伏見稲荷大社【ふしみいなり】(京都市伏見区深草)
表参道入り口
楼門 |
楼門内にあ随身【ずいしん】
左手前は外拝殿、右奥は内拝殿。
内拝殿 |
本殿
祭神
(本殿内の神座)
(中央座) 宇迦之御魂大神【うかのみたまのおおかみ】倉稲魂神とも書かれております。
(北 座) 佐田彦大神【さたひこのおおかみ】 猿田彦命とも書かれております。
(南 座) 大宮能売大神【おおみやめのおおかみ】 大宮女命とも書かれております。
(最北座) 田中大神【たなかのおおかみ】
田中大神は大己貴神【おおなむちのかみ】と同一神であるとの説があります。
(最南座) 四大神【しのおおかみ】
四大神とは、五十猛命【いたけるのみこと】・大家姫【おおやつひめ】・柧津姫【つまつひめ】
・事八十神【ことやそがみ】の四柱だとする説、一柱だとする説があります。
名に「ウカ」「ウケ」「ケ」を持つ神は食物神と言われており、宇迦之御魂大神・保食神【うけもちのかみ】・大気津比売神【おおげつひめのかみ】・豊受大神【とようけのおおかみ】は同一の神とする説があります。とすると、宇迦之御魂神は女神様なのだ。以前何かの本で、稲を背負った老翁として稲荷神を描いた図を見たことがあります。私の稲荷神のイメージはこの時出来上がったが、女神様の方が好みなので修正致しました。真言密教においては、神仏習合で荼枳尼天を稲荷神としております。やはり女神様だ。
以上の五柱を総称して稲荷神と呼ばれております。本殿中央座にお祀りされている宇迦之御魂神が主祭神であることから、もともとは一座だったと考えられております。 「文徳実録」という書物の天安元年(857年)の記録には三座とあり、延長五年(927年)に完成した延喜式の神名帳にも三座と記録されているそうです。三座とは、宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能売大神と考えられております。藤原頼長の日記「台記」の久安四年(1148年)四月の条に、稲荷の五社に参拝奉幣の記事があり、後白河上皇編纂の「梁塵秘抄」に「稲荷をば 三つの社と聞きしかど 今は五つの社なりけり」という今様があるそうです。九世紀頃に三座となり、十二世紀頃に田中大神、四大神が加わり五座になったと考えられます。
本殿
参拝記
1998年、予習も無しに伏見稲荷大社に初めて参拝しました。もっとも、予習をしないのは今に始まった事ではなく、小学校以来の習慣であります。
その日は、偶然祭の日でした。そしてこれまた偶然も偶然、同じ会社に勤めている先輩2人に出会ったのだ。この人達は、地域の代表として伏見稲荷にお参りされたとのこと。稲荷信仰の裾野の広さを思った。それにしてもこの人出の中、野球帽にサングラスの私をよく見つけて下さった。
御朱印を頂こうと社務所に行ったら、「こちらは違いますよ」と神職の方が言われる。後に、そこは荷田春満【かだのあずままろ】を祀る東丸神社と知ったのですが、その時私は「伏見稲荷大社の御朱印をお願いします。」と言った訳ではありません。以前から、間違えて来られる方が沢山おられた結果なのでしょう。
楼門をくぐり本殿にお参りして、まあ奥宮まで足をのばしたのは良いとして、それで参拝を終えていたのなら、その後すっきりとした気分で生活できたと思います。だが、私はお山巡りをしてしまったのです。
伏見稲荷大社に鳥居が沢山あることは予習をしなくても知っておりました。稲荷山の巡拝コースに次から次と、これでもか、これでもかと鳥居のトンネルが表れても、心の準備が出来ておりましたので受け入れることができました。
が、しかし、これら(お塚)はいったい何なのだ!?????(1998年のこの時、「お塚」と言う言葉はまだ知りません。)
稲荷山を見ずして、伏見稲荷大社を語る事なかれ!
home 更新:2009.11.29c 作成:2005.11.18