国津神社【くにつ】(三重県名張市布生)
境内入り口
境内掲示 国津神社 鎮座地 三重県名張市布生一一二0番地 祭神 大国主命(おおくにぬしのみこと) 建速須盞男命(たけはやすさのおのみこと) 天押雲命(あめのおしくものみこと) 武甕槌命(たけみかづちのみこと) 火之迦具土命(ほのかぐつちのみこと) 由緒 この地は、古くより六箇山に属し、伊勢神宮領にあって布を献上したことにより布乃布と記し、ふのうとよばれるようになった。 六箇山一帯に国津神(地祇神)を祭り、国の豊饒と安全を願ってきたが、当社は国津神を主祭神とする。なお、国津神は大国主命であるとされる。 また平安朝時代すでにこの地に国津祠が建てられていたことが記録されている。 |
拝殿にあった御由緒を転記させて頂きます。
國津神社
当社は大國主命(おおくにぬしのみこと)を主祭神とし、他四柱を祀る布生の氏神さまとして崇敬されています。五柱を総称し布生國津(地祇)大明神と申し上げます。
布生は、かつての六箇山(むこやま)という伊勢の神宮領であり、お伊勢さんに布を献上していたことから布生(ふのう)という地名になりました。東大寺文書にも記録があるように平安時代末期にはすでに鎮座され祭事を執り行っていたことがわかります。10月25日の例祭をはじめ年間十数回の祭事を執り行っています。創祀より五穀豊穣と国家安泰を祈願してきました。折戸川に沿った参道は伊勢本街道へと続き、おかげ参りの盛んな時代には大勢の人々がこの地を通り、川のせせらぎを聞き、現在と変わらない風景を見ながら伊勢に詣でたものと思われます。
10月の例祭宵宮、例祭本宮、12月の除夜祭には氏子の青年で結成する國津神社獅子舞保存会による獅子神楽が奉納されます。例祭宵宮と除夜祭での夜通し山里に太鼓の鳴り響く境内はまるで神々の世界。神様と氏子、崇敬者とが一体となり楽しい時を共に過ごします。
八朔祭【はっさくさい】
八朔祭は八月の朔(ついたち)に執り行われる祭事です。古来より八朔は重要な日とされてきました。それは、八月は稲の結実期であり早稲が熟成しはじめる時期だからです。この布生でも春に植えた稲に穂が出てきています。その稲穂(田の実)を氏神様にお供えし、「順調に実った稲穂が台風で倒れませんように」「秋にお米がたくさん収穫できて、おなかいっぱいごはんが食べれますように」と子ども相撲を見て楽しんでいただき稲のさらなる成長をお願いするのです。秋になってお米がたくさん収穫できると、そのお礼として最初に神様にお供えします。この秋のまつりを新嘗祭(にいなめさい)と言います。このように國津神社の祭事は毎年祈りと感謝をくりかえし執り行われます。
以下省略
天正伊賀の乱で、社殿のことごとくが消失したと伝えられております。その後承応・明暦の頃(1650年代頃)に再建され近郷の氏神として崇敬されてきました。 明治40年10月20日、境内社若宮神社、鹿島神社、区内の愛宕神社、国津神社、同境内社津島神社の五社が合祀されました。
写真:2009.08撮影
home 更新:2009.09.08 作成:2006.11.28