大瀧神社【おおたき】(滋賀県東近江市菅尾)
R421を走行中紅葉に目を奪われ、参拝した神社だ。
こういう掲示板好きなんですが、文字は消えかかっていて読めませんでした。
境内
手水舎の右手、木の陰に「野倉大明神」(鳥居の額に書かれていた名称)
拝殿。額には「従一位大瀧大明神」の文字。
ミニチュアの両部鳥居が奉納されていた。
本殿は覆屋の中
境内掲示
社歴
祭神 角凝魂命(ツノコリダマノミコト)
天湯川桁命(アメノユカワゲタノミコト)
由緒
当社は、醍醐天皇延喜元年十二月の創立なり(社蔵文書)式内川桁神社、神崎郡二社の内の一社なりと云う元別当本覚寺あり。明治九年まで式内川桁神社大瀧大明神と称へ来たえしが明治十年以降専ら大瀧神社と称うるに至れり。
本社は古来より信仰厚く、神崎、愛知二群の田は皆此の神の治むる所なりとして一五九個村に及ぶ地を献納したることは、元文元年(一七三六年江戸時代)の書類に歴史として今尚其の崇敬者多し、大日本神祇誌に 川桁神社今在菅尾村日大瀧明神伝言祀天湯川桁命社前有愛知川両岸大岩状如桁水自其上而 下如瀑泉呼日川桁其支流有湯川潤神崎、愛知二郡之田皆此神之所治云延喜小社
例祭 七月一日
特殊神事(瀧飛の神事と云う)
此の神事は往古より行はれ、例祭当日祭儀に引続き氏子の青年の依って行なはれ、神社より一町余り上流竒岩重畳せる岩上より数十尺下深渕の大瀧に飛び込み青年の体躯は勇壮で躍動する龍神の如し
井水信仰の本源となすものなり。
昭和四十六年愛知川ダム建設に依り尊い自然と伝統と歴史は湖底深く没す。
ここに記載して後世に伝えん。
大瀧神社
home 作成:2010.04.03