ウージーの雑(な)文

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2007.12.23
月1回通っている病院の廊下に、小さい子の描いた絵が展示されていた。子供らしい迫力ある絵が何点かあった。そして、思い出した。私の描いた絵に関することで小学校の担任の先生から職員室に呼び出された事を。
それは観覧車を描いた絵だった。小さい頃、親父はよく私と弟を遊園地に連れて行ってくれた。それは、生駒山上であったり、あやめ池であったり枚方パークであったり、特設会場の宇宙博覧会なんてのも行った記憶がある。観覧車はそれらいずれかの遊園地にあったものを描いたのだろう。先生は、まず、その絵をほめてくれた。だが、言われた事はそれだけではなかったはずだ。親に手伝ってもらって描いた絵であることを見抜かれていたと思う。たぶん子供らしからぬ絵だったのだろう。
親父は絵がうまかった。死ぬ間際まで水墨画を描いていた。年賀状にも、手書きで水墨画を描いていた。若かった親父は、小学生の息子が描く絵を見て辛抱出来なかったものと思われる。
その息子の私も、小学生だった娘の夏休みの宿題である工作を、娘を押しのけて作ったのだった。15年以上前のその作品は、今も書棚の上に乗っかっております。

2007.12.09
ナンセンスクイズというのがS40年代後半にはやっていた。(少なくとも私の周辺では。)記憶に残る名作(?)を、列記してみる。

1.触れると怒られる自動車は?
2.片手で持ち上げられる自動車は?
3.本も出版している薬屋さんは?
4.本も出版している酒屋さんは?
5.ヤリが刺さった時に効果のある薬は?
6.刺身にすると美味しい鳥は?


回答:1.「サバンナ」(マツダの車。「サワンナ!」)2.「カリーナ」(トヨタの車。「軽いな→かるいな→かりーな」)以上は回答する時に、話し方の力量が問われます。3.「龍角散本舗」(当時はそういう社名だった気がする。「ゴホンと言えば龍角散」というコピーがあった。「ゴホン」→「ご本」)4.「黄桜酒造」(当時はそう言う社名だった気がする。「酒は黄桜本造り」というコピーがあった。)5.「アスパラ」(「アスパラでやりぬこう」というコピーがあった。「やりぬこう」→「ヤリ抜こう」)なんか、コマーシャルばかりですが、私はいずれの会社の社員でも役員でもありませんし、1円も頂いておりません。念のため。6.「浜千鳥」(ハマチは私の好物。ちなみに、このクイズは私のオリジナルです。)

2007.11.25
2007年11月23日の朝日新聞「天声人語」に
”お菓子から土木工事まで、「ごまかし列島」冬景色である▼” とあった。

♪ああああ〜「ごまかし列島」冬景色ぃ〜♪ と思わず、メロディーを付けて歌ってしまった。津軽海峡冬景色は私の持ち歌です。(^_^)v

2007.11.21
第一版が発売されて間もない岡野玲子著「陰陽師」巻十三を、驚くような価格で手に入れたのは昨年末のことである。それは地元の古本屋さんだった。別に傷んでいるところなど無く、新品同様であった。買い取り価格の安さを想像してしまった。先日道頓堀を歩いていて、学生時代によく利用した相合橋近くの古本屋さんを思い出し、行ってみることにした。店はあいにくシャッターが降りていた。向かいの家から出てこられた方に聞くと、現在も営業されているそうだ。ポオ全集、久生十蘭全集、澁澤龍彦全集は、たしかこの店で買っている。当時、道頓堀に天牛書店があった。本を売るときはこの店に決めていた。現在の相場は知らないが、半額近い値段で引き取ってくれた。天牛書店のご主人と親父が知り合いだったと知ったのは、親父が亡くなる3年ほど前の事だった。

2007.11.03
同じ職場にいる女性が岩手に旅立った。NHKの朝ドラ「どんど晴れ」を見ていて行きたくなったのだという。初めて飛行機に乗るそうだ。
帰ってきた彼女が「遠野の神社へ行って来ました。」と報告に来た。「卯子酉」【うねどり】と字を書いてくれた。縁結びの神様だという。彼女はまだ若く独身である。赤い布を左手で境内の木や祠にうまく結びつける事が出来れば、願い事がかなうという。
昔、東北旅行をしたおり、遠野は素通りだった。時間と金があればぜひ行きたいと思う。東北の紅葉は美しかったなぁ。八甲田山に八幡平、針葉樹の緑と紅葉のコントラストが印象的だった。奥入瀬渓流で拾った橡の実、まだ手元にあります。

2007.10.11
文庫本に夢中になっていた主人公。電車が止まったのに気づき、乗り過ごしたのかと心配になり、駅名を確認するためホームの柱のプレートに目をやった。そこには見たことも、聞いたこともない駅名が・・・・
最近読んだ、短編ホーラーの書き出し部の内容である。 私は学生の頃、本に夢中になっていて電車を乗り過ごした経験がある。たしか星新一のショートショートを読んでいたのだった。なにげなく窓の外へ目をやると、自分の降りるべき駅が見えた。と、同時にドアが閉まった。何事も無かったかのように本を鞄に仕舞い、次に停車する駅で降りて引き返す電車を待った。 同じく学生の頃、降りるべき駅を寝過ごした事もある。目が覚めたら、伊賀神戸駅の引き込み線の中だった。当時、伊賀神戸が終点の区間急行があった。その電車はやがて反対車線に入り、上本町行きの区間急行として降りるべき駅へと向かった。車掌や運転手や駅員は気づかなかったのか!勉強に疲れて(?)眠っている学生を起こしづらかったのか。近鉄社員以外で、あそこまで乗った客は少ないのではなかろうか。 まあ、私の場合は、少々遠回りして時間はかかったものの、無事帰宅出来たのだが、ホーラー小説の主人公は・・・・

