須賀神社【すが】(滋賀県伊香郡西浅井町菅浦)

参道入り口

菅浦のバス停横が神社の入り口だ




参道を振り返る

参道はゆるやかな登りだが、足速に来たので息がきれた。
立ち止まり振り返ると琵琶湖が見えた。

旅の番組でこんなエピソードを紹介していた。作家の遠藤周作さんが、湖北の馴染みの料理旅館の女将にこんなお願いをしたという。先輩作家が書いた小説の舞台となったある場所を探してほしい。それは琵琶湖の北にある神秘的な名もない小さな湖だという。女将が方々を探したが見つからず諦めかけた頃、ついにこれだと思えた場所に巡り会えた。岬と神社の木立に切り取られた小さな湖、それは須賀神社の参道の、ちょうどこの辺りから見える琵琶湖だったのだ。




ここから土足禁止

ここからは土足禁止だ。
(石段右手の靴入れにスリッパが準備されている。)


菊の紋の透かし彫り


石碑

須賀神社
祭神

 淳仁天皇
   保良神社
   天平宝宇八年
(768)創祀
 大山咋神
   小林神社
 大山祗命
   赤崎神社

  明治四十二年合祀
  例祭四月三日
境内

淳仁天皇(=大炊王【おおいおう】)は天武天皇の孫である。孝謙女帝の次は道祖王【ふなどおう】(天武天皇の孫。大炊王は従兄弟)をたてるようにとの聖武天皇の遺言から、当初皇太子は道祖王であった。ところが、道祖王は聖武天皇の喪中にみだらな行いがあったたという理由で皇太子廃立となり、替わりに皇太子となったのが大炊王であった。大炊王立皇太子には、藤原仲麻呂の働きが大きかったと思われる。やがて孝謙天皇は皇位を大炊王に譲り淳仁天皇が誕生する。しかし、仲麻呂の後ろ盾であった光明皇太后が亡くなり孝謙上皇が弓削の道鏡と親しくなるにつけ、仲麻呂(この時点では淳仁から惠美押勝という名をもらっている)の権勢にかげりが見え始めた。仲麻呂は、淳仁を通じて道鏡との仲に文句をつけたが、孝謙女帝は怒った。そして乱が勃発、負け戦となった仲麻呂は、近江高島で舟で琵琶湖に逃れようとするも斬殺される。乱の一ヶ月後淳仁天皇は退位させられ淡路島に監禁される。(淳仁天皇は乱には直接関係されなかったようなのだが。)逃れようとして捕らえられ間もなく死ぬ。三十三歳であった。「太平記」には、天皇はわずかの従者とともに淡路の高島に幽居されたが、その翌年幽憤のあまり脱出を試みたが捕まり、「翌日薨逝す。実は是を弑せしなり」とあるそうだ。
菅浦には次のような言い伝えがあると、白州正子さんは『かくれ里』に書いている。「その淡路は、淡海のあやまりで、高島も湖北の高島であるという。菅浦には須賀神社という社があるが、明治までは保良神社と称し、大山咋命と大山祗命が祭神であった。が、本当の祭神は淳仁天皇で、社が建っている所がその御陵ということになっている。保良神社といったのも、そこが保良の宮跡だからで、また葛籠尾崎の名称も、帝の遺体を奪って、高島からつづらに入れて運んだことから名づけた、と伝えている。」



境内社


神明社

御祭神
天照皇大神
豊受大神
白山大神
愛宕大神

天満宮社

御祭神
天満天神
八幡大神
大國大神
蛭子大神



境内社 石が御神体?


友人と二人で琵琶湖ツーリングに出かけた。海津大崎を過ぎ、奥琵琶湖パーク ウエイに入ろうとしたら、なんと通行止めになっていた。展望台からの見晴ら しが素晴らしいのに、残念だ。足止めをくらったバイカー達が数人休憩している。我々の後から次から次にバイクがやってくる。
友人曰く、下の道を進んでも行き止まりで、8号線へ合流するのには後戻りするしかないとのこと。
「先へ行った事あるの?」「ああ。神社あったなぁ。」「神社?!!!  行きたいなぁ。かめへんか?」「ええでぇ。」

菅浦バス停の横が神社の参道入り口で、鳥居がある。須賀神社という名だった。友人はここで待つと言う。「すぐ、戻ってくるから。」と言いつつ、三脚は持たず、カメラだけさげて鳥居をくぐった。真っ直ぐな参道でゆるやかな登りになってる。300m先に社殿があると書いてあった。ゆるやかな登りだと思っていたのに、しばらく行くと息が切れてきた。友人を待たせているのでペースが上がりすぎたのか。しばし立ち止まり、来た道を振り返ると鳥居の先に琵琶湖が見えた。
手水舎のあるところに着いた。階段を上がった所に拝殿が見える。石板に何か書いてあるぞ。「土足厳禁 ここより上は心身を清めると共に神域清浄保持のため土足を禁止します。 須賀神社」とある。しばらく考えたが決心した。靴を脱ぎ靴下を脱いだ。石の階段はなめらかで、なんか新鮮な感覚だ。しかし、境内は砂利だった。歩くことは出来るが、気持ちの好いものではない。どちらかと言えば痛い。
参拝を済ませ、撮影もそこそこに引き上げることにする。足が痛いからではない。人を待たせるというのが性に合わないのだ。
いそいで参道を下りた。
戻ると友人曰く、「あまりにも遅いんで、昼寝しょうかと思った。」

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home   更新:2011.12.30b 作成:2006.11.07