橋姫神社【はしひめ】(京都府宇治市宇治蓮華)
神社入り口 |
元は宇治橋の、この出っ張り部にあったという |
左:橋姫社 右:住吉社 覆い屋の中にある。
橋姫社 | 住吉社 |
境内掲示
橋姫神社
古代より、水辺、特に橋は心霊が宿るところとされており、橋姫はその守り神です。
瀬織津比め[口+羊]【せおりつひめ】を祭神とする橋姫神社は、明治3年の洪水で流失するまでは宇治橋の西詰にありました。境内には橋姫神社とならんで、同じく水の神である住吉神社が祀られています。
交通の要衝として発展してきた宇治にとって、宇治橋はとりわけ大きな意味を持っており、橋姫神社を巡って数々の伝承を生み出しています。
また、宇治が主要な舞台となっている、源氏物語宇治十帖の第一帖は「橋姫」と名付けられており、橋姫神社はその古跡となっています。
源氏物語 宇治十帖(一)
橋姫
「その頃、世に数【かず】まへられ給はぬふる宮おはしけり。」と「宇治十帖」【うじじゅうじょう】は書き始められる。
光源氏【ひかるげんじ】の異母弟の八宮【はちのみや】は、北方【きたのかた】亡き後【あと】、宇治の地で、失意と不遇【ふぐう】の中に、二人の姫君【ひめぎみ】をたいせつに育てながら、俗聖【ぞくひじり】として過ごしておられた。世の無情を感じていた薫君【かおるのきみ】は、宮を慕って、仏道修業【ぶつどうしゅぎょう】に通い、三年【みとせ】の月日がながれた。
晩秋の月の夜、薫君は琵琶と琴を弾かれる姫君たちの美しい姿を垣間見て、「あはれになつかしう」思い、
橋姫の心をくみて高瀬さす
棹【さお】のしづくに袖ぞぬれぬる
と詠【よ】んで大君【おうぎみ】に贈った。
出家を望まれる八宮は、薫君を信じ、姫君たちの将来をたのまれる。その後、薫君は、自分が源氏の実子ではないという出生の秘密を知ることになる。
昭和五十九年十一月三日
(財)宇治市文化財愛護協会
橋姫伝説
京は下京、樋口の辺りに山田左衛門国時という者がいた。左衛門、妻がありながら別に女がいた。妻は公家の娘だった。女と別れるよう夫を説得するが、一向に埒があかない。嫉妬に狂った妻は貴船明神に丑の時参りを行う。丑三つ時、夜道を一人貴船明神へ足をはこぶ。社前で「南無帰命頂礼、貴船明神、願はくは、生をば、変へずして、生きながら、この身を、悪鬼となしてたびたまへ、我ねたく思ふ者に、恨みをなさん」と7日間祈請した。満願の日の7日目の夜、貴船明神の社で、通夜のお籠もりをしていたところ、神社の男みこ(かんなぎ)の夢に鬼が現れて「望みをかなえる」との託宣が下る。「赤い衣を身にまとい、顔には丹(朱)を塗り、手には鉄杖を持ち、髪を七つにわけ(角のかたちにつくり)、頭には金輪を戴き、その三つの足に火をともし、宇治の川に行って、二十一日間ひたれ、されば、生きながら鬼に変じるであろう」と、その方法を伝授する。かんなぎがこの夢中の託宣を女に伝えると、女は直ちに帰宅し、言われた通りに身をつくろうと宇治に向かった。そして二十一日目、満願の日となり、女は生きながら鬼となった。
夫の左衛門、最近夢見が悪いことに不審をいだき、安部晴明のところへ行って夢解きをしてもらう。女の恨みを買い、今夜の内にも命を落とすかもしれないと判じた晴明は、左衛門に厳しい物忌みをするよう命じて、自らは鬼神退散の祭儀を執り行った。
そんなとき、鬼女が左衛門の部屋に押し入り枕元に立った。「あらうらめしや、捨てられて、思ひの涙に沈み、人を恨み、夫をかこち、ある時は恋しく、又、あるときは恨めしく、起きても、寝ても、忘れぬ報いは、今こそ白雪の、消えなん命を、今宵ぞ、いたはしや、悪しかれと思はぬ山の、峰にだに、人の嘆きは、多かるに、いはんや、年月思ひに沈む、恨み数つもつて、執心の鬼と成りたるも、ことわりなれ、いでいで、さらば命をとらん」と、左衛門をとって行こうとした。瞬間、枕元に三十番神が出現し、「妄霊鬼神はけがらはしや、退散せよ、退散せよ」と責め立てた。さしもの鬼女もたまらず、思いを晴らせないまま退散し、左衛門は命拾いをしたのだった。
退散したものの、燃え盛る恨みの念を少しでも鎮めようと、鬼女は夜な夜な洛中に出没し、男がいれば女に化け、女がいれば男に化けて近づき、その命を奪い取った。このため、洛中では夜になると人っ子一人通らないありさまであった。
これを聞いた帝は、源頼光を召して鬼神を平らげよとの勅命を下す。頼光は、配下の渡辺綱【わたなべのつな】と坂田公時【さかたのきんとき】に退治を命じる。洛中に繰り出した二人は、法城寺の辺りで鬼女に出会う。「鬼神は、この(二人の)いきほひに、おそれて、二人をはなし、宇治川をさして、逃げ行くを、逃がさじと、追ひかければ、鬼神かなはじと思ひけん」かなわないと思った鬼女は、「今から後は災いをなさないので、どうか私を弔って欲しい。これからは王城を守る神となろう。」と言い放って宇治川の水の中に姿を消したのだった。それを帝に奏上したところ、帝は、弔いのため、百人の僧に供養のための法華経を誦させた。ところが鬼女は、それに感謝しつつも、帝のもとに仕える女房の夢枕に立ち、宇治川のほとりに社を建て、私を祀ってほしいと頼む。帝は安部晴明を召して、宇治川のほとりに一社を設け鬼女を宇治の橋姫と名付けて祀るよう命じた。「諸人、これを仰ぎ奉る。一たび願ひをかくる者、その願成就せずといふことなし、今の世までもあがめけるとかや」
日本妖怪異聞録(小松和彦著 講談社学術文庫)から引用致しました。
呪いの藁人形(国立民族学博物館にて2019.09撮影)
鳥山石燕画「橋姫」
home 更新:2019.10.15b 作成:2009.12.31