勝手神社【かって】(三重県名張市黒田)
参道入り口
ミツバツツジが美しい参道、桜の花びらを敷きつめた参道
初めて黒田勝手神社に参拝したおり、沢山のミツバツツジの木が目に入りました。花の咲く時期だったらさぞ美しいだろうなぁと思い、タイミングを見計らって再度参拝に訪れたら、期待を裏切らない美しさでした。掲載の写真は7度目の参拝のおりに撮影したものです。
拝殿に至る階段 鳥居左手後方の燈籠は県の文化財です。 |
燈籠の前の石柱には 「史跡錦生村勝手神社境内之石燈籠 三重懸」の文字 鳥居左手にある鳥居に関する掲示 石燈籠(一基) 県有形文化財(工芸)指定 総高約一七0.五cmの六角型石燈籠で、反花の基礎の上に竿受座を置いている。竿は高さ六0.六cm、上すぼみの丸形で三節を有する。中台は高さ一七.六cm、この燈籠の美的中心であって、火袋受座に向かって上すぼみに形が整っており、竿当座の上に蓮華座がある。写実的な作風で、中台の一辺は二区に仕切って四つ目菱が一つずつ彫られている。 火袋は、一辺一九cm、高さ二四.三cmの六角柱で、火口、無地、窓の順に繰り返されている。笠は、高さ二六、七cm、宝珠受花と笠との接点に約一cmの落ち込みがあって、勾配が急なためこの燈籠に一種の威圧感を与えている。宝珠は五輪塔空風型である。 この燈籠は、銘はないが、南北朝時代の作と推定される。 勝手神社は、一二00年前に東大寺黒田荘無動寺の僧、実誉上人が吉野より勧請し、同寺の鎮守としたの始まると伝える。 昭和十六年九月十六日県指定 平成九年種別名称変更 名張教育委員会 勝手神社 |
境内石碑 祭神 大物主神【おおものぬしのかみ】 天忍穂根命【あめのおしほねのみこと】 大日■貴命【おおひるめむちのみこと】 (■:「雨」冠/「口口口」/「女」) 五男三女神【ごなんさんにょのかみ】 健速須佐之男命【たけはやすさのおのみこと】 伊邪那岐神【いざなぎのみこと】 伊邪那美神【いざなみのみこと】 蛭子命【ひるこのみこと】 月夜見命【つきよみのみこと】 頼政之霊【よりまさのみたま】 大山祇神【おおやまつみのかみ】 菊理比賣命【くくりひめのみこと】 應神天皇【おおじんてんのう】 火之迦具土神【ほのかぐつちのかみ】 天押雲神【あめのおしくものかみ】 奥津日古神【おきつひこのかみ】 宇迦能御魂神【うかのみたまのかみ】 豊日■神【とよひめのかみ】 (■:「雨」冠/「口口口」/「女」) 水波能賣命【みずはのめのみこと】 春祭(新年祭)二月十七日 例祭 十一月三日 秋祭(新嘗祭)十一月二十三日 |
社殿 |
名張には勝手神社が二社ありますが、その中の一社、黒田にある勝手神社です。
現在の勝手神社の社地には、もともと金比羅神社(コンピラサン)がありました。参道入り口近くにある石碑には、最上部に「金比羅神社」と右から左に横書きされております。(縦書きの碑文は「明治参拾四年八月建立 石段新設発起記念碑 黒田有志発起人」と読めました。)拝殿にも金比羅神社の額があります。
●明治40年11月18日、以下の神社を金比羅神社に合祀して勝手神社と改称する。
勝手神社 黒田字堂ヶ谷(明治39年12月10日、白山神社・若一神社を合祀済み)
神明社 境内社
八柱神社 境内社
山神社 黒田字堂ヶ谷
八幡宮社 黒田字溜り
山神社 黒田字尻江
八幡宮社 黒田字堂ヶ谷
●明治40年11月25日、以下の神社を勝手神社に合祀する。
六所神社 黒田字尻江
八柱神社 境内社
●明治41年1月23日、以下の神社を勝手神社に合祀する。
八柱神社 結馬(明治40年6月6日、濱岩神社・山神社を合祀済み)
竈神社 結馬
白山神社 井手
八幡神社 境内社
津島神社 境内社
愛宕神社 境内社
稲荷神社 境内社
●明治41年1月28日、以下の神社を勝手神社に合祀する。
桶子神社 井手
境内からの見晴らしも素晴らしいです。
手前に見える街並みは箕輪地区、その奥は百合が丘団地、一番高く見える山は尼ヶ岳。
←地図写真:2010.04撮影
home 更新:2010.10.09c 作成:2005.06.12