杉谷神社【すぎたに】(三重県名張市大屋戸)
拝殿、その後ろに本殿の屋根がみえる
杉谷神社「由緒略記」より
〔御 由 緒〕
当神社は中世名張郡最大の豪族大江氏の氏神として、永延年間に大江朝臣三河守貞基によって始祖である「天之穂日命」を祀る神社として創建せられたと伝えられる。後に鳥羽天皇の御代に至り勅により菅原道真公の霊を勧請し「椙谷天満宮」と尊称された。
始めは大江一族の鎮守社であったが、菅公祭祀以来名張郡三十余郷の惣社となるに至り、明治四年に社格が制定され「郷社」となる。
祭神は天之穂日命のほか二神であったが、明治四十一年に近隣の村社・無格社を合祀し、以来前記の十二神を祀って現在に至っている。
社殿は、天正の兵火で焼失したため慶長十七年に再建せられて現在に及び、桃山風の建物として三重県並びに名張市の有形文化財に指定されている。また、宝蔵する北野天神縁起三巻の絵巻は同の重要美術品・三重県文化財に指定されている。
杉谷神社「由緒略記」より
〔御 社 殿〕
現在の御本殿は江戸時代初期の慶長十七年の建造で、木造檜皮葺入母屋造の三間社であり、近年になって屋根の檜皮葺に銅板が上葺きされている。
屋根の正面に入母屋を付け、向拝正面に軒唐破風を設け桁構間蟇股を四方に飾り、頭貫木鼻は各柱共之を出し、角柱は頭貰を以ってつなぎその上に台輪がおかれている。また虹梁を用いていない。
全体に装飾は華麗で、桃山様式を象徴する造りになっており、右の様式から桃山時代の建物が再建されたものと推定されている。
拝殿前を右に回り込む。右手、木の根元に山ノ神。
本殿、撞木造の屋根に千木が三つ
拝殿前を左手に回り込み左手から本殿を拝す
本殿
境内看板より
県有形文化財(建造物)指定
中世名張郡最大の豪族大江氏の氏神とされる杉谷神社は、木造桧皮葺で三間社(三間柱の社)、入母屋造りで、向拝正面に軒唐破風を設けています。各所に透かし彫りの蟇股を設け板支輪にも彫刻を施すなど、華麗な桃山様式を象徴する造りになっています。慶長一七年(一六一二年)の棟札などから、桃山時代に建立した社殿を宝永年間に改修したことが窺えます。
紙本着色北野天神縁起 三巻
県有形文化財(絵画)指定
菅原道真をまつる北野天満宮の縁起絵巻です。優れた才能をもち異例の出世をする道真が、中傷により太宰府に左遷されて死亡し、その後に怨霊となって猛威をふるい、やげて北野天満宮にまつられる理由と、天神の霊験利益の数々が描かれています。奥書によると、杉谷神社に所蔵されていた絵巻が散逸したため、応永二六年(一四一九年)に急造したとあります。紙は粗末で絵も粗雑ですが、詞書は流麗な筆跡で書かれています。
大般若経 一巻
市有形文化財(書跡)指定
市内最古の経巻であり、平安時代の写経といわれ全国的にも貴重なものです。黄紙紋表紙に木版の題せん(表紙に書名を記して貼付する紙片)が付いています。奥書に杉谷神社の名があることから、平安時代には杉谷神社がすでに存在していたことが立証されます。
平成十四年三月
名張市教育委員会
写真:2012.06撮影
home 更新:2012.06.03b 作成:2005.08.20