千方明神【ちかたみょうじん】(三重県伊賀市高尾)

『伊水温故』に「三国ヶ嶽 霧生村 千方将軍籠居ノ地ナリ 谷ハ北南十五間 東西八間ノ屋鋪跡有 北向ナリ 石柱二本有 長一丈 一本折タリ」とあるそうです。一般には千方窟と呼ばれています。

県道39号線から順路を示す表示があります。表示に従って道を行くと迷うことはありません。(少なくとも私は迷わなかったです。)
下の写真に写っている鳥居をくぐり直進すると窪地になっています。下ると石柱に囲まれた千方明神の祠のある場所に出る。奥へ進むと大門跡に至る。さらに奥に「厩跡」(看板有り)がある。ここから表示に従い進む(登り)と桜井戸跡に至る。さらに登ると「見張り台跡」(看板有り)がる。ただし植林されており展望はきかない。三国ヶ嶽という名から、過去には伊賀、伊勢、大和が見渡せたのかも知れない。順路を進むと「風穴」がある。手を当ててみたが風を感じなかった。この風穴は赤岩尾神社の風穴につながっていると伝えられているそうです。風穴を過ぎると下の写真の鳥居の左手に戻ってきます。

千方明神の宗忠鳥居
額束には「千方明神」の文字。
(眼にする機会の少ない宗忠鳥居です。)
写真中央に写っている
看板の記載内容

東 門 跡

千方城郭の裏門にあたる 東
門跡で通用門跡といわれる
写真右側に写っている
看板の記載内容

町指定史跡
藤原千方伝説地

「太平記」によれば平安時代に
藤原千方という将軍が 金鬼
風鬼 水鬼 隠形鬼の四つの
鬼を使って ここにたてこも
り 反乱を起こしたといわれ
る伝説の地である

昭和四十七年八月五日指定
     青山町教育委員会




千方明神の祠 上の写真右下に写っている
看板の記載内容

千 方 明 神

宝暦10年(1760年)の建立の
石神で藤原千方と若宮明神
(高尾 若宮神社)を祀ってある



左写真の祠の扉には
「若宮明神」(左側)
「千方明神」(右側)
と刻まれている。

こちらに来るには、国道165号線から県道39号線を南下し脇道を左折した。1kmほど手前県道39号線に面して、若宮八幡神社があった。若宮明神は、この神社から分祀されたようだ。




岩に刻まれた和歌

正面の石柱には、紀友尾が詠んだ和歌が刻まれています。
『太平記』巻第十六に「藤原千方といふ者あって、金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼とて四【よつ】の鬼を使へり。この鬼ども、おのおの、神変を現して、敵を拉【とりひし】ぎ害をなす間、凡夫の態(ワザ)を以て防ぐべき様なかりけり。されば、伊賀・伊勢の両国、これがために侵され王化に随ふ者なし。ここに紀友尾といふ者、宣旨を蒙【かうぶ】つて、かの国に下向して、一首の歌を詠んで、鬼の中へぞ送りける。草も木も吾大君の国なればいづくか鬼のすみかなるべき四の鬼この歌を見て、『さては、我ら悪逆無道の臣に随つて、善政有徳の君を背き奉りける事、天罰免れがたし』とて、たちまち四方に去つて失にければ、千方勢ひを失つて友尾に討れにけり」とあるそうです。

藤原千方は、平安中期の東国の武将で、藤原秀郷(俵藤太)の孫に当たります。村上天皇の時代(946〜947年)に、正二位の位を望んだが入れられず強訴に及び、逃れて三国ヶ嶽に籠もったということです。

『伊水温故』が「准后記による」として紹介している伝承は、「村上天皇ノ御宇ニ藤原千方正二位ヲ聊【いささか】望シニ其甲斐【そのかい】無ク成ケレバ 是ヲ逆心シテ日吉ノ神輿【みこし】ヲ取奉リ三国ヶ嶽ニトリ籠【こもる】 千方ニ従処ノ山法師 山注記【やまのちゅうき】 三河坊 兵庫堅者【ひょうごのりつしゃ】 筑紫坊四人彼ニ従 此【この】法師ガ力大木ヲ倒【たおし】勢【いきおい】巖石ヲ破【やぶる】 故ニ官軍多ク討【うたれ】テ既ニ引退【ひきしりぞく】ベキ処ニ射手ノ大将紀朝雄 六根清浄ノ中臣祓【なかとみはらい】ヲ誦【じゅ】シ神功ナラビナカリシニヤ 千方終【つい】ニ柳下ニ縊果【くびりはて】ニキ」とあるそうです。 こちらは、千方に従うのは鬼ではなく法師で、彼らに対して有効なのは和歌ではなく中臣祓だったようです。




大門跡 写真右下に写っている看板の
記載内容

大 門 跡

千方城郭の正門跡といわれ石
柱が折損したといわれ 西に
数百米の大通があったと伝え
られる



桜井戸跡 看板記載内容

桜 井 戸 跡

千方城郭の井戸跡といわれ
地下に井戸があると伝えられ
ている



風穴 看板記載内容

風 穴

千方城郭の風穴といわれ非常
用の脱出口であったといわれる
この風穴は名張市滝の原の赤
岩尾神社の風穴に通じていると
いわれる



千方窟、特に祠のある辺り、神々が降臨してもおかしくない雰囲気でした。
しかし、伝承は藤原千方に関するものだけのようです。
神様の依り代となる岩には事欠かない場所に思えたのですが。
後日、MURYさん(「岩石祭祀学提唱地」)の「千方窟は磐境的な一面もあるのではないか。」とのご意見をお聞きし、大いに納得致しました。

大きな岩があちこちに

木と石柱 木の根が岩をだきこんでいる

沢山の木と沢山の岩が並び交わっている。上の写真など、
どこからが岩でどこからが木なのか区別がつかない。

本文は朝日新聞伊賀版「伊賀の国所どころ 77・78」(柴田弘義 著)を参考とさせて頂きました。

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home   更新:2007.08.21 作成:2007.08.13