平安神宮【へいあんじんぐう】(京都市左京区岡崎西天王町)

大鳥居 大鳥居

平安神宮の大鳥居
昭和4年に設置されたもので、コンクリート及び鉄骨造の明神鳥居である。
幅18.2m、笠木の長さ33m、高さ24.2mあり、長く日本最大の鳥居であった。
(現在は、熊野本宮大社の旧社地大斎原にある鳥居、大神神社の大鳥居の方が大きい。)




楼門(応天門)

楼門(平安京の応天門を模したもの。規模は平安宮建築の約十分の六)




拝殿(大極殿)

拝殿(平安京の大極殿を模した神殿造。規模は平安宮建築の約十分の六)
拝殿の奥に内拝殿がある。その奥に祝詞殿がありさらにその奥に本殿がある。

祭神:桓武天皇、孝明天皇


(写真上左手)

右近の橘

平安時代以降、紫宸殿の南階下の西方に植えられた橘のことを「右近の橘」といい「左近の桜」と併称される。
儀式のとき、右近近衛府の官人がその側に列したことから、名付けられた。
橘は、蜜柑の仲間で唯一の野生種でありその実は、古くから「常世国」の不老長寿の妙薬として珍重された。

 さつき待つ 花橘の香をかけば
    昔のひとの 袖の香ぞする
               古今集
(写真上右手)

左近の桜

平安時代より、紫宸殿の南階下の東方に桜が植えられ、儀式のときには左近衛府の官人らが、その側に列したことから「左近の桜」と名付けられた。
桜は、清らかさを大事にする日本人の心を表すものとして「日本の国花」にもなっている。


 敷島の大和心を人とはば
   朝日ににほう山さくらばな
             本居宣長

左近の桜

左近の桜




白虎楼 蒼龍楼
白虎楼 蒼龍楼

拝殿に向かって左に白虎楼、右に蒼龍楼がある。連子窓【れんじまど】を廻らした回廊で拝殿と繋がっている。




桜



平城京から平安京に遷都して1100年目となる1894年(明治27年)、記念事業として平安遷都を行った桓武天皇の神社を建てる運動が起こりました。1893年(明治26年)9月に地鎮祭が行われ、1894年3月に流造の本殿、記念殿(大極殿、応天門、青龍楼、白虎楼等の復元建築)が完成しました。記念殿は、平安宮建築の約十分の六の規模で再現されました。本殿、記念殿の総工費は、当時の金額で十二万二千円余り。その9割までが記念殿に当てられております。神苑の造園費用が、四千二百円余りだったといいますから、記念殿に莫大な金額がつぎ込まれたことが解ります。皇室からの下賜金や、京都市の交付金もありましたが、大部分を全国の民間募金に頼ったそうです。同年3月15日、勅使が東京の宮城内の皇霊殿から桓武天皇の分霊の神鏡を持参して本殿に安置する鎮座祭が行われました。
平安遷都千百年記念祭と記念式典は、桓武天皇が平安宮大極殿で最初の朝賀の儀を行った遷都翌年の795年(延暦14年)の記念日として、1895年(明治28年)に開催されました。

もう一座の祭神である孝明天皇は、1940年(昭和15年)に神武天皇紀元の二千六百年記念行事の一環として合祀されました。


『京都の平熱』(鷲田清一著)によると、平安奠都【てんと】千百年記念殿(=平安神宮)の建築技師を任されたのは、二十五歳の伊藤忠太だったという。また、近くを流れる琵琶湖疎水の設計・施工の総責任者を任されたのは田辺朔郎二十三歳。大学卒業間無しの若者達に任せる方もすごいが、引き受けた方もすごいと思う。琵琶湖疎水の総予算は一二五万円、いまでいえばおよそ九000億円だそうだ。田辺朔郎は、米国で水力発電が開発されたと聞き、工事の途中米国に視察に行き、疎水工事に生かした。世界で2番目に水力発電所を建設したのだ。西陣織などの伝統産業の近代化に貢献し、日本初の路面電車の敷設につながったという。



神苑

植治【うえじ】こと、七代目小川治兵衛【おがわじへい】の作庭による。南神苑・西神苑・中神苑・東神苑に分かれ、広さ一万坪ある。古今和歌集や竹取物語等に登場する花々約200種類が植えられている。

紅垂れ桜 紅垂れ桜

入り口の門をくぐると、南神苑がある。約150本の紅垂れ桜が植えられている。里帰りの桜とも言われ、江戸時代津軽藩主が持ち帰った桜の苗木が京都に寄贈された。



桜



菖蒲 菖蒲
菖蒲 菖蒲と睡蓮


臥龍橋

臥龍橋
三条大橋と五條大橋を建て替えた時の廃材を利用したもの。「臥龍橋」は植治が命名した。



泰平閣(橋殿)

泰平閣(橋殿)
京都御所から譲り受けたものである。

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home   更新:2013.08.13 作成:2008.10.04