田村神社【たむら】(滋賀県甲賀市土山町北土山)
参道
国道1号線に面した入り口から参道を進むと、銅の鳥居が見えてくる。
銅の鳥居
参道を振り返る
左手社務所・授与所、右手拝殿。拝殿右手に見える鳥居をくぐって、厄落しの橋を渡ったさらに奥に本殿がある。
厄落しの橋から本殿方向を見る。
厄落しの橋から東方を見る 祠は、田村大神の御分神をお祀りしているとのこと |
境内掲示 この橋の上から願いをこめて流していただく事により厄落としとなります 福豆は社務所にて授与しております ご自分及びご家族の福豆(年令の数)をお受けください 初穂料 百円 厄落しの由来 田村大神ある夜夢の中に悪しき年に當るとも諸々のの災難を除かんは、社前を流る御手洗川に節分の福豆を年の数だけ東向い祈念をこめて流さば禍は流れ去る。之より厄落しとして己が厄災を祓う事が慣例となる。 |
本殿をとり囲む様に水路がある。
拝殿と本殿の間にあるこの水路は水の垣、すなわち瑞垣である。
本殿
由緒
田村神社略記
●祭神及鎮座由来
本神社は坂上大宿禰田村麻呂公倭姫命外数神を配祀し奉る。弘仁三年正月嵯峨天皇勅して坂上田村麻呂公由縁の地土山に鎮祭せられ勅願所に列せられる。実に本社の地は江勢の国境鈴鹿参道の咽喉を占め都より参宮の要衝に当る。古伝鈴鹿山中に悪鬼ありて旅人を悩ます、勅して公を派して之討伐せしめられ其の害初めて止むと、されば数多の行旅の為め其の障害を除き一路平安を保たしめ給う公の遺徳を仰ぎてこゝに祀らる。誠に御神徳の深遠に亘るものというべきであります。
●厄除祭の由来
毎年二月十七、十八日、十九日の三日間、厄除大祭典を執行賽者近県より蒐集し雑沓境内外に溢る。此の祭儀の起源は古く公鈴鹿山道に悪鬼を平定し給いしより五穀豊熟せず疫病流行を極む。弘仁三年正月(旧)詔ありて厄除大祭を挙行せられ其の霊験いやちこなりしより厄除の大神と広く厚く崇敬せられ、広大なる御神徳は大難を小難にと守護し給う厄除の祖神として崇敬せらる。
●厄落としの由来
田村大神ある夜夢の中に申し給うに、いかに悪しき年に当るとも諸々の災難を除かんには社殿前を流るゝ御手洗川に節分の福豆を己が年の数東に向い祈念をこめて流さば凡ての禍は流れ去るとぞ、之より厄落しとて己が厄災を祓うの慣例となったのであります。
●神矢の由来
弘仁元年秋九月勅を奉じて鈴鹿の悪鬼を言向け平げ給いて御弓矢を張り給いて申し給うに、今や悪鬼もなし之より此の矢の功徳を以て万民の災を除かん。此の矢の落ちたる地を吾が宮居として斉き祀れと、放ち給えるに本殿前に落ち不思議や青々と芽出したるとぞ、現存の矢竹であります。茲に大神の御心を心として神矢を謹製す。賽者之を戴き矢の功徳を以て厄災を祓い悪方を除く深き信仰となったのであります。
●祭礼日
厄除大祭 二月十七・十八・十九日
例 祭 四月八日
秋 祭 十一月二十三日
講社祭 七月二十六日
月次祭 毎月十八日
万灯祭 七月二十五・二十六・二十七日
田村神社社務所
滋賀県甲賀市土山町北土山四六九
本殿左手奥に禊場がある。
授与所
厄除祭の賑わいが目に浮かぶ様だ。
吉崎稲荷社
めずらしい住吉鳥居だ。
home 作成:2010.06.15