隼神社【はやぶさ】(奈良市角振町【つのふりちょう】)

隼神社正面

隼神社
参拝したのは日曜日、門には鍵がかかっていた。




隼神社御神木の柿の木と宗像社 門の扉に鍵がかかっていたので隙間から撮影。

御祭神:隼総別命【はやふさわけのみこと】
(応神天皇の皇子、仁徳天皇の弟)

木に注連縄が巻かれている。奥の祠は向かって右方向を向いている。
当初その祠が本殿かと思ったが、実は手前の注連縄が巻かれた木が神霊とのこと。(御神木は枯れた柿の木)

当初の祠は、治承四年(1180)の兵火でことごとく炎上したため、御神木をもって心霊としたとのこと。
いつの頃か神木の東に弁財天の小祠が設けられ、現在宗像神社として配祀されている。これはもと神宮寺の庭内社と称す。降って建治四年(1278)興福寺の大火で再度の火難に類焼して終に現状の小祠となる、と由緒に書かれている。祠は宗像神社で、市杵島姫命を祀る。
(『奈良市史 社寺編』より)

門の正面奥に掲示されていた御由緒(以下、カタカナをひらがなに直しています。)

奈良市角振町四十四番地鎮座
隼神社由緒
一、御祭神
   角振隼総別命 
神武天皇の大和平定に寄与し給う大神で昔から柿を神木として神殿を設けず
   市寸島姫命 
もと社頭は神宮寺庭内で何れの頃にか神木の傍に社殿を設けて奉還す

一、御鎮座大要
人皇三十四代 舒明天皇御世僧安
(此元号年代記に見へず)五年二月(皇紀1315年西暦655年)茅努王勅を奉して春日の邑率川坂上(現在角振及同新屋一円)に祭り給ふ
由来朝家の崇敬厚く平安遷都と共に特に京師に遷し給ふた 隼神社の本社は此方で神階も天暦五年に無位から従三位と封戸五烟とを奉り寛弘三年には一躍正二位に進め給ふた
又年中の祭資は別当の神宮寺大慈院久福寺の三ヶ寺が毅然として承はりしに惜いかな治承四年平中将重衝の兵火に罹り別当寺と共に炎上す
爾来柿の老樹を神木と仰き恒例の神事を行ふ何れの頃か神木の傍に小祠を設けて宗像神を遷す之はもと神宮寺の庭内社と称す降つて建治四年興福寺の大火後再度の火難に類焼して終に現状の小祠となりしは嘆いても余りあり
以上

御子守縁起同書に引く 大政官符 成身院英俊記録
日本紀畧 元要記 大和志 防目考 保元物語等要約


一、年中祭祀

 大祭 四回
   祈念祭
二月一日
   例祭  
七月七日と八月一日 両度
   新嘗祭
十一月二十一日

 中祭 四回
   元三祭(歳旦祭) 正月元旦
   紀元節(建国記念の日)
二月十一日
   天長節(天皇誕生日) 聖上降誕日
   明治節(文化の日)
十一月三日

 小祭 十二回

   月次旬祭 毎月一日

以上 



京都市の隼社

京都市東山区の東三条大将軍神社境内の隼社(2013.11撮影)



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写真:2020.11撮影
home   更新:− 作成:2021.01.23