市場庄町【いちばしょうちょう】の山ノ神
忘井の後方やや右手に山ノ神碑がある
神籬のように石にかこまれて碑が安置されている
山ノ神碑アップ
忘井の情報も以下に記す
忘井
掲示 忘井 市指定史跡 昭和三十七年十一月十五日指定 時 代 平安時代 別れゆく 都の方の恋しさに いざ結びみん 忘井の水 この和歌は、斎王群行に同行した女官甲斐【かい】の詠んだ歌である。 古代、天皇の即位ごとに伊勢神宮の斎宮(多気郡明和町)へ斎王となる皇女が派遣され、その行列を斎王群行と言った。 天仁元年(1108)の卜定【ぼくじょう】(占いの儀式)により天永元年(1110)九月に群行が催された。 女官甲斐は、伝説上の斎王を除き、大来皇女【おおくのひめみこ】が斎王に選ばれてから四三五年後の斎王、あい【女+旬】子内親王(在任期間1108〜1123)に従って壱志駅家【いちしのうまや】(現松阪市曽原町付近とする説と松阪市嬉野宮古町付近に当てる説とがある)の頓宮に一泊し、この忘井を通った際、都を離れはるばると伊勢の地に来て、望郷の念やみがたく涙とともにこの歌を詠じたといわれている。 二00六年十一月十七日 松阪市教育委員会 |
写真:2020.09撮影
home 作成:2020.09.06