坐摩神社【いかすり】(大阪市中央区久太郎町)
めずらしい三輪鳥居(三ツ鳥居ともいわれる)が境内への入り口となっている
正面奥に拝殿
本殿
御祭神
生井神【いくいのかみ】
福井神【さくいのかみ】
綱長井神【つながいのかみ】
波比岐神【はひきのかみ】
阿須波神【あすはのかみ】
五柱の御祭神を総称して坐摩神【いかすりのかみ】と申します。坐摩神は古語拾遺等によれば、神武天皇が即位された時に御神勅により宮中に奉斎されたのが起源とされ、坐摩【いかすり】の語源は諸説ありますが、土地又は住居地を守り給う意味の居所知【いかしり】が転じた名称といわれます。
御由緒
当社の創祀には諸説がありますが、神功皇后が新羅より御帰還の折、淀川南岸の大江、田蓑島のちの渡辺の地(現在の天満橋の西方、石町【こくまち】附近)に奉祀されたのが始まりとされています。平安時代の「延喜式」には摂津國西成郡【にしなりごおり】の唯一の大社と記され、産土神として今日に至っています。また、朱雀天皇の御代、天慶二年(939)以来祈雨十一社中に列し、以後たびたび祈雨[雨乞い]のご祈請・奉幣に預かりました。
天正十年(1582)豊臣秀吉の大阪城築城に当たり替地を命ぜられ、寛永年間現在地に遷座されました。現在の鎮座地名を渡辺と称するのも、元の地名が移されたもので、全国の渡辺・渡部等の姓の発祥の地でもあります。旧社地と伝えられる石町の御旅所には現在当社の行宮【あんぐう】が鎮座されています。
明治元年(1868)の明治天皇大阪行幸の際には当社に御親拝され、相撲を天覧されました。
昭和十一年(1936)官幣中社に列せられた際に御造営された壮麗な御社殿は、残念ながら戦災にて焼失しました。現在の御社殿は昭和三十四年(1959)に鉄筋コンクリート造で戦前の姿のままに復興されたものです。
大江神社、繊維神社、大國主神社、天満宮、相殿神社
陶器神社 ・ 稲荷神社
陶器、磁器の燈籠が並んでいる
陶器磁器の燈籠 |
こんな肌合いの抹茶茶碗が欲しいなぁ。 コーヒーカップでもいい。 |
加藤石
加藤清正が朝鮮から持ち帰ったと伝えられる
home 作成:2011.08.18