日吉大社【ひよしたいしゃ】(滋賀県大津市坂本)

額には「日吉大社」の文字

比叡山の東に鎮座する、全国3800余りある日吉神社・日枝神社の総本社であります。「ヒエ」に吉祥の意から「日吉」という字を当て、やがて訓みも「ヒヨシ」と変化したと考えられます。同じ様な例は、大阪の住吉大社の場合にも見られます。(スミノエ→スミヨシ)古い文書には、「日吉」「日枝」の他に「比叡」「裨衣」等の文字も使われているそうです。日吉大社は日吉山王、山王権現ともよばれております。「山王」の名称は日吉大社と比叡山延暦寺との密接な関係に由来します。牛尾山(八王子山)の山麓に生まれた最澄が比叡山に寺を創建し、弟子の円仁の時代に日枝の神を天台宗の護法神とする信仰が定着します。天台宗の本山である中国の天台山国清寺が天台山の地主神である「山王元弼真君」【さんのうげんひつしんくん】を護法神として祀っていたことによると考えられます。

日吉大社は、東本宮系と西本宮系に大きく分けることが出来ます。東本宮(二宮)は牛尾山(八王子山)の奥宮に対する里宮という位置付けになると考えられます。




牛尾山

参道から見る牛尾山(八王子山)の奥宮
牛尾山

鳥居の後ろ中央に見える神奈備型の牛尾山

古事記に「大山咋神【おおやまぐいのかみ】、またの名は山末之大主神【やますえのおおぬしのかみ】、この神は近淡海国【ちかつあうみのくに】の日枝【ひえ】の山にます」とあります。日枝山は「牛尾山」「八王子山」「山王山」「小比叡峰」【おびえのやま】「波母山」【はもやま】などともよばれる標高378mの神体山です。この山に対する信仰が日吉大社の原点と考えられます。
山麓には古墳時代の円墳が70基ほど存在します。これら古墳に葬られた氏族の祖の魂が留まる山、山中他界の観念から、山自体が神秘性を持ち神聖視され信仰礼拝の対象となっていったと考えられます。




山王二十一社・本地仏一覧

現社名 祭神名 旧称 本地仏 比叡山麓坂本の日吉山王社は、延暦寺の地主神【じしゅしん】という性格を持つ神社で、江戸時代は、延暦寺の三執行代という役僧の管理下にあった。本地垂迹【ほんじすいじゃく】という考え方により神仏習合が進んだ江戸時代の神社は、一般的に僧侶身分の者が神職身分の者より位が上であった。また、御神体は仏像という神社が多かった。
明治政府は成立直後の明治元年(1868年)、神仏分離に関する布告を出した。一つは、祭政一致の理念を掲げ、奈良時代の律令制度にならい神祇官【じんぎかん】を復活させる。さらに以下の布告も含まれている。

一、中古以来、某権現【ごんげん】或ハ牛頭天王【ごずてんのう】之類、其外仏語ヲ以【もって】神号ニ相称【となえ】候神社不少候。何レモ其神社之由緒委細ニ書付、早早可、申出候事。
一、仏像ヲ以【もって】神体ト致候神社ハ、以来相改可申候事。付【つけたり】、本地抔【など】ト唱ヘ仏像ヲ社前ニ掛、或ハ鰐口【わにぐち】・梵鐘・仏具等之類差置候分ハ、早早取除キ可申事。

明治政府は神と仏・神社と寺を分離せよと布告したのであって廃仏毀釈を命令したのではなかったが、結果的には、多くの神社において仏像や仏具、仏教施設を破壊する廃仏毀釈につながった。

布告があった3月28日の3日後、4月1日に日吉山王社に武装した100人ほどの一隊が押しかける事件が起こる。中心となったのは日吉山王社に所属する神職で、僧侶が止めるのもきかず、社殿の鍵をこじ開けて、御神体だった仏像等を運び出し、壊したり焼いたりした。100人がかりで半日かかったと言う。
上七社 本宮 西本宮 大己貴神 大宮(大比叡) 釈迦
本宮 東本宮 大山咋神 二宮(小比叡) 薬師
摂社 宇佐宮 田心姫命 聖真子 阿弥陀
摂社 牛尾神社 大山咋神荒魂 八王子 千手
摂社 白山姫神社 白山姫神 客人 十一面
摂社 樹下神社 鴨玉依姫神 十禅師 地蔵
摂社 三宮神社 鴨玉依姫神荒魂 三宮 普賢又は大日
中七社 末社 大物忌神社 大年神 大行事 毘沙門
末社 牛御子社 山末之大主神荒魂 牛御子 大威徳
末社 新物忌神社 天知迦流水姫神 新行事 持国天又は吉祥天
末社 八柱社 五男三女神 下八王子 虚空蔵
末社 早尾神社 素盞嗚神 早尾 不動
摂社 産屋神社 鴨別雷神 王子 文殊
末社 宇佐若宮 下照姫宮 聖女 如意輪
下七社 末社 樹下若宮 玉依彦神 小禅師 竜樹
末社 竈殿社 奥津彦神
奥津姫神
大宮竈殿 大日
末社 竈殿社 奥津彦神
奥津姫神
二宮竈殿 日光
月光
末社 氏神神社 鴨建角身命
琴御館宇志麿
山末 摩利支天
末社 厳滝社 市杵島姫命
湍津島姫命
岩滝 弁財天
末社 剣宮社 瓊々杵命 剣宮 不動
末社 気比社 仲哀天皇 気比 聖観音



奥宮へ到着
奥宮(牛尾山頂上)へ至る登り口

石段左手にある社は三宮宮遙拝所(祭神:鴨玉依姫神荒魂【かもたまよりひめのかみあらみたま】)、
右手にある社は牛尾宮遙拝所(祭神:大山咋神荒魂【おおやまくいのかみあらみたま】)。
石段になっているのはほんの一部で、ほとんどは土の道、しかも勾配がきつい。
心肺機能が低く体力の無い私めにはきつい登り、下りも膝に負担のかかる道でありました。
しかしながらこの道を、御輿を担ぎ上げまた担ぎ降ろす神事があるわけで、そんなことを思いながらどうにか往復致しました。




奥宮への登り口

やっと奥宮へ到着




奥宮

奥宮
中央石段奥が磐座【いわくら】「金大巖」【こがねのおおいわ】
左側(西側)が三宮宮(祭神:鴨玉依姫神荒魂)、右側(東側)が牛尾宮(祭神:大山咋神荒魂)




金大巖【こがねのおおいわ】

金大巖【こがねのおおいわ】


金大巖【こがねのおおいわ】

金大巖【こがねのおおいわ】を横からみると真っ平らだ



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更新:2012.02.25c 作成:2007.09.02