北畠氏館跡庭園

北畠氏館跡庭園1 北畠氏館跡庭園2
北畠氏館跡庭園3 北畠氏館跡庭園4

作庭者は細川高国と伝えられております。細川高国は細川政元の養子で、足利幕府の管領の地位にあった人です。彼の娘が伊勢国司七代北畠晴具【はるとも】の夫人だったことから、将軍の命を受けて、援軍を頼むために、婿の晴具をたずねて国司の館に逗留していました。享禄三年(1530)のことです。その折りに作った庭園といわれております。
最近京都のD寺S院の庭園を見てきました。入ったとたん「うぉ〜。」と声が出るほど見事な庭でした。しかしなんか圧倒されそうな威圧感を感じました。でもこちらの庭園は静かに私を受け入れてくれます。上の写真は2度目の訪問時に撮影したものです。立ち止まってはシャッターをきり、しばらく眺めてまた歩き出す。結果的に2周回ってしまいました。

北畠氏館跡庭園の地図 ←地図




霧山城跡からの望遠

霧山城跡から望む大洞山(正面の一番高く見える山)

 北畠神社横から霧山城跡に向かいました。「ちょっと寄ってみよう。」という程度の安易な気持ちからでした。この日はイベントがあったので結構沢山の人が登っていた。しかし、行けども行けども先が見えない。たまらず、下ってくる人に「頂上はまだですか?」と聞いてみた。「この辺で半分登ったくらいですかね。もう少しだからがんばってください。」 どどどどっと疲れがのしかかり、しばし立ちつくした。一瞬帰ろうかと思った。だが、ここであきらめたら今までの苦労はどうなるのだ、また改めて登ろうという気持ちがはたして起きるのだろうか、老い先短い私の人生もう二度と頂上に立てないかもしれない、登るしか無いのだ。少々オーバーではありますが、それに近い事を考えて、結局頂上を目指すことにいたしました。頂上は期待を裏切らない見晴らしの良さ。苦労して登った甲斐がありました。

霧山城趾の地図 ←地図

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home   更新:2007.10.14 作成:2006.02.05