貴船神社奥宮【きふねじんじゃおくみや】(京都市左京区鞍馬貴船町)
奥宮参道入り口
鳥居右手燈籠の陰に「思ひ川」と刻印された石碑がある。
鳥居の直ぐ後ろに橋がかかっているが、思ひ川とはその下を流れる小川の事なのだろう。
境内掲示
思ひ川
夫・橘道貞の愛を取り戻そうと思い悩んでいた和泉式部は、貴布禰詣でを思い立ちました。当時は奥宮が本社で、参拝者はこの谷川で手を洗い、口をすすぎ、身を清めてから参拝しました。
この谷川は禊(みそぎ)の川、物忌(ものいみ)の川だったのです。和泉式部もここで身を清めて恋の成就を祈ったのでしょう。
禊の川だった「おものいみ川」が、和泉式部の恋の話と重なり、いつの頃からか「思ひ川」と呼ばれるようになりました。
遅桜なほもたづねて奥の宮
思ひ川渡ればまたも花の雨
虚子
つつみヶ岩
舗装道路と平行に参道が続く
神門が見えてきました
神門
境内掲示 貴船【きふね】神社奥宮 当地は、貴船神社が当初創建されたところで、当社の祭神も本宮と同様、雨や水をつかさどる神・高[雨/口口口/龍]神【たかおかみのかみ】である。 社殿によれば、「反正天皇の時代(五世紀初め頃)に、玉依姫【たまよりひめ】(神武天皇の母)が黄船に乗って浪速(大阪)から淀川、鴨川、貴船川をさかのぼって当地に上陸したが、そこに祠【ほこら】を営んで水神をまつったのが当社の起こりである」とのことで、地名及び社名の起源をこの「黄船」にもとめている説もある。 境内の本殿横には、この伝説にまつわる船形石があり、これを積み囲んだ小石を持ち帰ると航海安全につながるとされた。 また、本殿下には巨大な龍穴(縦穴)があり、文久年間(十九世紀中頃)の本殿修理の際、大工があやまってノミをこの中へ落としたところ、一天にわかにかき曇り、風が吹きすさんで、ノミを空中へ吹き上げたという。 このほか、宇治の橋姫の奇談や和泉式部の恋願成就など、当社にまつわる逸話は数多い。 なお、当社境内周辺には一九八五(昭和六0)年六月に京都市指定天然記念物に指定されたカツラをはじめ、高木が数多く見られ、自然の宝庫としても興味深いところである。 京都市 |
本殿の前に拝殿があるのだが、修理中(新築?)のためシートが被せてあった。
船形石 奥は本殿 |
船形石 玉依姫命が乗ってきた黄船を、石で積み囲んだものと言う。 長さ10m・幅3m・高さ1.5mある。 左祠:末社吸葛社 祭神:味鉏高彦根命【あじすきたかひこねのみこと】(古伝に百太夫) 右祠:末社鈴市社 祭神:姫蹈鞴五十鈴姫命【ひめたたらいすずひめのみkと】 |
末社 日吉社 祭神:大物主命【おおものぬしのみこと】 (古伝に大山咋神【おおやまくいのかみ】) 後方の注連縄が巻かれた木は連理の木 境内掲示 連理の杉(御神木) 貞明皇后御参拝の折(大正十三年)賞賛された連理の杉。連理とは、別々の木が重なって一つになる意で、夫婦、男女の仲睦まじいことをいう。この神木は、杉と楓が和合したもので、ひじょうに珍しい。 |
貴船神社は、もともと現奥宮の地にあった。永承元年(1046年)と天喜三年(1055年)の二度にわたり、洪水により社殿を流失した。よって、天喜三年に旧地(現奥宮)から500m離れた現在地に社殿が新築された。
境内掲示
貴船と「鉄輪」【かなわ】伝説
当社は古来より水ノ神として崇敬され、祭神として高[雨/口口口/龍]神【たかおかみ】を祀り、心願成就信仰としての「丑ノ刻詣」で知られている。むかし宇治の橋姫が丑ノ刻(午前二時)詣りをして男に呪いをかけた伝説があり、これをもとにつくられたのが謡曲「鉄輪」で、橋姫が頭にのせた鉄輪を置いた鉄輪掛石が叡山電鉄・貴船口駅の傍らにある。丑ノ刻詣りは祭神が国土豊潤のため、丑年丑月丑日丑刻に降臨されたと伝えられる古事によるもので、人々のあらゆる心願成就に霊験あらたかな事を示すもので、単にのろいのみにとどめるべきものではない。
謡曲史跡保存会
呪いの藁人形(国立民族学博物館にて撮影2019.09)
鳥山石燕画「丑時参」
home 更新:2010.10.15a 作成:2009.08.02