鹿高神社【かたか】(三重県名張市安部田)

宇陀川左岸にある鹿高神社の鳥居

宇陀川左岸にある鹿高神社の鳥居
板蠅杣【いたばえのそま】の用材の集積地はこの辺りだったと言われている。
用材は宇陀川から名張川・木津川と流され、木津で陸揚げされて奈良の都へ運ばれた。

鳥居左手にあるのは本居宣長の菅笠日記の碑

菅笠日記
名張より又しも雨ふり出て、此わたりを物する程はことに雨衣
【あまぎぬ】もとほるばかりいみじくふる。かたかといふ所にて、
きのふ今日 ふりみふらずみ 雲はるゝ ことはかたかの 春の雨かな
本居宣長


と書かれている様です。(Taiju's Notebook/日本古典文学テキストを参考とさせて頂きました。)




参道と神社の杜

参道と鹿高神社の杜
奥に見える鳥居の前に国道165号線が通る。
国道沿いにある鳥居

国道165号線に面した鳥居




境内

境内




拝殿

拝殿




本殿

本殿
掲示

鹿高神社
三重県名張市安部田字大殿鎮座
御祭神
 鹿高神【かたかのかみ】
 天児屋根命【あめのこやねのみこと】
 蛭子命【えびすのみこと】
 五男三女神【ごなんさんじょのかみ】
 応神天皇【おうじんてんのう】<BR>
 建速須佐之男命【たけはやすさのおのかみ】
 大物主命【おおものぬしのみこと】
 菊理比売命【きくりひめのみこと】
 宇迦能御魂神【うかのみたまのかみ】
 奥津比古神【おくつひこのかみ】
 奥津比売神【おくつひめのかみ】
 大日■貴神【おおひるめのむちのかみ】
(■:「雨」冠+「口口口」+「女」)
 八意思兼神【やごころおもいかねのかみ】
 火之迦具土神【ほのかぐつちのかみ】
 大山祗神【おおやまつみのかみ】
 大綿津見神【おおわたつみのかみ】

御由緒
當社の主神「鹿高ノ神」は三代實録に貞観十五年九月正六位から従五位下に進められ給へる由を記された国史現在の神で安部田村由来記には「慶雲三年三月鹿高ノ神を斎る」とある。往古より村の守り神知謀学徳の神として御神威を発揮され多くの信仰を集めている。明治四十、四十一年に地元各地に点在の無各社を合祀し御祭神「鹿高ノ神」の名を戴いて鹿高神社と称し現在に至る。
例祭 十月二十日二十一日



摂末社

摂末社
名張地方に分布する春日神社の一つです。春日四神の内、天児屋根命一神しかいないのは、祭神届出の脱漏によるものとのこと。明治末年の合祀までは、名称も春日神社でした。

明治40年10月15日、以下の神社が鹿高神社に合祀されております。
  蛭子社   (境内社)
八柱神社   字柳屋敷
  津島神社  (境内社)
八幡神社   字蔵ノ垣内
八幡宮社   字花山
八幡宮社   字梁瀬
金刀比羅神社 字錦
金刀比羅神社 字花山
白山神社   字錦
稲荷神社   字錦
稲荷神社   字梁瀬
稲荷神社   字鹿ノ里
  金刀比羅神社(境内社)
  愛宕神社  (境内社)
  八幡宮社  (境内社)
海神社    字錦
水神社    字中溝
竈神社    字錦
厳島神社   字叶田
智護神社   字池ノ尻
山神社    字蔵ノ垣内
山神社    字高塚
明治41年3月5日以下の神社が合祀されております。
海神社    井手字立石


境内看板より
名張市指定史跡
鹿高神社境内古墳
 鹿高神社境内には前方後円墳一基と円墳二基の三基の古墳が所在する。
 社殿後方の丘陵頂部に位置する鹿高神社境内古墳は全長42メートルの前方後円墳で、前方部と後円部2ヶ所に横穴式石室が開口する数少ない形式の古墳であり、昭和四五年九月七日に名張市の文化財に指定されている。
 後円部の石室は、全長9.8メートルで、一辺2メートル前後の大きな石材で築かれている。前方部の石室は、全長7.65メートルで、一辺50センチ前後の小さい石材で築かれている。
 出土遺物は、後円部石室から出土した須恵器の台付長頸壺、広口壺と墳丘で確認された埴輪円筒の破片などがある。
 この古墳は、出土遺物から六世紀中頃の築造と推定され、名張盆地を治めた首長層を葬ったものと考えられる。
名張市教育委員会
鹿 高 神 社

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写真:2011.10撮影
home   更新:2011.10.23c 作成:2005.09.25