神倉神社【かみくら】(和歌山県新宮市新宮)

鎌倉積み石段

初めてこの鳥居の前に立ったとき思った。「階段? 石垣じゃないのか!」
この鎌倉積みの石垣、いや、この鎌倉積みの石段は538段あるそうだ。源頼朝公寄進によるものという。
(那智の滝から那智大社への登りにも、鎌倉積みの石段があった。)
子供達が段数を数えながら元気良く登って行った。




鎌倉積み石段 境内看板その1

神倉神社

御祭神 高倉下命【たかくらじのみこと】
    天照大神【あまてらすおおみかみ】

例祭 二月六日夜
 御灯祭りと言う古儀の特殊神事として名高い。白装束に身を固めた祈願者が神火を松明にうけて急坂(源頼朝公御寄進の鎌倉式石段)を馳下る壮観な火祭である。

御由緒
 熊野権現として有名な熊野速玉大社の摂社である。熊野三山(速玉・那智・本宮)の主神降臨の霊地熊野信仰の根本とも申すべき霊所である。御祭神高倉下命は、建国の功臣、熊野三党(宇井・鈴木・榎本)の祖として知られ、農業漁業の守護神として御神徳が高い。



境内看板その2

史跡 熊野三山(権現山)
【くまのさんざん(ごんげんやま)】

 市内西方にそびえる権現山(神倉山)は、神が降臨する神体山【しんたいさん】として崇められてきました。
 主峰は千穂ヶ峰【ちほがみね】(253m)で「鎮護ヶ峰」【ちんごがみね】と記されたように神仏が鎮まり守護してくれる山です。 古くから熊野速玉大社の神降臨の神域として重要でした。 権現山の南、高さ100m近い断崖絶壁には神倉神社があり「天磐盾」【あまのいわたて】とみなされてきました。 また、ここは神が鎮座する磐座があり「ゴトビキ岩」と呼ばれています。 古来から霊域として、また修験道の行場として栄えてきたことがわかります。

 毎年2月6日の夜行われる御燈祭りは、白装束に身を包んで、538段の急な石段を駆け下りる勇壮な火祭りで、新年の聖なる神火をいただくという、原始信仰を今に伝える儀式でもあります。


鎌倉積み石段

中ノ地蔵堂・火神社をすぎると、ゆるやかな登りとなる。




火神社・中ノ地蔵堂   満山社
火神社・中ノ地蔵堂 満山社



境内入り口




巨大な岩盤

巨大な岩盤
写真の最奥に、ゴトビキ岩と社殿のひさしが小さく見えている。




ゴトビキ岩と社殿

ゴトビキ岩と社殿

「日本の神々6」には『通称「ゴトビキ岩」(ゴトビキとはヒキガエルの方言で、厳密には頂部の石をゴトビキ岩といい、それを支える基岩を「袈裟岩」という)と呼ぶ巨岩を神体として・・・』とある。とすると、注連縄が巻かれている部分が袈裟岩か?厳密にいうところのとゴトビキ岩は(上部写真)社殿の前方の千木と重なる部分ということになる。昭和30年に社殿改築の際、現社殿と反対側の袈裟岩基部の穴のなかから袈裟襷文【けさだすきもん】銅鐸の破片大小22個が出土したという。(銅鐸の破片が出土したのは、下部右写真当たりになるのだろうか?)銅鐸の破片が出たことで、弥生時代後期からここで祭祀が行われていたことが実証された。




磐境? 磐境?



熊野灘の沖から、ゴトビキ岩と花の窟は陰陽一対のごとく望まれるという。航行・漁を行う時の目印(アテ)として、海上守護神として、常世で再び生を得た魂(神霊)の寄りつく目標地とも見られていたと考えられる。

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写真:2008.06撮影
home   作成:2008.06.08