熊野那智大社【くまのなち】(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山)
飛瀧神社(熊野那智大社別宮)から熊野那智大社への参道
(鎌倉積みの石段)
境内看板 熊野那智大社の御案内 この地を「熊野」と申します。クマとは、「奥まった処」「隠れたる処」との意味があり、そこは「上座」であり「聖」なる地と位置づけています。「クマ」と「カミ」は同じ意味があり、「クマノ」は「カミの野」で神々の住まえる地といえます。 神倭磐余彦命はこの地に上陸され、八咫烏の案内で大和の地に着き神武天皇となられました。その時に那智の瀧を大己貴命の御霊代として祀られたのが那智山信仰の起こりと伝え、仁徳天皇五年(約1680年前)この地に社殿を建立したと伝えています。 古来、「日本第一大霊験所・根本熊野三所権現」那智山熊野権現と称し、御社名を「熊野那智大社」と申し、御祭神は熊野夫須美大神と申し上げ、日本で最初の女神「伊弉冉命」を主神とし十二柱の神々をお祀りし、全国に鎮座する約四千余社の熊野神社の御本社(熊野本宮大社 熊野速玉大社とともに)であり、熊野三山の一社であります。 重畳と續つく紀伊の山々の果て、全面に大海原が拡がる温暖の地は京洛より山川八十余里、往復一ヶ月を要し後白河法皇の三十四度・後鳥羽上皇の三十一度を始め数多くの人々が続々と熊野詣を為し、その様子を「蟻の熊野詣」と称しています。 御社殿は、熊野権現造りと称し正面五棟・側面一棟と御縣彦社・鈴門・瑞塀から成っており、往古、織田信長により焼き討ちに逢い、豊臣の代に再興し、享保・嘉永に修復し、最近では昭和九年の室戸台風の被害により解体修復が行われ、平成七年に国指定文化財となりました。 更に、平成十四年より檜皮の葺き替え・丹塗りの塗り替えを行い、御社殿及び境内域はこの度『紀伊山地の霊場と参詣道』として世界遺産に認定され、この那智山社域一帯は吉野熊野国立公園特別地域であります。 那智山 熊野権現 熊野那智大社 |
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一の鳥居 階段を登りきったところに二の鳥居がある。 |
熊野那智大社配置図
上記の図は「熊野大社」(篠原四郎 著 学生社)による。
礼殿
幣殿
青岸渡寺の境内から、熊野那智大社の第一殿(手前)~第五殿(最奥、千木のみ見える)を見る。
祭神
第一殿 滝 宮【たきみや】 大己貴命【おおなむちのみこと】
第二殿 証誠殿【しょうじょうでん】 家都御子大神【けつみこのおおかみ】 国常立尊【くにとこたちのみこと】
第三殿 中御前【なかのごぜん】 御子速玉大神【みこはやたまおおかみ】 伊邪那岐命【いざなぎのみこと】
第四殿 西御前【にしのごぜん】 熊野夫須美大神【くまのふすみのおおかみ】
相 殿 黄泉事解男神【よもつことさかのおのかみ】
第五殿 若 宮【わかみや】 天照大神【あまてらすおおみかみ】
第一殿から第五殿が南面して一列に並んでいる。第一殿は前面がやや後退して下がり、外の四殿は前面一直線に配置されている。主神を祀る第四殿はやや大きく造られている。『熊野那智山宮曼荼羅』に描かれている第一殿は、現在のものよりさらに大きく後退してる。第一殿の滝宮は大滝と南北一直線上にあるといわれ、もとは大滝の遙拝所であったと考えられる。
「熊野那智参詣曼陀羅」の部分
左から宝物殿(部分)、御県神社、八神殿
第六殿(八神殿・上下八社殿・八社宮)
禅師宮【ぜんじぐう】 忍穂耳尊【おしほみのみこと】
聖 宮【ひじりのみや】 瓊々杵尊【ににぎのみこと】
児 宮【このみや】 彦火火出見尊【ひこほほでみのみこと】
子守宮【こもりのみや】 鵜葺草葺不合命【うがやふきあえずのみこと】
一万宮【いちまんぐう】 国狭槌尊【くにさずちのみこと】
十万宮【じゅうまんぐう】 豊斟渟尊【とよくもぬのみこと】
勧請十五所【かんじょうじゅうごしょ】泥土煮尊【うひじにのみこと】
飛行夜叉【ひぎょうやしゃ】 大戸道尊【おおとのじのみこと】
米持金剛【よねもちこんごう】 面足尊【おもだるのみこと】
第一殿滝宮は鎮守社で、第二殿以下を熊野十二所権現とよんでいる。(熊野那智大社自体を熊野十二所権現ともよぶ。)飛瀧権現を合わせて熊野十三所権現ともよぶ。
大楠
熊野速玉大社の牛王 | 熊野那智大社の牛王 烏文字で「那智瀧宝印」と書かれているそうだ |
熊野本宮大社の牛王 |
home 更新:2009.10.06b 作成:2008.06.21