籠神社【この】(京都府宮津市字大垣430)
別稱【べっしょう】:籠宮大社、元伊勢大神宮、伊勢根本、丹後一宮、一の宮大神宮、内宮本宮(『御由緒略記』より)
『日本史小百科 神社』(岡田米夫著 近藤出版社)によると、「籠」を「こもり」と読み「こもりじんじゃ」としている。籠は古代にはコと訓【よ】み、コとは恐らく古代の竹籠製の船の意味だろうとのこと。
天橋立 (当社は写真左下にある)
「日本三景で有名な天橋立は、当宮の境内参道として発祥しました。」(由緒より)
大昔切手収集をしていて日本三景シリーズ3種を持っており、天橋立は早くから知っていた。
当社を知ったのは切手購入後10年以上後だったろうか、TVの旅番組(たぶん「遠くへ行きたい」だったと思うが)を見ていて、
国宝の海部【かいふ】氏系図とセットで籠神社を記憶していた。それからうん十年後、当社に参拝のおり頂いた御由緒を読んでいて、
名勝地天橋立と当社が、このとき私の中で密接に結びついた。
境内入り口
靖国鳥居の奥に神門(重要文化財の狛犬も鳥居の左右に見える)
拝殿
本殿(拝殿向かって右側より)
(右手前は恵美須社)
主神 彦火明命【ひこほあかりのみこと】
亦名 天火明命【あめのほあかりのみこと】・天照御魂神【あまてるみたまのかみ】・天照国照彦火明命【あまてるくにてるひこほあかりのみこと】・饒速日命【にぎはやひのみこと】
又極秘伝に依れば、同命は山城の加茂別雷神【かもわけいかづちのかみ】と同名同神であり、その御祖の大神(下鴨)も併せ祭られているとも伝えられる。
相殿
豊受大神【とようけのおおかみ】、天照大神【あまてらすおおみかみ】、海神【わたつみのかみ】、天水分神【あめのみくまりのかみ】
恵美須社(由緒には「境内摂社蛭子【ひるこ】神社 恵美須神社ともいう」とあった。
祭神:彦火火出見命【ひこほほでみのみこと】、倭宿禰命【やまとのすくねのみこと】
大化以前の籠宮の元神であり、主祭神であったと伝えられる。(掲示)
本殿(拝殿向かって左側より)
神明造の本殿高欄には五色の据玉が付けられている。
伊勢の内宮・外宮正殿の高欄に同様の据玉が付けられているのを写真で見た。
三重県多気郡多気町の丹生神社本殿にも同様のものが設置されているを実際に見た。
摂社 掲示天照大神和魂社(右端)
祭神:天照大神和魂【にぎみたま】
古代から本宮に祭る大神を特に和魂の働きで祭祀
あるいは天照大神の荒魂とも伝えられる。(由緒)
末社 掲示猿田毘古神社 祭神:猿田彦大神 由緒:古代から大世多大明神と呼ばれ霊験顕著 |
末社 掲示春日大明神社 祭神:武甕槌命、経津主命、天兒屋根命、比売神 由緒:古代には武甕槌社と称したと伝えられる |
摂社 掲示真名井稲荷神社
祭神:宇迦之御魂大神、保食大神、豊宇気毘賣大神
由緒:古代から奥宮真名井原に鎮座
こちらは駒龍だ!
(奥宮の真名井神社も駒龍だった)
倭宿禰命【やまとのすくねのみこと】像
掲示
倭宿禰命
別名・珍彦【うづひこ】、椎根津彦、神知津彦
籠宮主祭神天孫彦火明命四代
海部宮司家四代目の祖
神武東遷の途次、明石海峡(速吸門【はやすいなど】)に亀に乗って現れ、神武天皇を先導して浪速、河内、大和へと進み、幾多の献策に依り大和建国の第一の功労者として、神武天皇から倭宿禰【やまとのすくね】の称号を賜る。外に大倭国造、倭直【あたい】とも云う。大倭(おおやまと だいわ)の字音は、後の大和の(やまと)の国号に深い関係があると云われる。
亀に乗ったお姿は応神朝の海部の賜姓以前、海人族【あまぞく】の始原の一面を語り、又海氏【あまうじ】と天系【あめけい】との同一出自をも示唆するようである。
写真:2007.04撮影
home 作成:2018.03.11