宇流冨志禰神社【うるふしね】(三重県名張市平尾)

境内入り口

参道から境内方面を臨む
(三の鳥居(?)は中山鳥居に見えるが、貫の両サイドが欠損している明神鳥居です。)




拝殿

拝殿
(左手に興玉神社の拝殿が少し見えております。)




本殿 境内石碑

宇流冨志禰神社
   鎮座地 三重県名張市平尾三三一九番地

祭神
 宇奈根命(うなねのみこと)
 天照大神(あまてらすおおかみ)
 武甕槌神(たけみかずちのかみ)
 経津主神(ふつぬしのかみ)
 天児屋根神(あめのこやねのかみ)
 姫大神(ひめおおかみ)

當社は延喜式内国史現在社にて主祭神宇奈根命は神武建国の始め一国の瑞穂と氏神の安泰を祈願する為に祭祀される、天正伊賀の乱にて沿革誌等兵火に遭い消失するも古文書によれば貞観十五年八七三年宇奈根神從五位とあり後神位階昇進し永徳元年從一位に昇進(神園大暦に見ゆ)天武天皇三年圭田四十二束四ヶ所を以て祭祀するとあり文徳天皇仁寿元年官幣をうけ国司より幣帛を賜るとある鎌倉幕府開府により廃止となるまで歴代崇敬篤くその後松倉豊後守勝重公及び藤堂高吉公伊賀国に移封領主とし尊敬篤く神威高昴社勢整い明治十四年県社の社格を受け明治四十年附近村落の十四社を合祀し郷土の鎮守神として親しまれ信仰されて現在に至る

例祭
 春祭 四月十八日
 秋祭 十月二十八日

境内社として興玉松尾神社、稲荷神社、愛宕神社、八坂神社、三輪神社、八幡宮、市杵島姫神社、山ノ神、白玉明神、護国神社を併祀する

 名張の神社の中では、名前の覚えにくさからいうとトップクラスではないでしょうか。ややこしい名前の神社ほど、歴史のある神社って感じがします。事実、名張に二社ある延喜式内社の内の一つであります。
宇流冨志禰(袮)は、「潤う伏水」【うるおうふしみ】から来ているという説があります。 社地の地下数メートルに岩盤があり伏流水があったためと言われています。祭神は宇奈根命【うなねのみこと】。 宇奈根は、河岸平野をあらわしている宇多野から転化したものという説があります。水に関係する神であることに間違いはないと思います。
宇奈根命のほかに、春日四神(武甕槌神 經津主神 天兒屋根神 姫大神)が祀られております。 当社は地元の人たちからは「お春日はん」ともよばれています。 この辺りに荘園を持っていた藤原氏一族が、積田神社【つむた】から勧請したという説があります。




掲示

岩祭り 弁天岩由緒書
此の処は、宇流冨志禰神社の初めての鎮座地であり、崇神天皇六十六年倭笠縫の里より御遷幸の途次御駐輦になった処にして、俗称弁天岩と称した処であります。址神護景雲元年、鹿島の神が奈良に御遷幸の途次、一時御駐輦の旧跡でありましたがその後現在地に御奉斎申したのでありますが、此の境内地が一部道路となるにつれ、お祭の斎場も道路となり跡地のみを残して、玉垣を塗り保存して来ましたが、この由緒を知る氏子も少なくなり、又旧六月十六日は名張の大休み(休日)として酒を持って、お参りしたが今はすたれ大休み(休日)も無くその由緒を知る人も少なくなったので永久的保存と、一般に知って貰うために略記しました。
宇流冨志禰神社 社務所


弁天岩

弁天岩
神職の方に写真をお見せして、確認して頂いたところ、
右の黒っぽい木のむきだしになった根元左下、岩盤の一部がはみ出た様な岩が弁天岩との事でした。

(↑2枚写真:2021.07撮影)




宇流冨志禰神社においても沢山の神社が合祀されています。
稲荷神社  瀬古手町(明治41年3月29日)
稲荷神社  松崎町 (明治41年3月29日)
愛宕神社  松崎町 (明治41年3月29日)
稲荷神社  北出  (明治41年3月29日)
愛宕神社  北出  (明治41年3月29日)
金毘羅神社 北出  (明治41年3月29日)
両社八幡宮 八町  (明治41年3月29日)
稲荷神社  南出  (明治41年3月29日)
愛宕神社  境内  (明治41年3月29日)
八坂神社  榊町  (明治41年3月29日)
金刀比羅神社 下横町(明治41年3月29日)
稲荷神社  境内  (明治41年3月29日)
愛宕神社  上横町 (明治41年3月29日)
愛宕神社  並松  (明治41年5月21日)




境内社

興玉神社拝殿 興玉神社本殿
境内社 興玉神社拝殿 興玉神社本殿

境内社興玉神社に合祀された神社
津島神社  宇流冨志禰神社境内 (明治41年2月18日)
市杵島神社 宇流冨志禰神社境内 (明治41年2月18日)
八幡神社(二社) 宇流冨志禰神社境内 (明治41年2月18日)
稲荷神社(三社) 宇流冨志禰神社境内 (明治41年2月18日)
金刀毘良神社 宇流冨志禰神社境内 (明治41年2月18日)
愛宕神社  宇流冨志禰神社境内 (明治41年2月18日)
愛宕神社  平尾字藤之木 (明治41年2月18日)
稲荷神社  境内社 (明治41年2月18日)
愛宕神社  黒田字尻江 (明治41年4月1日)
明治41年の合祀の際に、酒造業の方々が京都の松尾神社から分霊を勧請し、興玉松尾神社と改称されております。 興玉松尾神社の本殿は、黒田の愛宕神社のものをゆずりうけ明治41年に移座したそうです。


白玉明神・愛宕神社・稲荷神社・護国神社・八坂神社・市杵島神社

左から、白玉明神 愛宕神社 稲荷神社 護国神社 八坂神社 市杵島神社(3枚の写真を合成)



大神神社 八幡神社
大神神社 八幡神社。右奥は山ノ神。


一の鳥居 榊町と中町の境に当社の一の鳥居があります。私が思っていた以上に歴史は古く、1687年にまず檜の鳥居が建立されております。しかし木の鳥居は宝永の大火で消失しました。その後、石の鳥居を造るべく1777年10月に着工し翌年9月に竣工したのが現在の鳥居だそうです。星川の龍神山から石材を運んだとのことです。

(↑写真:2007.10撮影)




杜の俯瞰

名張川を挟んで左手の杜が宇流冨志禰神社
右手の杜は稲荷神社(瀬古口)
(↑写真:2005.08撮影)

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写真:2005.08撮影
home   更新:2021.07.02d 作成:2005.05.22