奥石神社【おいそ】(賀県近江八幡市安土町東老蘇)
左標柱には「安産守護 鎌宮」、右標柱には「奥石神社」の文字
中世の頃より鎌宮神社【かまみや】と呼ばれたそうだ。蒲生野宮【かまふのみや】がなまったものという。
鳥居横の掲示
老蘇の森由来
古来老蘇の森一帯は蒲生野と讃えられ老蘇・武佐・平田・市辺の四ヶ村周辺からなる大森林があった。今尚近在に野神さんとして祀れる大杉が老蘇の森の樹齢に等しいところからもすでに想像されるが現在は奥石神社の鎮守の森として其の名を留むるのみで面積は六十反歩を有し松・杉・桧等が生い茂ってゐる。奥石神社本紀によれば昔此の地一帯は地裂け水湧いて人住めず七代孝霊天皇の御宇石辺大連翁ら住人がこの地裂けるを止めんとして神助を仰ぎ多くの松・杉・桧の苗を植えしところ不思議なる哉忽ちのうちに大森林になったと云われている。この大連翁は齢百数十才を数えて尚矍鑠と壮者を凌ぐ程であったので人呼んで「老蘇」と云いこの森を老蘇の森と唱えはじめたとある。又大連はこの事を喜び社壇を築いたのが奥石神社の始めと傳えられている。
古歌に
東路の思出にせん
郭公【ほととぎす】老蘇の杜の
夜半の一聲
なかなか良い参道だ
参道 左手に稲荷社の鳥居が見える
稲荷社
拝殿
拝殿より本殿方向を見る
本殿
境内掲示
史跡 老蘇の森鎮座
式内 鎌宮 奥石神社
御祭神 天児屋根命一座
例大祭 四月六日
社殿 三間社流造向拝付 重要文化財 天正九年正月建之
御安産守護の宮としても由緒
景行天皇の御宇、日本武尊蝦夷征伐の御時、弟橘姫命は上穂の海にて海神の荒振るを鎮めんとして、「我胎内に子在すも尊に代わりてその難を救い奉らん霊魂は飛去り江州老蘇の森に留まり永く女人平産を守るべし」と誓い給ひてその侭身を海中に投じ給ふ云々とあり、爾来安産の宮として祈願する諸人多し。
(一部略)
史跡 老蘇の森 昭和二十四年七月文部省史跡指定
奥石神社本紀に依れば、昔此の地一帯は、地裂け水湧いて、とても人の住む地処ではなかったのであるが、人皇七代、孝霊天皇の御代、住人であった石辺大連という翁が神助を仰ぎ、松・杉・桧等の苗木を植えた所、忽ちに大森林になったという。平安期以来、中山道の歌所して、和歌紀行文又は謡曲等に詠ぜられたもの頗る多く文人墨客の杖を引く者多くあった。
夜半ならば老蘇の森の郭公【ほととぎす】
今もなかまし忍び音のころ 本居宣長 作
身のよそにいつまでか見ん東路の
老蘇の森にふれる白雪 賀茂真淵 作
平成六年十一月
奥石神社社務所
左手諏訪社本殿、右手奥石神社本殿
奥石神社境内社諏訪社本殿【おいそじんじゃけいだいしゃすわしゃほんでん】(安土町指定文化財) この建物は、正面柱間一、三二メートルの一間社流造【いっけんしゃながれづくり】、檜皮葺【ひわだぶき】の建物です。建立年代は明らかでありませんが、舟肘木【ふなひじき】、向拝【こうはい】の木鼻【きばな】、連三斗組【つれみつとくみ】の組物【くみもの】の部分的な特徴や、全体の様子から桃山時代に建立されたものと考えられます。安政七年(1860年)と明治一三年(1880年)にそれぞれ修理の記録があります。 後世修理を受けながらも、要所に当初材をよく残し、軒の出も深く、外観の整った桃山時代の境内社本殿として価値の高い建物です。 平成一五年三月 安土町教育委員会 |
奥石神社本殿 重要文化財 三間社流造 檜皮葺 桃山時代 三間社流造の庇の間に建具を設けて前室とし、さらに向拝(こうはい)をつける形式は滋賀県に中世の遺構が多く古式の流造がひときわ優美に発達したものである。この本殿は天正九年の再建で、庇の間は解放としているが中世に発達した形式を踏襲しており、唐草文様を透彫りした蛙股や彫刻をほどこした手挟(てばさみ)、あるいは母屋の腰廻りの嵌板(はめいた)に配列した格狭間(こうざま)など、各所に華麗な装飾をつけた当代第一級の本殿建築である。本殿の再建は織田信長が城下町を形成する施策に関連したものと考えられ、棟札はその考証の好資料となるので、銘文を左記に記載した。 平成十年十二月 安土町教育委員会 棟札銘文(棟札表) 江州佐々木郷御庄内老蘇村御社建、天正九年正月廿六日 願主者柴田新左衛門尉家久美州西方池尻住人也、天正九年辛巳書之畢 (棟札裏) 大工 西之庄左衛門三郎 筆者観音寺住僧圓王院定長 八日市藤左衛門内口七是也 |
老蘇の森
森の向こうは国道8号線である。車の音が耳に届くこともある。
参拝したのは2012年6月23日で、この写真は13時38分に撮された。境内と森の中の気温の差をはっきりと体感することが出来ました。
掲示
史跡 老蘇森【おいそのもり】 国指定文化財
この森は、平安時代には早くも人々に知られており、しばしば和歌などに詠みこまれている。往時は現在の数倍の大森林であったといわれ、街道(中仙道)の名所として旅行者の訪れるところとなった。
伝説によれば、昔この地方は地裂け水湧いてとても人の住める所でなかったが、石辺大連【いしべおおむらじ】が樹の苗を植え、神々に祈願したところまもなく大森林となり、この大連は生きながらえて齢(よわい)百数十歳を重ねたため「老蘇森」【おいそのもり】と称せられたと伝えられている。今なおスギ・ヒノキ・マツ等から成る樹林はうっそうとして茂り、森の内には延喜式内社奥石【おいそ】神社が祀られている。
平成十年十二月 安土町教育委員会
home 作成:2012.10.28