椿大神社【つばきおおかみやしろ】(三重県鈴鹿市山本町)

駐車場から参道に向かう

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手水舎

手水舎




手水舎

蛙さんがおります。蛙さんと言えば二見興玉神社。御祭神は当社と同じ猿田彦大神であります。




参道


参道
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参道

参道




参道

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拝殿

拝殿

祭神
主神:猿田彦大神【さるたひこのおおかみ】
相殿:瓊々杵尊【ににぎのみこと】
   栲幡千々姫命【たくはたちちひめのみこと】
配祀:天之鈿女命【あめのうずめのみこと】
   木花咲耶姫命【このはなさくやひめのみこと】
前座:行満大明神【ぎょうまんだいみょうじん】

垂仁天皇二十七年八月、倭姫命の神託により御船磐座【みふねいわくら】の付近に、伊勢の開拓神として猿田彦神を奉斎するため社殿が創建されたと社伝にあるそうです。当社の背後には椿ヶ嶽(450m)が、さらに奥に入道ヶ岳(906m)があります。入道ヶ岳の頂上や中腹には、多くの聖石があるそうです。また、椿ヶ嶽頂上には鞠倉【まりくら】の伝承地があり、謡曲「鈿女」【うずめ】は、猿田彦神がこの山に影向したと伝えています。古代に神体山信仰があったのかも知れません。

三重県内の道を走っていると、椿大神社の交通安全のお札(オレンジ色のプラスチック製でライトがあたると反射するような・・・)を貼っている車を見ることがある。伊賀地方でも見かけるので、椿大神社の神様は、交通安全の御利益があるという認識を持たれている方が多いということだろう。
椿大神社のHPに以下の文章があった。
椿大神社の御祭神(祀ってある神様)は猿田彦大神です。この神様は、先導の神・守護の神であり、衢(ちまた)の神とも言われています。御利益(おはたらき)は、道の分岐点を始め、道路上での安全を司り、正しい道案内の神様です。加えて、私たちの人生の道案内をして下さる開運みちびきの神様であります。

日本書紀には以下の記述がある。瓊々杵命が天降りしようとするときに、猿田彦神は天の分かれ道である天【あめ】の八衢【やちまた】にいて、上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らしていた。さらにその姿は、その鼻の長さは七握【ななつか】、背の高さ七尺あまり、口の端が明るく光り、目は八咫鏡【やたのかがみ】のようで、赤酸漿【あかほおずき】のように照り輝いている。

その眼光鋭い猿田彦命に応対出来ないでいる神々が多い中で、瓊々杵命が期待を持って選抜したのが眼力勝る天鈿女命【あめのうずめのみこと】である。応対するのに天鈿女命は、胸を露わにむき出して、腰ひもをヘソの下まで押し下げている。二柱の神のコミュニケーションは、天之鈿女命が質問し猿田彦命が答える形で進められる。猿田彦命であることを名乗り、天孫降臨を聞いたので出迎えた、私が先頭に立って道を開いていく、瓊々杵命は筑紫の日向の高千穂のくし[木+患]蝕峯【くしふるたけ】においでになるだろう、私は伊勢の狭長田【さなだ】の五十鈴の川上にいくだろう、名乗ったからには天之鈿女命よ私を伊勢まで送りなさい、と答えている。

「謎のサルタヒコ」(鎌田東二編著 創元社)では、猿田彦命のその姿、さらに、天鈿女命が天の岩屋戸から天照大神を呼び出す時に同じよな所作(ストリップ)をしていることがら、猿田彦命は太陽神ではないかと推理している。また、猿田彦のサルタは、琉球語で「先導」を意味する「サダル」が転じたものとの説を紹介している。猿田彦伝承は、日本神話の重要な伝承地である日向、伊勢、出雲にあり、沖縄を起点として、黒潮、対馬暖流に乗って海人族が伝えたのではないかと推理している。

古事記には、猿田彦命が伊勢の阿邪訶【あざか】で漁をしていて、比良夫貝【ひらぶがい】に手を挟まれて溺れ死んだとある。比良夫貝がシャコ貝のことだとすると、人間だったら深いところで手とか足とか挟まれたら溺れ死ぬだろうが、神様が貝に手を挟まれて死ぬというのはいただけないと思っていた。「『古事記』神話の謎を解く」(西條勉著 中央公論新社)に納得のいく回答が書かれていた。猿田彦命はもともと伊勢の太陽神であり、海女の守護神でもあったという。古事記が海女の守護神を貝に手を挟ませて溺れさせたこと、及び猿田彦命に瓊々杵命の先導役を務めさせたというと聞こえは良いが、要は露払いをさせたこと、それは猿田彦命を貶めるためだったという。猿田彦命を貶めることで、天照大神、瓊々杵命の格を上げる意図が隠されているいるという。




庚龍神社 境内掲示

庚龍神社(かのえりゅうじんしゃ)
御祭神
 金龍龍神・白龍龍神・黒龍龍神
御由緒
 この龍神社は、樹齢四百年と伝えられる樅の木に龍神が宿り神域全般を守り給ったとの伝承がある。



御船磐座 御船磐座
瓊々杵尊が御船でこの場所に到着されたと伝えられる。



高山土公神陵 高山土公神陵

猿田彦大神の御陵と伝えられる。



式内縣主神社 境内掲示

延喜式内 縣主神社【あがたぬしじんじゃ】(椿大神社摂社)

御祭神
倭建命【やまとたけるのみこと】
建貝児王【たけかいこのみこ】
 縣主神社は、「延喜式」に見える鈴鹿郡十九坐の一つで、川崎村<現亀山市川崎町>に鎮座し、俗に縣大明神と称され鎮守社として親しまれていた。ところが、内務省が一町村一社を目標に行った小祠整理により、明治四十一年、能褒野神社【のぼのじんじゃ】に配祀され、下って平成十年十月十日、「椿護国神社」南隣を鎮座の大地と選び定め、椿大神社の摂社「縣主神社」として遷座された。当地鎮座の由来には、先々代の行輝宮司の出身地が川崎村であることと篤志家による誠実無私の奉斎運動が挙げられる。
 御祭神の倭建命(日本武尊)は、人皇第十二代・景行天皇の皇子で、西に熊曽建【くまそたける】、出雲建などの諸賊を討ち、東に蝦夷【えみし】を平定された。にち、伊吹山に賊ありと聞き、これを討たんと向かわれたが、御病【みやまい】を得て伊勢国・能褒野に薨去せられた。建貝児王はその御子であり讃岐【さぬき】の綾君【あやのきみ】の祖である。
 古代日本に於いて東西に活躍、国家を安定ならしめた倭建命は、方災解除、病魔退散、国家・社会・家庭安泰の御神徳を御発揚なされた。また女装して熊曽建を誅した如く、頭脳・智恵の神様でもある。

当社に初めて参拝したのは、あと1週間ほどで正月という頃。神職の方が飾り付けをされている中、トラックで酒樽が運び込まれて来た。なんと、男性が軽々と菰巻の四斗樽を二つ持って運んでいるではないか。神社に参拝すると、酒樽が沢山積まれているのをよく目にするが、中身は空の様だ。




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home  更新:2011.10.07 作成:2010.09.18