箕輪神社【みのわ】(三重県名張市箕曲中村)
参道入り口
境内入り口
拝殿
祭神 応神天皇【おうじんてんのう】 宇迦之御魂神【うかのみたまのかみ】 五男三女命【ごなんさんじょのみこと】 建速須佐之男命【たけはやすさのおのみこと】 大物主命【おおものぬしのみこと】 火之迦具土神【ほのかぐつちのかみ】 大山祇命【おおやまづみのみこと】 天手力男命【あめのたぢからおのみこと】 |
左手前は拝殿、奥に本殿。右手前は山ノ神社。 |
当社は、八幡神社という名で往古から現在地に存在しておりました。明治41年1月21日、区内の稲荷神社、八柱神社、蔵王神社、金刀比良神社、山神社三社を合祀して箕輪神社と改称されました。
旧八幡神社の由緒に二通りの伝説が伝わっております。
「社伝に曰く。弘仁九年戊戌(818年)春天下大いに疫し、本州(伊賀)もっとも甚し。天皇(嵯峨)大中臣冶磨呂(神祇伯)をして本州に至らしめ、鎌倉八幡を勧請し、郷中一社を建てしむ。本社すなわちその一社なり。」(伊賀国誌草稿)
「当村の郷士中村氏一社を勧請ありしその由緒たる永禄年間(1560年頃)相州鎌倉鶴岡八幡宮に参詣して分霊を乞い、神前に誓告す。時に感応ましましたまい小祠を授く。元来中村氏は弓矢の達人にて蟇目の秘伝を学べり。この一社を設立し、蟇目の方変を以て弓矢八幡宮と称号し鎮守神と祭祀するところ、天正伊賀乱織田信雄のため、時移り代変わりて暫く中絶す。ようやく天下静謐に及びたれば寛永年中民戸人はいよいよ増せるにより、産土神の一社建立せんと産子ら敬神の誠を専らにし、爾来毎年祭典の儀式中村氏の執行せられし如く・・・・・
祭典の執行たるや、鶴岡より遷座の古式に怠らず。古人の口碑に明なり。境内に松の大木あり。今に至り祭日には該木の下にて鶴の舞を踏轟かし行い廻ると」(「明細帳」)
home 作成:2007.07.15