丹生川上神社下社【にうかわかみ しもしゃ】(奈良県吉野郡下市町)


境内入り口

境内入り口



拝殿、階段、本殿

拝殿、上部最奥に本殿、二つの社殿を結ぶ廊下の屋根




拝殿、階段、本殿



階段 境内掲示

丹生川上神社下社由緒

御祭神 闇
(■:[雨/口口口/龍])(クラオカミノカミ)
    いざなぎ、いざなみ二尊の御子神
御創建 天武天皇白鳳四年(六七六)「人声の聞こえざる深山に宮柱を立て祭祀せば、天下のために甘雨を降らし、霖雨を止めむ」との御神誨【ごしんかい】に因り創建された古社である。
御例祭 六月一日
御神格 延喜式の明神大社二十二社の一社
    元官幣大社 明治四年列格
御鎮座地 丹生川の川上 丹生山
     神武天皇御東征の途御親祭遊ばされた地である。
朝廷の尊崇 天平宝宇七年(七六三)幣帛の外、特に黒毛の馬を奉献される。その後、祈雨には黒馬、祈晴には白馬を献ずることが恒例とされた。
 孝明天皇安政元年(一八五四)に、「外患惧服国家清平」の祈祷を仰付けられた。
御神徳 大気を浄化し、万物生成化育の根源たる水を主宰遊ばされ、地球上のありとあらゆる物象の上に、はかり知れない恩恵を垂れ給い、守護あらせられるいのちの神様である。

(クラオカミの神についてはこちらを参照)




欅の神木

樹齢推定500年、幹回り4.5m、樹高約30m余の欅

神社巡りを始めたきっかけ
  「神社巡りをしよう」と思ったのは1998年の夏の頃です。それまで神社に参拝しなかったわけではありません。結婚式は橿原神宮でおこないました。妻の実家が奈良で、親戚も大阪に多いことから、橿原神宮に決めたのです。娘が誕生した時も橿原神宮へお参りしました。娘の七五三のお祝いは、地元の宇流富志禰神社へ参拝しました。初詣は、自宅に一番近い神社に出向いておりますが、大神神社にも何度か参拝しました。「大神神社は三輪山が御神体だから本殿がなく拝殿だけ。そのことは、非常に古い神社であることを表している。」という程度の知識があったので、遠出するなら歴史のある大神神社と決めていました。 20歳頃の九州旅行では、宇佐八幡宮に参拝しました。25歳頃の鎌倉旅行では、鶴岡八幡宮や銭洗弁天、江ノ島弁天に参拝しました。30歳頃の長野旅行では、戸隠神社奥社、中社、宝光社へ参拝しました。同じ頃の長野旅行では諏訪大社本宮、前宮、秋宮、春宮と穂高神社に参拝しました。同じ頃、紀伊半島を一周したときは、那智大社、熊野本宮大社、熊野速玉大社に参拝しました。いずれも観光コースの一つとして計画したのです。20歳頃の島根旅行は、少しニュアンスが異なります。島根は、神話の国出雲という認識が強く、神社がメインの観光となりました。それにプラス松江市内の観光といった感じです。その時は、出雲大社、神魂神社、八重垣神社に参拝しました。

 1998年、丹生川上神社上社、丹生川上神社中社、丹生川上神社下社に参拝しようと思いました。理由は2つ。1つは、以前見た、弘法大師空海と丹生(と中央構造線)の関係に関するTVの番組が興味深く、「丹生」が頭の中に残っていたこと。1つは、その年の春バイクを購入して、ひまさえあれば日帰りツーリングに出かけていました。だから、丹生川上神社三社巡りは手頃なコースだったのです。

 遠い(名張から)ところから先に行こうと思ったので、まず丹生川上神社下社へ参拝することにしました。そして、ここの社務所で納経帳、いや御朱印帳を見たのです。神社でも御朱印が頂けるのを初めて知りました。西国三十三ヶ所巡りの雰囲気です。(実は、1978年から1981年にかけて、バイクで西国三十三ヶ所にお参りしています。そのおりは納経帳に御朱印を頂きました。)

 丹生川上神社下社で御朱印帳を購入して御朱印を頂き、当然丹生川上神社上社、丹生川上神社中社でも頂きました。さて、次はどの神社へ行こうかと考えた時、手元に日本史小百科「神社」という本があり、そこに二十二社というカテゴリーのあることが書かれていました。二十二なら三十三より手軽だ。よし、二十二社を廻ろうと決めた次第です。

 回り始めると、神社そのものに興味を持つようになりました。いつしか二十二社から延喜式内社にカテゴリーが広がっていました。そして、現在は枠を設けることなく、広く神社に参拝しております。

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home   更新:2008.07.27 作成:2005.05.22