御上神社【みかみ】(滋賀県野洲市三上)

参道入り口の鳥居

近江富士とも呼ばれる三上山の東に鎮座する

境内掲示

御上神社

一、御鎮座地 滋賀県野洲市三上八三八
一、御祭神  天之御影神(天照大神の御孫)
一、由緒
当神社の社記によると天之御影神は今から二千二百余年前の孝霊天皇六年六月十八日三上山に御降臨になったので神孫の御上祝等は三上山を神体山として鎮祭申上げた。降って養老二年勅命によって現在の地に社殿を造営して遷祀された。爾来朝野の崇敬あつく清和天皇の御代に正一位、醍醐天皇の御代に明神大社、次に圓融天皇の御代には勅願所と定められ四海大平の祈願を行われた。武家政治になっても源頼朝を始め各武将も崇敬深く神領を寄進奉った。明治九年郷社に、大正二年県社に、大正十三年には官幣中社に御列格遊ばされたが昭和二十一年二月宗教法人となり神社本庁所属の別表社となった。
一、御神徳
御祭神天之御影神は御神徳高く霊験あらたかで忌火神、金工鍛冶神、産業神、開運悪魔除けの神として信仰され、当地方は昔から神体山三上山を中心に忌火郷、悠紀郷、むかで退治の神話で有名で、山麓からは二十四個の銅鐸が発掘され、五〜六世紀の古墳群が現存している。
一、主なる祭日
祈年祭 二月十七日
春季例大祭 五月第三日曜日
影向祭(山上祭) 旧六月十八日
秋季古例祭(ずいき祭) 体育の日
神衣祭 忌火祭二の申に近い土曜日もしくは日曜日
新嘗祭 十一月二十三日
一、文化財
御本殿(国宝) 拝殿、楼門、若宮社(各国指定重文)
三宮(県指定) 狛犬(重文) 角力人形(県指定)
ずいき祭(国指定重要無形文化財)

   以上略記




楼門

楼門

楼門




楼門と拝殿

左は拝殿、右は楼門、いずれも重要文化財(拝殿の背後には国宝の本殿が鎮座する)




本殿

本殿

境内掲示

国宝 御上【みかみ】神社本殿
     野洲郡野洲町大字三上

桁行【けたゆき】三間、梁間【はりま】三間、一重、入母屋造【いりもやづくり】
向拝【こうはい】一間、檜皮葺【ひわだぶき】    鎌倉時代

 建立年代は明らかでないが、様式手法からみて鎌倉時代の建立と推定される。入母屋造、漆喰壁【しっくいかべ】および連子窓【れんじまど】など仏堂的要素が融合した神社建築で、簡素であるが優れた形をなしている。
 中心部一間四方を母屋【もや】として正面に板扉を構え、その周囲に一間通り化粧屋根裏【けしょうやねうら】の庇を廻した構成であるが、側柱の間隔はすべて同じで、母屋の柱間はその一間よりやや広い。
 母屋、側廻りとも隅柱上に舟肘木【ふなひじき】をのせ、向拝の蛙股【かえるまた】は内部彫刻を失っているが、柱上連三斗【つれみつど】の組物と共に力強く、手挟み【たばさみ】は珍しい形をしている。
 反花【そりばな】を刻んだ縁束石【えんづかいし】が並んだところは壮観であり、その正面右端のものに建武【けんむ】四年(1337)の刻銘があり、縁廻り及び向拝は、この時の改造とみられている。

平成七年三月
 滋賀県教育委員会




本殿裏の扉

本殿の裏には扉がある
現在は北向きに本殿を拝すが、昔は本殿が西向きに建てられていて、扉越しに神体山である三上山を拝したのでは???
または扉を開けて、神様を本殿に迎えた???
明日香の宇須多伎比賣命神社のように元は拝殿だった???
(等々、色々とかってな想像をしております。)


三上山

拝殿越し、当社東方向にある三上山(左手に本殿の屋根の一部が見える。本殿は南向きだ。)
三上山は、御上山・御神山・三神山・神影山などの字があてられるがいずれも「みかみやま」と訓む。
当社と三上山との間には、現在国道8号線をはじめ複数の道路、集落が存在するが、
かつてはうっそうたる榧【かや】の原生林が社地から山麓の間を覆っていたと伝えられる。
当社は、この地から三上山を拝する遙拝所、祭祀場として出発したと考えられる。
三上山頂には磐座があるそうだが、まだ登る決心がつきません。




境内社三宮神社・大神宮社

左:大神宮社 右:三宮神社【さんのみや】

三宮神社御祭神
瓊々杵命【ににぎのみこと】

大神宮社御祭神
天照大神【あまてらすおおみかみ】




境内社若宮神社

若宮神社【わかみやじんじゃ】

若宮神社御祭神
伊弉諾命【いざなぎのみこと】
配神
菅原道真命【すがわらみちざねのみこと】
天石戸別命【あまのいわとわけのみこと】
天御桙命【あまのみほこのみこと】
野槌之命【のづちのみこと】



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home   作成:2012.12.08