東三条大将軍神社【ひがしさんじょうたいしょうぐん】(京都府京都市東山区長光町)
東側の境内入り口
境内掲示 御祭神 素盞嗚尊【すさのおのみこと】 相殿関白太政大臣藤原兼家公神像 由緒 人皇五十代桓武天皇平安遷都の初め王城四隅に素戔嗚尊を鎮祭四方の和魂を天王と称し四隅の荒魂を大将軍と称された当地は其の東南隅の大将軍である。永祚【えいそ】(989〜990年)の初め関白太政大臣藤原兼家公は此所に館を建てられた。東三条殿是である。 其の後御子関白太政大臣藤原道長公父君の神像を画しこれを合祀し東三条殿の鎮守となされた。館舎は保元応仁の乱にて廃壊し旧録社記は散失したが社殿は此所の旧地に往年より鎮座の儘である。 |
境内掲示 大将軍神社 素盞嗚尊【すさのおのみこと】を主神とし、相殿に関白藤原兼家を祀る。 桓武天皇が平安京を造営した際、大内裏鎮護のため四方四隅に祀られた大将神社のうち、東南隅の一つである。 特に平安京東のこの地は、三条口の要地にあたり邪霊の進入を防ぐ意を以て重要視されてきた。 このあたりに建てられた藤原兼家邸は、応仁の乱で廃懐したが、境内に東三条社として名跡を留めている。又、樹齢八〇〇年と伝える銀杏の大樹があり、かつては鵺【ぬえ】の森とも呼ばれ、源頼政の鵺退治の伝説を偲ばせる。 京都市 |
境内北方向を見る
本殿を西側から見る
牛頭天王には八人の子供がいるそうです。八人の子供達は色々な名前で出てきますが、八将神もその一つです。牛頭天王と八王子を親子共々お祀りする場合が多いですが、子供達が独立してお祀りされる場合もあります。当社の社名から、もとは八王子の一柱大将軍をお祀りしていたのではないかと考えられます。牛頭天王が素戔嗚尊と習合したように、大将軍も素盞嗚尊と習合したことになるわけですね。
八将神
太歳神【たいさいしん】 | 歳星【さいせい】(木星の精) | 吉神。その年の十二支の方角に遊行する。 |
大将軍【たいしょうぐん】 | 太白星【たいはくせい】(金星の精) | 凶神。3年間同じ方位に留まる。 |
太陰神【たいおんしん】 | 鎮星【ちんせい】(土星)の精 | 縁談/出産は凶、芸術/学問は吉。 |
歳刑神【さいきょうしん】 | 辰星【しんせい】(水星)の精 | 凶神。種蒔き/伐木は凶。 |
歳破神【さいはしん】 | 鎮星【ちんせい】(土星)の精 | 凶神。土を起こし、移転するのは凶。 |
歳殺神【さいさつしん】 | 螢惑星【けいわくせい】(火星)の精 | 凶神。婚姻・造作などは凶。 |
黄幡神【おうばんしん】 | 羅[目+侯]星【らごうせい】の精 | 土木建築は凶。弓始め(神事)に弓を射れば吉。 |
豹尾神【ひょうびしん】 | 計都星【けいとせい】の精 | 不浄を嫌う神。家畜類を求めたり、大小便をすると凶。出産や結婚も凶。 |
「図解陰陽師」(高平鳴海 編) 新紀元社を参考としました。
荒熊稲荷社 左は手水舎
隼社
白龍辨財天社
東三條社
大阪天満宮の大将軍社 大将軍を祀る社を初めて見たのは、大阪天満宮の境内だった。「なんだ!大将軍?これはなんなのだ!?」という感じだった。その後、京都の藤森神社【ふじのもり】でも大将軍社を見た。 興味を引かれ、当社大将軍神社にお参りするきっかけとなった。 大阪天満宮の大将軍社掲示 大将軍社 「八衢比古神【やちまたひこのかみ】、八衢比売神【やちまたひめのかみ】、於富加牟津見神【おほかむつみのかみ】、久那斗神【くなどのかみ】 当宮(大阪天満宮)地主神として孝徳天皇の御代豊崎皇居の四方に鎮護神として奉祀せらる。 現地名南森町は往古大将軍の森と称せられた。 |
home 更新:− 作成:2014.02.09