比賣久波神社【ひめくわ】(奈良県磯城郡川西町唐院【とういん】)

参道入り口

参道入り口
社名標には「式内 比賣久波神社」の文字。右手奥に島の山古墳の一部が見える。




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掲示
川西町 町・村の歴史  大字唐院【とういん】
大字の唐院の概要
 唐院は、島の山古墳の築造でもわかるように、町内でも一番早く開拓され、集落としても古いところである。唐院は、道陰の庄を音読みしたものであるとも言い、また陶工 加藤藤四郎に因む陶院に由来するとも言われている。
 また、唐の国より渡来してきた人びとによって、土着したことから唐院と呼ばれるようになったのではないかという様々な説が伝わっている。
 唐院集落の東方には比賣久波神社【ひめくわ】がある。祭神は、比賣御魂神【ひめのみたまのかみ】・天八千千姫【あめのはちちひめ】。社名は、蚕桑【ひめくわ】を意味し、桑葉を神体としたと伝え、大字結崎の糸井神社と関連する神社とも考えられる。一間社【いっけんしゃ】春日造の現本殿(県文化財)は、春日大社の旧社殿で、江戸時代初期のものと推定されている。
平成23年10月9日 唐院自治会




境内入り口

境内入り口

境内入り口、鳥居右手の掲示
川西町の歴史遺産を訪ねて
本殿・県指定文化財 式内社 比売久波神社
 延長5年(927)成立の「延喜式神名帳」記載の由緒を持つ神社で、本殿は一間社春日造り檜皮葺で、春日大社摂社若宮本殿を移築されたと云われ、江戸時代初期の特徴をもつ社殿建築として、奈良県指定文化財となっている。これ以前にも、応仁期(1467-69)に春日大社社殿を唐院に売却した記録があり、この地が、中世より、興福寺・春日大社の荘園であったことから、歴史的つながりが深い。
 祭神は、久波御魂(クバミタマ)神、天八千千(アマハチチ)姫で、御神体は地元では「桑の葉」と伝えられ、隣接する糸井神社と共に、この地域が、古代より、蚕産・絹織物の生産に関わる地域であろう。境内社に大国主神社(祭神は大物主命)、事代主神社(祭神・事代主命)、春日神社(祭神・天児屋根命)がある。
 かっては、比売久波神社の神宮寺である箕輪寺の僧侶が管理していたといわれる。拝殿と本殿の間には、東に隣接する国史跡・島の山古墳から持ち出された竜山石(兵庫県高砂市で産出する凝灰岩で、古墳時代前期より石室・石棺に使用された。)の天井石3石が踏み石として置かれている。この他に、以前、比売久波神社一の鳥居東側にあり、その後、川西町ふれあいセンターの前庭に移された1石、以前、唐院の民家にあり、現在、川西町教育委員会で保管されている2石の、6石が現存する。この他に、唐院の水路に使用されていた1石があったと言われている。
 また、拝殿には、江戸時代末から現代までの絵馬が奉納されている。

プラス
「比売久波神社・本殿」
写真、「推定 島の山古墳 検出 竪穴式石室 天井石 実測図(泉森 皎氏 製図)」図が掲載。
資料・写真提供 川西町教育委員会
川西町唐院自治会 川西町教育委員会




拝殿

拝殿




本殿

本殿




本殿と境内社

本殿と境内社

掲示
比売久波神社
この神社の久波御魂神は、アマハチ姫を祭神としています。本殿は、春日大社摂社若宮神社本殿を移建したものと伝えられており、装飾の少ない簡素なもので型式・手法は春日大社本殿と一致しており江戸時代初期とされています。
 本殿の右には、大国主神社の境内社があります。左には、蛭子神社と春日神社の社殿が並び、さらに春日神社の西には校倉づくりの宝庫があり興味をひきます。本殿は、奈良県指定文化財となっています。




神宮寺跡

神宮寺跡

掲示
川西町の歴史遺産を訪ねて
町指定文化財(本尊・脇侍等) 箕輪寺【みのわてら】跡(キリンジ)
 式内社・比売久波神社の神宮寺として、円通大師の創建された寺院で、宗派は真言宗豊山派である。比売久波神社の祭祀は箕輪寺の僧侶が関っていた。
 永享2年(1430)に筒井氏と箸尾氏の合戦により堂や本尊が消失し、永享8年(1436)に賢春法師によって本堂再建を果たし、本尊として十一面観音菩薩立像を三輪・平等寺の僧・定範より譲り受けて安置した。
 近年無住となり、本堂の老朽化が進み、ついに倒壊し、本尊の十一面観音菩薩立像、脇侍の四天王像、地蔵菩薩像は別の場所に安置されている。
 この本堂は、かっては唐院における教育の中心で、明治7年(1874)から、明治14年(1881)まで唐院小学校の校舎として使用された。

旧箕輪寺 十一面観音菩薩立像 平安時代 中期 10C後半
この像は鳥羽天皇(1107-1123)の念持仏で⇒八条院⇒八条左大臣⇒笠置・解脱上人⇒弘誓坊⇒三輪・平等寺・定範⇒箕輪寺と伝えられた。

川西町唐院自治会 川西町教育委員会




島の山古墳側から比賣久波神社の杜を望む

島の山古墳側から比賣久波神社の杜を望む

祭神について『式内社調査報告書・第三巻』などは久波御魂神と天八千千姫とするが、神社庁の『明細帳』は天八千千姫のみを記載し、諸書が祭神不詳とする。伴信友は『神明秘書』を引き、天八千千姫がかいこの糸で御衣を織った故事をあげ、檜牧村はここであろうかと述べ、当社と織物の深い関係を推定している。『大和志料』には、「比売久波神社 川西村大字唐院ニアリ、延喜式神名帳ニ比売久波神社鍬靱ト見ユ、今村社タリ、祭神詳カナラス、古来桑葉ヲ以テ神体トナスト、然ラハ姫桑【ヒメクワ】ニシテ糸井社ニ縁故ヲ有スルモノナラン、二社相距ル遠カラス」とある。(日本の神々4 大和 白水社)



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写真:2016.04撮影
home   作成:2017.11.08