。すぐ先にある多賀サービスエリアから、遊歩道で参拝が可能という。




表参道

緩やかな登りの石段が続く表参道
紅葉のシーズンも違った魅力があります。(末尾に紅葉の写真有り)




拝殿を望む

拝殿が見えてきました。
正面にある階段は、(2度利用しましたが)段差がきつい。、ほとんどこちらを利用。




本殿

拝殿・本殿が並ぶ
祭神:伊弉諾尊【いざなぎのみこと】、伊弉冊尊【いざなみのみこと】

当社の北方約2kmの所に、多賀大社が鎮座しているが、『延喜式』の多何神社二座とは多賀社・胡宮神社両社の併称であり、多賀社に伊弉諾尊【いざなぎのみこと】、胡宮に伊弉冊尊【いざなみのみこと】が祀られていたという説がある。祭神は事勝国勝長狭尊【ことかつくにかつながさのみこと】(別名:塩土翁【しおつちのおじ】)であり、伊弉諾・伊弉冊の御子であるとの説もある。(だから「このみや」か?)

景山春樹氏は『神体山』において、胡宮【このみや】は高の宮【こうのみや】のつづまったものであるという。多賀の宮(多賀大社)は高の宮【たかのみや】であり、同じ信仰形態からきた社号であるとのこと。水源である山を敬う信仰である。高の宮には、目につく巨木や磐座など、神の依り代が存在するのも共通している。




摂末社

本殿右手の摂末社
燈籠右手奥に「磐座参道」の石柱




磐座に至る参道

磐座参道
胡宮神社へは数回参拝しているが、磐座参拝を試みるのは今回が二度目。
距離は短いが私にとっては結構きつい登りなので、強い決意が必要。




磐座イラストマップ

「磐座参道」石柱近くの石碑に描かれていたイラストマップ(撮影したものを画像処理してます)

石碑に以下の文章が書かれていた。
一、磐座
青龍山の頂上に大きな岩がある。大昔からこの岩を磐座とよび深く信仰して龍宮を祭り、長寿、豊作、雨乞の祈願をした。これを原始信仰と云い、麓から遙拝するため社殿を造ったのが胡宮である。磐座は胡宮の奥宮であり、多賀大社の奥の院と呼んだ時代もある。
一、頂上付近の神聖な場所を境界【いわき】と呼び一般の人は立ち入りせなかった。「お池」で身を清め、供物を洗い祭典の広場で、春秋の祭りの式典を行った旧跡もある。
一、胡宮磐座は、社殿信仰以前の原始信仰の姿を見せてくれる神体山である。
一、滋賀県内でも数少ない山岳信仰の聖域である。




磐座に至る参道

シダが美しい青龍山の登り
息が切れ、立ち止まり、息を整えて、再び磐座をめざします。




磐座 磐座

磐座




青龍山からの眺め

青龍山頂上より
頂上ちかくで道は二つに別れ、左に行けば磐座が、右に行けば青龍山頂上に至る。
青龍山の標高は覚えやすい333m。三角点もあります。今回頂上はパスしました。(写真は2001年11月に撮影したもの)




みそぎ池

帰りにお池(みそぎ池ともよばれる)に寄る。この池で身を清め供え物を洗ったという。




枕石と寿命石

寿命石(石碑後ろ)と枕石(石の玉垣内)

石の玉垣の傍らに立て札があり、以下の様に書かれていた。
寿命石・枕石
八百年の昔僧俊乗坊重源は、後白河法皇の宣旨をうけ、奈良東大寺の造営勧進を当社に参籠し延命祈願された。


この文章からは重源と寿命石・枕石の関係はよく分からないが、寿命石は多賀大社にもありその解説によると、高齢の重源が職務をまっとうするため多賀大社で延命を祈願し、二十年延命の霊験を感得したことにちなむ石だという。




枕石

沢山の祈念石に埋もれた枕石。中央部にあるようだ。
寿命石

寿命石


当社の氏子地区である敏満寺だが、古くは水沼村【みぬま】と呼ばれ東大寺の荘園だった。ミヌマに「敏万」あるいは「敏満」の佳字を宛てて村の名とした。そこに創建された寺を敏満寺と称した。敏満寺は堂塔四十八ヶ所、もしくは僧房八十八宇、衆徒二十宇といわれた大伽藍を誇ったが、浅井長政ついで織田信長の焼き討ちにあう。直後、般若坊、成就坊が多賀社境内に移転している。現在境内には福寿院【現社務所】、大日堂、観音堂が建つ。室町末期に作られた庭園もあり、磐座やお池に足を運び境内をまわると私の場合約2時間かかりました。




参道の紅葉

参道の紅葉




境内の紅葉

境内の紅葉



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home   更新:2013.11.30 作成:2012.09.16