木嶋坐天照御魂神社【このしまにますあまてるみたま】(京都市右京区太秦森ヶ東町)
蚕の社【かいこのやしろ】
境内入り口
小さい社名標には「養蚕神社」【こかいじんじゃ】の文字。蚕の社とも呼ばれる由縁だ。
神社への道を尋ねる場合、蚕の社と聞く方が通りが良いようだ。近くの京福電鉄の駅名も「蚕ノ社」。
2012年6月10日、先輩のFさんと二人で参拝した。私は9年ぶり、Fさんは初めての訪問だ。
今回京都ウォーキングも目的の一つなので、JR花園駅から歩いて当社にたどり着いた。
このあと、広隆寺・大酒神社・蛇塚・車折神社等を回ったのが、まだ余力があるというので野々宮神社、落柿舎方面まで歩くことになる。
大きな白木鳥居、奥に拝殿が見える
境内掲示
木嶋坐天照御魂神社【このしまにますあまてるみたま】(蚕の社【かいこのやしろ】)境内
この神社は、通称「木嶋神社」又は「蚕の社」と呼ばれる延喜式内社で、天御中主命【あめのみなかぬしのみこと】・大国魂神【おおくにたま】・穂々出見命【ほほでみ】・鵜茅葺不合命【うがやふきあえず】を祀っている。
『続日本紀』大宝元年(701)4月3日の条に、神社名が記載されていることから、それ以前に祭祀されていたことがわかる古社である。
この嵯峨野一帯は、古墳時代に朝鮮半島から渡来し、製陶・養蚕・機織などにすぐれた技術をもっていた秦氏の勢力圏で、当神社本殿の東側には織物の祖神を祀る蚕養神社【こかい】(東本殿)があり「蚕の社」もそれにちなんだ社名である。
この神社は、古くより祈雨【きう】の神として信仰厚く、参詣の人も多かったことが平安時代に書かれた『日本三代実録』や『梁塵秘抄』【りょうじんひしょう】などの文献からうかがい知ることができる。
社殿は明治以後のもので、本殿・東本殿・拝殿などがあり、社殿を取り囲むように巨樹が繁殖している。本殿の西側には四季湧水する「元糺の池」【もとただす】という神池があり、天保2年(1831)に再興された京都三鳥居の一つとされる石製三柱鳥居が建つ。
例祭は、毎年10月10日が(に?)行われるが、夏期土用の丑の日には、この池に手足を浸すと諸病によいという庶民信仰がある。
市内でも最古に属する当神社は、境内から清泉が湧き、巨樹が繁茂して古来の姿をよくとどめており、京都発展に大きな役割を果たしてきた秦氏との関連を含め、大へん貴重なものとして昭和60年6月1日に京都市の史跡に指定された。
指定面積11.131㎡
京都市
樹木の多い境内
社名の通り、街の中に浮かんだ木の島である。昔は、大きな泉の中に当社が浮かんでいたとも言われる。
手水鉢には「かいこのやしろ」の文字
拝殿付近から本殿方向を見る
本殿(木嶋坐天照御魂神社) |
東本殿(養蚕【こかい】神社) |
玉垣内の摂末社
本殿左手(西方向)に三柱鳥居が見えます
三柱鳥居・元糺池への入り口
元糺の森にある池(開発の影響で水が涸れている)と、奥に三柱鳥居
『都名所図絵』(江戸時代)には川のように水が湧き出しているさまが描かれている。
「日本の神々5」において大和岩雄氏は以下のように述べている。
「タダス」は朝日の「直射す」【たださす】の意味であろう。
四明岳(比叡山の最高峰)山頂--糺の森(下社・河合社)--元糺の森(天照御魂社・蚕の社)--日埼峯(松尾大社旧跡)が上図の様に一直線に並ぶが、この線は、日枝山の四明岳に昇る夏至の朝日の遙拝線にほかならない。冬至に松尾山の日埼峯に日の入りする遙拝線でもある。
お稲荷さんが集められている区域への入り口
home 作成:2013.03.03