稲荷神社【いなり】(三重県名張市瀬古口)
境内入り口
向かって左側に本社・境内社があります。
伊勢湾台風のおりには、右にある社名標の「神」の字まで水が来たそうです。
本社拝殿
境内掲示額
稲荷神社縁起
所在地 三重県名張市瀬古口字丁ノ坪二百二十七番地
祭 神
宇迦能御魂神(ウカノミタマノカミ)
大物主命(オオモノヌシノミコト)
火之迦具土神(ホノカグツチノカミ)
由 緒
当神社創祀の年代は古伝によると今から四百有余年前稲荷大神が山城国
伏見より河内国大和国を巡り伊賀国の当地に鎮座したと伝えられている
「神社記」によれば慶長二年(一五九七)京都伏見稲荷大社より御分
霊勧請したとあり五穀豊穣を守る祖神として人々の信仰の中心となっている
明治四十年の神社法改正により 大字中村五百刈 三輪神社
瀬古口順添 金刀比良神社 同愛宕谷 愛宕神社 三社に奉斎されていた
神々が同年十二月九日ここに合祀され今日に至っている
三輪神社は「神社記」によれば人皇十代崇神天皇六十四年大和国笠縫より
市守宮に移って鎮座し大物主命が祀られているとありまた天智天皇が
ここに行幸されたとの云い伝えが残っている
秋の大祭には稲荷大明神と並んで三輪大明神に神饌を調進するを
例としている
金刀比良神社は大物主命を祭神とする社であった 勧請年代は
明らかでない
愛宕神社は古伝によると安永四年(一七七五)城州愛宕山大権現を
勧請したとあり火之迦具土神が祀られていた
稲 荷 神 社
平成六年十二月吉日
祇園社 |
鳥居に向かって左柱の陰にある祠が川徳社か?その右隣に庚申供養塔が二つ続き、次に、山神の石碑が二つある。この二つが山の神社に当たるのだろうか? |
境内掲示額
境内神社(三社)
一、祇園社
祭神 建速須佐之男神
由緒 当社は寛政年間尾州
津島明神より神札を受け
社を建立し祇園と称した
一、山の神社
祭神 大山神祇神
由緒 往昔より山の祭神として
祀られている
一、川徳社
祭神 宇迦能御魂神
火之迦具土神
瀬織津姫命
由緒 当社は寛永年間に
「瀬織津姫命」を合祭し
河徳大明神として祀られ
ていたが近年になって川徳社
となり祀られている
稲荷神社境内社縁起
祇園社
祭 神 建速須佐之男神(タケハヤスサノヲノカミ)
由 緒
当社は寛政年間に諸方に疫病が流行し村民其の患いを恐れて
尾州津島明神に参詣して神札を受け享和二年(1802)社を建立し
祇園と称したに始まり参詣者多く明治以前は旧暦六月七日より
十四日迄を祭日と定めていたが其の後八坂神社と改め祇園祭として毎年
七月十四日を祭日とし近年になって祇園社として崇敬され今日に至っている
山の神社
祭 神 大山祇神(オオヤマヅミノカミ)
由 緒
当地祭祀の起源は明らかではないが 往古より 山の祭神として
崇敬されている
川徳社
祭 神 宇迦能御魂神 火之迦具土神 瀬織津姫命
由 緒
当地字西に鎮座する宇迦之御魂神を主神として寛永年間に
諸災続きのため山城国葛野郡愛宕社の火之迦具土神を御分
霊勧請し又往古より梁瀬の川べりに祀られてあった瀬織津姫命
の二神を合祭し河徳大明神として祀られていが近年になっ
て境内社となり川徳社として祀られている
稲 荷 神 社
平成七年一月吉日
写真右の杜が稲荷神社
名張川に架かる鍛治町橋の南に位置します。
左手の杜は宇流冨志禰神社。
境内にくわいしい由緒書があり助かります。私の場合、神社に参拝すると御祭神が気になります。 境内に摂社・末社のある神社は沢山ありますが、お祀りされている神様が分からないことが多々あります。
あまりお見かけしない神様のお名前を見つけると、「おお! こちらでお祀りされていたのですね!!」なんて、少し感動したりします。
当社でも、火之迦具土神が祀られております。新町愛宕神社の頁でもふれておりますが、昔名張で大火があった後、 京都愛宕神社の御分霊を各町に分祀したとのことですから、
火之迦具土神【ほのかぐつちのかみ】様は名張の神社ではたびたびお会いすることになるのでしょう。
home 更新:2007.05.05b 作成:2005.05.22