佐太神社【さだ】(島根県松江市鹿島町佐陀宮)
駐車場より社殿を望む
神門の背後に、大社造の本殿が北殿(向かって右)・中殿・南殿(向かって左)と並ぶ
中門
南殿(写真手前)と中殿
南殿は、向かって左手に入口がある。大社造としてはめずらしい。
神社掲示
佐太神社御由緒
御祭神
北殿 天照大神【あまてらすおおみかみ】 瓊々杵尊【ににぎのみこと】
中殿 佐太大神【さだおおかみ】 伊弉諾尊【いざなぎのみこと】 伊弉冉尊【いざなみのみこと】 事解男命【ことさかのおのみこと】 速玉男命【はやたまのおのみこと】
南殿 素戔嗚尊【すさのおのみこと】 秘説四座
御神徳・沿革
当社は出雲国風土記に、佐太大神あるいは佐太御子社とあり、三笠山を背に宏大な三殿が相並び、千木高く御鎮座になっているので、佐太三社とも称せられている御社である。
主祭神は佐太大神(猿田毘古大神)、日本海に面する加賀の神埼潜戸に御、誕生になり、古の狭田国開拓の祖神であり、出雲四大神の一柱として崇められ、家内安全・交通安全・五穀豊穣・地鎮・海上安全・厄除等の諸願成就の神として古来深く信仰されてきたのである。
くだって延喜式では、佐陀大社と記され、出雲二宮として仰がれ、後宇多院御領目録によれば佐陀神領七百貫、鎌倉将軍家御教書によれば佐陀神主領二百八十町歩とあり出雲国内諸社の間に特殊の地位を占めてきたのである。
摂末社
田中神社 御本社北殿の摂社で、西社は木花開耶姫命を祀り縁結・安産、東社は磐長姫命を祀り縁切・長寿の信仰がある。
北四社末社−本殿北側に座す、山王社、宇智社、玉御前社、竹生島社。
南四社末社−本殿南側に座す、戸立社、振鉾社、垂水社、天神社。
御社殿
御本殿三宇は各々通殿があり、通殿によって各中門に接続し、中門は翼廊によって互いに連結され、この翼廊より本殿左右を囲む透塀は社後の三笠山に衝き当たってとどまる。本殿は三殿並立で、中央が正中殿、向かって右が北殿、左が南殿、いずれも大社造りで 、このような豪壮な三殿構えは平安末期に成立したようであり、他に類例を見ないもので、神社建築史上特筆すべきことである。現在の御社殿は文化四年の造営であるが、その様式は元亀年間の造営を踏襲して来たもののようである。国の重要文化財に指定されている。
文化財
彩絵桧扇・龍胆瑞花鳥蝶文彩絵扇箱・色々威五十八間筋兜・色々威胴丸・色々威腹巻 (以上重要文化財) 蛭巻薙刀・野太刀・舞楽面・鰐口・線刻十一面千手観音鏡像・着彩阿弥陀来迎図鏡像・御供台(以上県文化財)
佐陀神能(国指定重要無形文化財)
御座替祭・例祭に執行する神事芸能で、その起こりは極めて古いものとされ、出雲流神楽の源流といわれている。剣舞・散供・清目・御座・勧請・手草・八乙女の七座よりなる採物舞と、祝言としての式三番・そして大社(佐陀)真切霊・恵比須・八幡 ・武甕槌・日本武・磐戸・三韓・八重垣・荒神・住吉・厳島の十二座よりなる当社を始め諸社の縁起を演舞する神事舞からなっている。
この日は2001年9月25日だった。写真右からすると例祭が行われていたようだ。
御朱印を頂きたかったのだが社務所には誰も居られず、祭が終わるまで待っていたのを覚えている。
例祭が終わりました
摂末社
お尻を上げた出雲式狛犬がいる
写真:2001.09撮影
home 作成:2015.04.19