常陸神社【ひたち】(奈良市法蓮町)

スマホの地図を確認しながら奈良豆比古神社から狭岡神社に向かって歩いていて、地図上に当社を認めました。狭岡神社に参拝後、奈良高校跡地の北側を行ったなら常陸神社に近いなぁと思ったが、Google Map上の道は途切れており、冒険を避けて奈良高校跡地の南側を回り込むように当社に向かいました。(Wikipediaには、奈良高校は「2022年(令和4年)4月1日 - 平城高等学校跡地へ移転。」とあった。)

奈良高校東側にある標柱

奥へ進み左へ




参道入り口

参道入り口




参道右手の碑

参道右側に「常陸神社」と書かれた碑




参道の突き当り右手に社殿い至る石段がある

参道入り口の鳥居をくぐり、直進して突き当りを右に曲がると石段がある。




狛犬阿形

狛犬阿形
狛犬吽形

狛犬吽形

吽形狛犬にある掲示

  母子獅子
母獅子のお乳を求め慕いよる子獅子
「子授けの常陸の宮サマ」
ならではの唐獅子です
特に子獅子の表情をご覧ください。
  子授けの祈願は毎月十九日
  当社で受承っております
     常陸神社



拝殿

拝殿が見えてきました




本殿

本殿
御祭神:少名毘古那神【すくなひこなのかみ】

『奈良市史 社寺編』によると、常陸神社勧請の記に以下のような沿革が記されているとのこと。
今より千余年の昔、国司たりし常陸大掾中臣無良自という人が少彦那の神を信じ一社を建立信仰せられたる時、桓武天皇延暦七年に都を山城国愛宕郡に遷すに際して、祭神を当佐保岡の地に移し給えり。然るに中世應仁の大乱により、神社も廃壊して神燈も絶えんとせしを、徳川の治世となり八代将軍吉宗公は社寺の由来を調べ再建する時、当神社を郡山城主柳沢甲斐守吉里に申しつけ御造営が行われた云々。




藤滝大明神 碑には「正一位 藤滝大明神」の文字。

『奈良市史社寺編』の常陸神社の項には、「本殿の北に藤滝大明神・玉井大明神・稲荷社の小祠がある。」と書かれている。
玉井大明神は気付かなかったのだが、稲荷社に関してはたしかに法蓮稲荷神社があった。奈良市史のいう稲荷社が法蓮稲荷神社のことなのかどうかは分からない。
「法蓮稲荷神社由来」(法蓮稲荷神社の掲示)には常陸神社の境内隣地に移転とあるので、別に稲荷社があるのかもしれない。(すなわち見落とした!)


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写真:2020.11撮影
home   更新:− 作成:2021.03.09