勝手神社【かって】(三重県名張市赤目町柏原)
参道入り口
右手に山ノ神碑が2体見える
石の両部鳥居、拝殿が見える
拝殿
出雲形狛犬が新しくなっておりました。
拝殿内
本殿
由緒
神殿に収められている勝手神社祭神記には
「本社創立第一年度ハ不詳ナルモ、人皇百七代正親町天皇ノ永禄五年(1562年)当地の士瀧野十郎吉政勧請ノ神社ナリ。元来瀧野氏は部門ノ賢人ナルヲ以テ親族眷属ヲ下知シ近郷ノ士官ナリ。然ルニ当社ヲ祀リ給フハ数年ノ軍功アリテ家臣ノ強キヲ誇リ、勝ニ乗ジテ言ヒケラク、我大江貞基親王ノ末子ニシテ血統タルヤヨク人ノ知ル処ナリ。故ニ兵士モ尊敬セヌハナカリケリ。ココニ一社ヲ設ケテ鎮守神ト称シ給フナリ。或時賢僧ヲ招キ勧請シ勝手神社ト号シ朝暮供物シ奉ルコト無怠、神徳ノ威ヲ輝シ日々ニ勇気弥増シ給フト云フ。然リトイヘモ天正九年(1581年)十月二十七日織田氏ニ下リテ落城ス。ソノ後村民コレヲ氏神トシテ崇敬シ、文禄二年(1593年)十二月二十八日神殿ヲ設ケ遷座式ヲ執行シ今ニ祭礼ノ基本瀧野氏ノ施行セラレルガ如ク連綿タル所以ナリ」
と記されている。
主祭神の正勝吾勝勝速日天忍穂耳命【まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと】は天照大神と須佐之男命との誓【うけい】によって誕生されたとされ、勝の字三つを持つ神名から往古は武神と信じられていた。本社は奈良県吉野郷にあってその分社として祀ったもので、最古の棟札には遷座式の行われた1593年(文禄二年)の日付が記されている。
明治四年村社に指定され、明治四十年政府が国家神道振興のために一般には一村一社とする合併方針を打ち出したので当字内各所にあった無格社と、星川の八幡社を合祀した。
戦後は神社に対する国家の統制も保護も消滅し、星川八幡社は当社から分離復座し今日に至っている。
主祭神と旧無格社の祭神名及び祀っていた社名、所在地は次のようである。
○主祭神
正勝吾勝勝速日天忍穂耳命【まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと】
○合祀祭神
大日■貴命【おおひるめむちのみこと】 神明社 現境内 (■:「雨」冠+「口口口」+「女」)
建速須佐之男命【たけはやすさのおのみこと】 津島社 現境内
天照大御神【あまてらすおおみかみ】・天児屋根命【あめのこやねのみこと】・天布刀玉命【あめのふとだまのみこと】 三宮社 現境内
大山津見神【おおやまつみのかみ】 山の神 路傍
火産霊神【ほむすびのかみ】 秋葉社 垣添
底筒之男命【そこつつのおのみこと】・ 中筒之男命【なかつつのおのみこと】・ 上筒之男命【うわつつのおのみこと】 住吉社 小場
木花佐久夜比売命【このはなさくやひめのみこと】・大物主命【おおものぬしのみこと】 金比羅社 現境内
奥津比古神【おきつひこのかみ】・奥津比売神【おきつひめのかみ】 荒神社 垣添
応神天皇【おうじんてんのう】 八幡社 東野
菅原道真公【すがはらみちざねこう】 天満社 貝増
御神木
← 地図写真:2011.04撮影
home 更新:2011.05.06b 作成:2005.09.11