都久夫須麻(竹生島)神社【ちくぶしま】(滋賀県長浜市早崎町)

竹生島

竹生島へは3回目の参拝である。1度目は今津から、2度目は彦根から、このときは長浜から船に乗った。
名張から約2時間、長浜航路始発9:00の1時間前に着いた。(八日市ICから長浜ICまで高速道路使用)
名張をもう30分遅く出てもよかったのではと思ったが、琵琶湖の風景を眺めているとあきない。
「あれ、彦根城とちがうか?」とFさん。(今回は二人旅)
カメラの望遠レンズを通して見たら、千鳥破風が見えた。遠くに三上山も霞んで見える。
チケット(長浜・竹生島間往復¥2980也)を買いに行ったら、「風が強いので、島におりることが出来ない場合もある」との事。
素人目には大丈夫だろうと思えたので、チケットを購入する。




竹生島

長浜港から30分ほどで竹生島に到着。(港は写ってませんが左手にあります)
中央、岩場の鳥居のすぐ後に龍神拝所、その奥に屋根を葺き替えて間無しの都久夫須麻神社本殿が見えます。
左手には、本殿と船廊下で繋がった観音堂の屋根が見えます。
本殿のさらに上には宝厳寺三重塔が見えます。
宝厳寺は西国三十番札所で、私が最初に竹生島に詣でたのも宝厳寺の御朱印が目的でした。
島内での滞在時間は約80分の予定。今回の参拝は、都久夫須麻神社に特化致しました。Fさんとは別行動でございます。




唐門

国宝の唐門(京都東山の豊国廟から移築したもの)



唐門


唐門

唐門
唐門

唐門内部
この右手に観音堂がある。
観音堂からさらに進むと船廊下を経て都久夫須麻神社に至る。



下から船廊下を見上げる

唐門をくぐらずに、船廊下の下を行く参道もある
船廊下

唐門をくぐり、観音堂を過ぎて都久夫須麻神社本殿へ
船廊下を振り返る。正面は観音堂。

船廊下(重文)は、豊臣秀吉の御座船の船櫓を利用して建てられた伝えられている。




本殿と摂末社

階段上の本殿

階段下左手の鳥居額には「天忍穂耳神社・大己貴神社」、階段下右手鳥居額には「江島大神・厳島大神」と書かれている。




本殿

本殿

御由緒より
竹生島神社の御祭神は、市杵島比売命(弁才天)・宇賀福神(龍神)浅井比売命の三柱の神様を御祀りしております。
市杵島比売命(別名:弁財天・宗像大神)と申し上げ天照大神のお子様で「古事記」によると、海上、陸上の道をお開きになり、
交通安全・開運厄除の神様とされています。また、弁財天は『慈愛』『財施』『安心』のご利益が信仰されています。
宇賀福神(別名:龍神)と申し上げ、五穀豊穣・商売繁盛の神様として広く信仰をあつめています。




本殿

本殿
桃山時代の華麗な建物だ。国宝である。
明治以前は弁才天社と言われ弁才天像を安置していたが、神仏分離令により弁才天像は仏像であるとして、神社と分離した宝厳寺に移された。




龍神拝所

龍神拝所
阿吽ワンセットの狛蛇【こまへび】さんが左右に
龍神拝所より琵琶湖を望む

龍神拝所より、湖面を望む。
白く見えるのは投げられた、かわらけ。
かわらけが鳥居をくぐると願い事がかなうと言われているそうだが、こうして見ると、叶わなかった人が圧倒的に多い様だ。



白巳大神

白巳大神
黒龍堂

黒龍堂
黒龍は、八大龍王の一尊。龍王は、大海に住み雨を降らす神である。また、釈尊の誕生時には歓喜の清浄水(清めの雨)を降らせたと伝えられ、修行者の修道無難、道念増進の守護神でもある。隣に立つ大木は、黒龍が、湖より昇って来ると伝えられる神木である。(境内掲示より抜粋)



招福弁財天像

2001年撮影
招福弁財天像

2011年撮影

白巳大神さんの隣にある招福弁財天



当社で頂いた御由緒には、社名は「竹生島神社」【ちくぶしま】と書かれている。『延喜式』神名帳は「都久夫須麻」と表記して「つくふしま」(九条家本)又は「つくふすま」(内閣文庫本)と訓じている。当社の創立について社記は『総国風土記』などにもとづいて、雄略三年、浅井姫命を祀る小祠ができたのが始まりで、その後天智天皇の志賀宮創建のとき宮中の守護神として市杵島命を祀るようになり、さらに聖武天皇がこの島に参拝して神殿を新築し、社前に天忍穂耳命・大己貴命の両社を創建したと伝える。(日本の神々5)「天智天皇の志賀宮から竹生島はちょうど鬼門に当たり、鬼門には弁才天を祀る慣わしがある。」(竹生島神社宮司さん談)

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home   作成:2011.07.05