積田神社【つむた】(三重県名張市夏見)
参道
参道奥に拝殿が見える
拝殿 |
本殿 |
祭神 武甕槌命【たけみかづちのみこと】 天児屋根命【あめのこやねのみこと】 経津主命【ふつぬしのみこと】 姫大神【ひめおおかみ】 五男三女神【ごなんさんじょのかみ】 伊邪那美神【いざなみのかみ】 天押雲命【あめのおしくものみこと】 建速須佐之男命【たけはやすさのおのみこと】 火之迦具土神【ほのかぐつちのかみ】 ← 本殿裏 |
明治41年5月10日、中知山の八柱神社を合祀しております。
中知山の八柱神社は、前年明治40年12月13日に境内社の若宮神社、熊野神社、及び区内の津島神社、愛宕神社を合祀しておりました。
春日遷宮伝説
奈良の春日大社に祀られている主神武甕槌命【たけみかづちのみこと】は、神護景雲元年(767年)に茨城県の鹿島に鎮座していたのを奈良に遷されたものだそうです。春日大社の由緒を記す多くの古い書物にその道中に関する記述がありますが、「春日古社記」には以下の文章があるそうです。
「神護景雲元年正月十六日、鹿島より出御。供え奉る社司中臣時風・同秀行、禰宜紀乙野なり。白鹿をもって御乗物となし梯子(柿木?)の枝をもって御鞭とす。『春夜神記』に云う。同年六月二十一日、伊賀国名張郡夏見郷(いま御成宮と号す或は宇成に作る)一の瀬((下写真左)という河にて沐浴ます。この間、鞭をもって験となし、その河辺に立つ。すなわち木となり生えつきおわる。(下写真右)それより薦生の中山に御座、数月居住せらるる時、供奉の時風・秀行におのおの神供の焼栗を賜いて曰く、汝らの子孫にいたるまで断絶するなく我に仕うべき者はその栗を植えよ、必ず生えつくべしと。仰せにしたがいこれを植うるに生えつきおわんぬ。今そのところを栗林と号す。これより初めて中臣殖栗連【えくりのむらじ】と号す。同年十二月七日大和国城上郡安部山に遷御す。」
「夏見郷御成宮」と「薦生中山宮」に一時鎮座したことは他の旧記類とも一致しているそうです。「薦生中山宮」は、現在の名張市薦生にある中山神社であることは間違いないようです。「夏見郷御成宮」については諸説がありましたが、明治の末に詳細に調査された結果、現在の名張市夏見にある積田神社であると断定されました。
積田神社境内から望む一ノ瀬(名張川)。対岸に鏡池社の杜が見える。 |
神柿(かみがき) 御遷幸の際、鞭とされた柿の枝を衝き立てておいたのが根づいたといわれている |
← 積田神社境内にある鏡池社の鳥居 名張川をはさんだ対岸に社殿がある。 鏡池社鳥居横にある碑文 鏡池社由来 私達の守護神であります当地氏神積田神社の起源は古く今から千二百年前といわれています。 積田神社の主祭神武甕槌神が常陸国鹿島よりこの伊賀の国夏見郷に御滞在せられた所「御座跡現在寺田病院裏」より一ノ瀬川「現在比奈知川」をお渡りなされる時にこの池にお立寄られわが姿が水面に映られたので鏡池と名付けられたと伝えられている。その後積田の宮において毎年祈年祭・宮籠・出穂祭・秋季例祭の翌日鏡池祭が行われ、大祭の御饌に用いたる装束・祭具等を池頭の森の中に納め、折懸樽と称し竹の節間を曲げて作りしものに神酒を奉り祭典を行う。 又当鏡池は奈良猿沢池の水質と同じであって当池が濁ると猿沢池も濁ると伝えられている。 |
境内
鏡池社 | 鏡池 |
home 更新:2008.11.23b 作成:2006.03.04