真名井神社【まない】(京都府宮津市字大垣430)

一の鳥居

『外宮大元宮吉佐宮』の文字が見える。籠神社奥宮境外摂社真名井神社の別称だ。

御由緒によると、「古稱 匏宮【よさのみや】・吉佐宮【よさのみや】・与謝宮【よさのみや】・久志濱宮【くしはまのみや】 別稱 豊受大神宮・比沼真名井【ひぬのまない】・外宮元宮・元伊勢大元宮」とも呼ばれている。彦火明命【ひこほあかりのみこと】が丹波の地に降臨され、真名井神社に豊受大神【とようけおおかみ】をお祀りされたとき、天ノヨサヅラ(ひょうたんのほめ言葉)に天の真名井の御神水を入れてお供えされたので、この宮をヨサの宮というそうです。




参道入り口

左の標柱には『眞名井神社』の文字、右は『匏宮【よさのみや】大神宮』の文字




二の鳥居と狛龍

駒龍だ!! それぞれ、金色の玉と銀色の玉を持っている!

上部写真の右手にあった碑文
真名井原縁起
 上古ノ世丹後国未ダ分レズ丹波ト称ス 造化ノ霊勝天梯立眼下ニ連ナリ内ハ阿蘇海ヲ抱キ外ハ与謝海蒼々トシテ日本海ニ開ク 東ノ海中ニ冠島沓島神容ヲ現シ天神ノ示現日子日女ヲ祀リテ常世嶋トモ称ス 此処東北ニ神体山ヲ背負ヘル奇シキ一割アリ即チ元初ノ天神降リ来マセル処真井原ニシテ今太古ノ磐座存ス 東座ハ地上僅ニ現ハルト雖モ生命根源ノ神又御饌ノ神トモ申ス豊受大神鎮マリ給フ 大神ハ宇宙ノ一気発スル大元ノケノ神ニシテ時ニ月神ニ化シ或ハ海神トモ現ジソノ働キ変幻ス 之ノ神ハ籠宮祝部海部直ノ祖丹波道主王ノ娘八乙女ガ斎キ祭リシトゾ伝フ 瑞兆機ニ応ジテ表ハレ背後ノ山峡ニ狭霧立タバ水気根源ノ玄妙ヲ思フベク真名井ノ水ヲ手ニ結ビ又之ノ山ニ藤ノ花咲カバ神霊ノ気?醸化現シテ芳秀現世ニ寄サシ給フヲ知ル 真井原ニ神気発スル時風東ヨリ西ニ吹クト去ヘリ ゲニ大神ヲ祭ル神事懿徳天皇四年甲午ニ始マリテ古へ藤祭ト称シ欽明朝以後ノ葵祭ノ濫觴タリ 之ノ山ヲ天香語山又藤岡山或ハ比沼ノ真井トモ云フハ命名ノ深秘アリテ其ノ心ハ御生レノ神事ナリ 豊受大神東正中ニ鎮マルニ対シ西座ニ鎮マル雄大ナ磐座ハ大八洲国生ミノ元神伊射奈伎伊射奈美二神ノ体ニシテ日神此ノ処ニ所生スト伝へテ日之小宮ト云フ 伊射奈岐ノ神ハ天浮橋ヲ樹テテ磐座ノ女神ニ通ヒ以来之ノ磐座ヲ鶺鴒石トモ申シ岐美二神和シテ生ス 即チ天橋立ハ神人通行ノ梯ニシテ古ヘハ籠宮ノ境内参道ト為ス 神代ニ天上ナル天真名井ヲ挟ミテ日神素尊誓約シテ三女神五男神ヲ生メリ 其ヲ地上ニ求ムレバ之ノ真名井原ナラムト伝フ実ニ此ノ処両個ノ磐座ハ天地日月水火陰陽併祭ノ源基ニシテ民族ノ霊覚ノ象徴大和心ノ発祥ナリ 崇神帝ノ御宇天照大神倭ノ笠縫邑ヨリ真井原ニ遷移シ豊受大神ト同殿ニ鎮マリ吉佐宮ト申ス 二神ハ高天原ノ霊契ニ依リテ離ル可カラザル事一神ニシテ二座二神ニシテ一座ノ秘伝厳トシテ籠宮ニ存ス 是籠宮わ元伊勢ト申ス事ノ元ナリ 中書ニ曰ク天子ノ大社ハ必ズ霧露風雨ヲ受ク以テ天地ノ精気ニ達センガ爲ナリト 真名井社今ニ神代ノ風儀ヲ遺ス 天下萬民心アラバ来リ詣デテ世界平和ヲ祈リ灼然ノ霊気ニ浴サレン事ヲ  平成二年庚午旧五月五日
丹波國造八十二代
元伊勢籠神社宮司
海部光彦 敬白




