大神神社【おおみわ】(奈良県桜井市三輪)

三輪山

三輪山


高さ467m、周囲16kmの神体山である。倭青垣山【やまとあおがきやま】、三諸山【みもろやま】、神岳【かみおか】、神山【みわやま】、御山【みやま】、御室山【みむろやま】、真穂御諸山【まほみもろやま】、神奈備山【かんなびやま】など多くの別称をもっている。山頂には、摂社高峰神社【こうのみね】の祠、奥津磐座がある。高峰神社は、高宮【こうのみや】、上宮【こうのみや】、神峰社【こうのみね】ともいわれる。

三輪山は代表的な神奈備山【かんなびやま】である。ゆるやかな円錐形に見える山を、昔の人は何故神奈備山として信仰の対象としたのか。それは、蛇がトグロを巻いた姿だからと、吉野裕子氏は著書『蛇』で述べている。原始蛇信仰は世界的なもので、中国の天地開闢の創造神は伏犠【ふつき】・女禍【じょか】[「か」はネへんを女へんに変更した字]という人面蛇身の兄妹神であり、アダムとイブを誘惑した蛇もまたキリスト教以前の神であるとのこと。日本の場合、縄文中期の土器や土偶には具体的な蛇の造形が見られる。蛇は、脱皮することから永遠性を、陽根のような形から豊饒性を連想させることから信仰の対象となったのではないか。そう言えば、母方の実家には大きな楠があった。祖母は「この木には巳さんが住んではる。」と、有り難そうに小さい私に話したことを思い出した。
奈良県磯城郡織田村(現桜井市三輪)では、「三輪の明神さんは巳さんで、三輪山を七くり半(七廻り半)巻いてゐる」という言い伝えがあるそうだ。


大神神社参道入り口

参道入り口




大神神社参道

参道
早朝でも沢山の方々がお参りされていた。
駐車場で車の整理をされていた方の話では、第一日曜日なので月参りの方が多いとのこと。




注連柱




大神神社拝殿

拝殿
寛文四年(1664年)、徳川四代将軍家綱公が再建したもの。
正面奥に三輪鳥居(三ツ鳥居)がある。その奥は禁足地になっている。

境内掲示

大和国一ノ宮
三輪明神    大神【おおみわ】神社

御祭神 大物主大神【おおものぬしのおおかみ】
配 神 大己貴神【おおなむちのかみ】
    少彦名神【すくなひこなのかみ】

 当神社は、秀麗な三輪山を神体山とする我国最古の神社で、元官幣大社、延喜式内の明神大社二十二社の一社で、大和国一宮、全国各地に祭祀せられる大物主神の総本社であります。
 大物主神は、大国主神の和魂【にぎみたま】(幸魂【さきみたま】・奇魂【くしみたま】)で、大国主神が神代の昔、国造りに労せられたとき、その和魂が現れ、問答の後自らこの三輪山に鎮まられたのであり、農工商等あらゆる産業を開発し、常に日常生活全般をお守り下され、顕界【けんかい】・幽界【ゆうかい】を主宰【しゅさい】し給う和の大神であります。
 その御神徳は極めて広大であり、古事記・日本書紀・万葉集等の古典により明確に伺えます。大和・河内・摂津はもとより、広く全国にわたって篤い信仰を集めています。
 山麓には、崇神天皇から推古天皇に至る十三代の皇居遺跡があり、この地は当時の国道一号線とも言うべき山の辺の道を動脈として、飛鳥以前四・五世紀頃の日本の政治経済の中心をなしていました。
 境内地は、現在古都保存法による歴史的風土三輪山特別地区及び国の史蹟に指定されています。

三輪山  標高四六七メートル ・ 周囲十六キロメートル
     面積三五0ヘクタール
三ツ鳥居(国の重要文化財)
     明神鳥居三基を組合わせた独特の形式は、古来一社の神秘とされています。
拝 殿 (国の重要文化財)
     寛文四年(一六六四)四代将軍徳川家綱公改建

主な祭典
一月一日        繞道祭
四月八日〜十日     春の大神祭
四月十八日       鎮花祭(本社及び狭井神社にて斎行)
六月十七日       三枝祭(奈良市率川神社にて斎行)
十月二十三日〜二十五日 秋の大大祭




大神神社の巳の神杉

巳の神杉

『飛鳥の古社を歩く』の著者和田萃氏は『巳さん杉の根方の虚【うろ】に住む白蛇は「巳さん」と呼ばれ、信仰する人が多い。白蛇と言うよりも透き通った銀色の蛇で、小春日和の午後に、時折、姿をみせる。私も三度ばかり見かけた。』と書かれている。私は残念ながら、お目にかかったことがない。早朝に参拝することが多いからかもしれない。
神杉の虚



大神神社の説末社 祓戸神社 大神神社の夫婦岩
祓戸神社【はらえど】 夫婦岩



大神神社の境内


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home   更新:2010.01.03b 作成:2008.11.02