都祁水分神社【つげやまぐち】(奈良県奈良市都祁友田町)
参道入り口
台風の被害で多くの木が倒れたため、参道は明るい。
参道入り口の掲示
水の神 都祁水分神社
都祁水分神社は、大和の国水分四社(都祁、宇陀、吉野、葛城)のひとつで、速秋津彦命、天之水分神、国之水分神が祭られています。水分は、”水配:山から流れる水が別れる所”を言い、当地では大和川と木津川の分配を司る神として古くより崇敬されてきました。
すでに天平2年(730年)の大倭国正税帳に「都祁神戸」と記せられ、延喜式にもある由緒ある神社です。
はじめは、友田の南方大字小山戸で祭られていましたが、天禄2年(971年)に、現在の場所に移されています。
本殿は、室町時代中期、明応8年(1499年)に造営され一間春日造、桧皮葺の中世社殿として国の重要文化財に指定されています。又本殿の前には、鎌倉末期の作と推定される一対の狛犬があり、早期狛犬の習作として注目されています。ほかに、国指定重要文化財の棟札、県指定文化財の神輿、板絵、絵巻が収められています。
参道より舞殿、拝殿を望む
参拝したのは5月、石楠花が咲いておりました。
舞殿、その奥に拝殿
拝殿、その右手に御神木
瑞垣内に本殿
瑞垣内の本殿と摂末社
境内掲示
式内大社 都祁水分神社 都祁村友田
祭神速秋津彦命 天水分神 国水分神
古来大和国水分神四社の一で飛鳥時代に創祀されたと伝える。初め小山戸、かもえ谷、山口神社の地に祀られた自然神で、また農耕神として、大和川、木津川の水源の神として、天平二年「神戸」を寄せられ、仁寿二年官社に列せられ、貞観元年正五位下に進められている。延喜式では大社に列し月次新嘗の官幣を受けている。平安時代の中期、興福寺喜多院の荘園が当地方(都介郷)に成立し、水分神は荘園の鎮守として、天禄二年九月二十五日現在地に遷し祀られた。鎌倉初期喜多院領は大乗院領となり、領内に成長した武士は氏人となり、当社は都介郷の水の神として崇敬せられた。
本殿重要文化財一間社春日造桧皮葺室町中期の造立
御霊舎本殿内に安置康正三年の墨書銘あり
石造狛犬一対高さ〇.七米鎌倉末期の作
境内左右に直会殿【なおらいでん】
御神木
「日本の神々4大和」には以下の言い伝えが書かれています。
元慶三年(879年)、伊勢国度会郡の玉造村丸が伊勢の御裳濯川【みもすそ】の霊水を捧持して遊行中、その霊水が二匹の白竜となって飛昇し一匹は宇陀水分神となり、もう一匹は小山戸庄高山へ飛び降りて都祁水分神になった。この神はたびたび奇瑞をあらわすので、小山戸に住む藤原時忠がこれを祀ったが、道路狭隘のため、鞆田庄坂窪山に神殿を造って天禄2年(971年)9月25日に遷祀した。以来、小山戸の社を上山宮、鞆田の社を下山宮と呼んで、9月25日に上山宮へ神を遷し祀り、翌26日に下山宮にもどして祀る祭礼が成立したという。
home 作成:2011.01.04