社殿

社殿




社殿の背後に磐座

千木の先が垂直に切られている。外削【そとそぎ】だ。
これは伊勢神宮の外宮正殿と同じかたちです。




社殿背後の磐座

社殿背後の磐座




磐座西座

社殿に向かって左手の磐座には「天照大神小宮霊畤」と書かれた標柱
御由緒には「磐座西座」、「日之小宮【ひのわかみや】」とある。
御祭神は主神天照大神【あまてらすおおみかみ】、伊射奈岐大神【いざなぎのおおかみ】、伊射奈美大神【いざなみのおおかみ】
この磐座に伊射奈岐大神・伊射奈美大神が降臨され、天橋立(天地通行の梯子)をお造りになったということでしょうか。




磐座主座上の宮

社殿に向かって右手の磐座には「天御中主大神霊畤【あめのみなかぬしのおおかみれいじ】」と書かれた標柱
御由緒には「磐座主座(上宮)」とある。(籠神社が本宮(下宮)になる。)
御祭神は豊受大神【とようけおおかみ】、亦名天御中主神【あめのみなかぬしのかみ】、国常立尊【くにとこたちのみこと】
その御顕現の神を倉稲魂命【うかのみたまのみこと】(稲荷【いなり】おおかみ)と申す。
相殿に罔象女命【みづはのめのみこと】、彦火火出見尊
【ひこほほでみのみこと】、神代五代神【かみよいつつよのかみ】を祭る。

霊畤:「畤」を漢和辞典で調べると「まつりの庭。・・(略)・・神霊がじっととどまる所をいう。」とある。巫女が神をお招きし、神が磐座背後の御神木をアンテナとして降臨し磐座に留まる。巫女が磐座に向かいご神託を仰ぐ、また五穀豊穣をお願いする。そんなことを想像してみる。




御神木・磐座・磐境

西方向を見る。

『岩石を信仰していた日本人』(吉川宗明著 遊タイム出版)は、『磐座・磐境等の考古学的考察』(大場磐雄著)に「大場はこの論文の中で『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』『延喜式祝詞』『風土記』などの古典を調査し、少なくとも奈良時代の神道祭祀においては、石神・磐座・磐境の三種類の岩石の用い方あったことを明らかにした。」と紹介されている。石神は岩石そのものが神であり、磐座は祭祀の時に神を迎えるための座石とのこと。磐境に関しては文献が少なく推測を入れる形になっているが、複数の岩石を並べて聖域とするものとのこと。
上の写真をみると磐座と御神木を囲むように沢山の石が配置されているが、これこそが磐境と思えてくる。そして、鳥居も含め全体を囲んでいる石柱(+鎖)もまた、新たに設けられた磐境と見えなくもない。




磐座

撮影した時、写真中央のが鹽土老翁【しおつちのおじ】の磐座と思っていた。
今HPにまとめていたら、頭がこんがらかってきました。(混乱は下の写真に続く)




磐座

鳥居正面にあるのが熊野大神(須佐之男神)の磐座か? 左の小振りな磐座には愛宕大神と書かれた標柱があった。
(写真には写っていないが、右奥に道祖神の標柱がある。)
奥は禁足地




磐座

標柱には「鹽土老翁【しおつちのおじ】(亦名住吉同体)(大綿津見神【おおわたつみのかみ】)(亦名豊受大神【とようけのおおかみ】)」の文字。
この写真中央の磐座は鹽土老翁のもの? 宇伽之御魂(稲荷大神)の磐座は撮り忘れた?




磐座? 神石?

磐座か? 神石か?




磐座? 神石?

磐座か? 神石か?




産盥 産盥

産盥【うぶたらい】




天の真名井の水

御霊水 天の真名井の水
豊受大神のお顔は藤の花で、そのみたまは天の真名井の水との秘伝がある。

古代の信仰形態を今に伝える、何度でも参拝したい神社です。私が参拝した時は、ほとんど貸し切り状態。籠神社に参拝されましたら、ぜひ奥宮境外摂社真名井神社へも足をお運び下さい。



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写真:2007.04撮影
home   作成:2018.04.24