唐崎神社【からさき】(滋賀県大津市唐崎)
日吉大社の境外摂社である。(滋賀県神社庁HP) 唐崎は、比叡山地から琵琶湖へ流出した土砂によって陸地が突出したところにある。「辛崎」「韓崎」の字もあてられてその名は古く、奈良時代には風光明媚な景勝地として知られていた。『万葉集』にも唐崎が歌われている。(『日本の神々 5』)
境内入り口
拝殿、本殿、その背後は琵琶湖
拝殿と本殿
本殿
御祭神は女別當神【わけすきひめのかみ】、女神様だ。
由緒 唐崎神社の由緒 御祭神 女別當命(わけすきひめのみこと) 祭 日 例 祭 四月二十八日(春祭) 十月二十八日(秋祭) 御手洗祭 七月二十八日・二十九日 月次祭 毎月二十八日 由緒 日吉大社の古記によると、舒明天皇六年(633年)、琴御館宇志丸宿弥【ことのみたちうしまるのすくね】がこの地に居住して「唐崎」と名付けた。 御祭神・女別當命【わけすきひめのみこと】は宇志丸宿弥の御妻君で、この地に松を植えて、持統天皇(697年)の御代に創建したと伝えられている。 天智天皇が白鳳二年(675年)三月この地に臨幸あらせられた時、湖上の漁舟に田中恒世という者が神命を受けて唐崎の松の下にお送り申し上げ、その時船中にて恒世は栗飯を供した。帝は大へん喜ばれ、毎年この期に栗飯を食されるのを約束されたと伝えられている。この例が今日も日吉大社例祭、山王祭で執行される唐崎沖での「栗津の御供」神事に残されている。 古来この唐崎は七瀬之祓(ひちせのはらい)の一処と定められて、朝廷の夏越の祓を始め、国家の大事に当っての祓を行うについての要所と定められた霊場であった。 古くは唐崎神社を女別当社と別称し、女人の信仰が極めて篤く、近江国はもとより京、大阪までも御神徳を仰ぐ人々でにぎわいを見せた。今日も毎年夏に行われる夏越【なごし】の祓【はらえ】の御手洗祭【みたらしまつり】(七月二十八日・二十九日)の両日には遠近より婦人の参拝も多く、殊に婦人病、下の病には著しい御霊徳が授けられるとして早朝から深夜まで参拝者の波は絶えない。 |
本殿の屋根は、四方に千鳥破風と唐破風が設けられている。
非常に珍しい。
左手、こんもりとした木は、『唐崎霊松 後継樹 三代目霊松の実生を平成三十年に植樹』(掲示)したものだそうです。
石柱のそく右手に、うっすらと三上山(御上神社の神体山、近江富士ともいわれる)が見える。
近江八景とは
石山秋月【いしやま の しゅうげつ】=石山寺(大津市)
勢多(瀬田)夕照【せた の せきしょう】=瀬田の唐橋(大津市)
粟津晴嵐【あわづ の せいらん】=粟津原(大津市)
矢橋帰帆【やばせ の きはん】=矢橋(草津市)
三井晩鐘【みい の ばんしょう】=三井寺(園城寺)(大津市)
唐崎夜雨【からさき の やう】=唐崎神社(大津市)
堅田落雁【かたた の らくがん】=浮御堂(大津市)
比良暮雪【ひら の ぼせつ】=比良山系(大津市)
(Wikipediaより)
歌川広重の『近江八景 唐崎夜雨【からさきのやう】』
写真:2024.07撮影
home 作成:2024.09.11