2007.08.30
「鳥居色々/鳥居のかたち」には20種類の鳥居をアップしております。先日、各鳥居のページのアクセス数を見ておりましたら、種類により大きなひらきのあることに気が付きました。神明鳥居グループ6種と明神鳥居グループ8種は2005年5月23日、伊香式鳥居と三柱鳥居は2005年6月2日、唐破風鳥居と住吉鳥居は2005年6月19日にそれぞれアップしております。以上はほとんど同時と考えてよいでしょう。それから約2ヶ月遅れの2005年8月30日に奴禰鳥居、さらに10ヶ月遅れの2006年4月14日に内宮源鳥居をアップしております。

さて、各鳥居のアクセス比率を以下にまとめてみました。ハンディがあるにもかかわらず、内宮源鳥居がけっこう頑張っております。

1位 両部鳥居  9.6%         11位 八幡鳥居  4.6%
2位 伊勢鳥居  8.7%         12位 靖国鳥居  4.4%
3位 黒木鳥居  6.6%         13位 宗忠鳥居  4.1%
4位 鹿島鳥居  6.3%         13位 山王鳥居  4.1%
4位 三柱鳥居  6.3%         15位 台輪鳥居  3.5%
6位 三輪鳥居  6.0%         16位 住吉鳥居  3.4%
7位 伊香式鳥居 5.5%         17位 唐破風鳥居 3.1%
8位 明神鳥居  5.3%         18位 奴禰鳥居  3.0%
9位 内宮源鳥居 4.7%         18位 白木鳥居  3.0%
9位 春日鳥居  4.7%         20位 中山鳥居  2.9%



2007.07.29
ここ数年、ボーナスが出るとCDを何枚か買うという癖がある。普段、ほしいなぁと思いながら躊躇して買えなかったCD群だ。ボーナスが出ると、気が大きくなるのか。たかがCDで何を大層な、と思われるかもしれない。しかしそのようなCD群は、私の頭の中では車やパソコンに比べたら贅沢品なのだ。

その中の一枚は、セルジオ・メンデス。セルジオ・メンデス&ブラジル’66のLPを2枚持っているのだが、ターンテーブルが故障してから聞くことが出来なかった。
もう一枚は赤い鳥。代表作「翼をください」が娘の音楽の教科書に出ていたのを知った時には大変驚いた。「フォークソングが教科書に出てるやんか!」という親父の顔を怪訝そうに見つめる娘。赤い鳥は、後に「ハイファイセット」と「紙ふうせん」という二つのグループに別れる。紙ふうせんの「冬が来る前に」が好きで練習しているが、難しい曲なのでいつになったら人前で歌えるようになるのか分からない。
もう一枚はキャンディーズ。私、ランちゃんのファンでした。(キャンディーズというと、なぜか伊東四朗の電線マンが頭に浮かんでくる。そして「しらけ鳥り飛んでゆく南の空へ・・・」というメロディーが。)このCDは一人で車に乗っている時に、ボリュームをやや絞って聞くことにする。昔車の中でアミンの「待つわ」を聞いていて、「そんな古い歌、恥ずかしいから聞かんといて。」と娘に切られた事があったっけ。

2007.06.23
新聞のTV番組表を見ていて御嶽山の文字が目に入った。瞬間、木曽御嶽山の映像がパッと頭に浮かんだ。
御嶽山は2度登っている。一度目は学生時代。高校時代の友人と4名で登った。登山らしい登山はこれが初めてだった。友人の一人が山岳部だったので彼の提案だったのだろう。この時、キャラバンシューズを買った。この靴は後に履きつぶし、革製の登山靴に代わる。
大滝村の民宿に一泊し、田の原から登った。霧の深かったことが記憶に残っている。下り、小学生達と同じペースで、走るように田の原に戻ったのだが、小用でトイレに立ったとき、狙いが定まらないほど両足が震えていたっけ。そうだ、頂上近くのトイレで大用をした時のことも思い出した。木造のトイレだったのだが、便器をまたいで下を見ると、ものすごく深かった。これならお釣りの来る心配は皆無だ。ところがである。風の吹き上げがものすごいのだ。それも冷風である。落とし紙がいつまでも落ちない。お釣りは無かったが、領収書が来たという、40年近く前の話です。
下ネタですみません。

2007.05.27
友人との二人ツーリング、2007年度春の部はトヨタ博物館に決定!当日の天気は晴れとの予報だったが、朝、青空が覗くものの雲が多い。友人から電話が入る。「雨が降っている、とても走れそうにない。」とのこと。友人は、私と同じ伊賀盆地に住んでいるが、こんな事は茶飯事だ。雨があがったとの連絡が入り、待ち合わせ場所に向けて私が名張を出発したのは予定時刻の1時間後だった。
今回も湾岸自動車道を選択する。北をはしる高速と比較すると通行料金は割高だそうだが、とにかく走っていて気持ちがよい。東名とつながってからは交通量が増えたものの、以前常滑へ行った時など、前の視界を走る車は数台という貸し切り状態。上り3車線の真ん中を80kmでトコトコ走る気分は最高だった。
しかし、しかし、今回はかってが違った。風がめちゃくちゃ強いのだ。北は濃尾平野南は伊勢湾、さえぎるものが無い。私のバイクは約250kgあり、少々の風ではふらつかないが、足下をすくわれるような状態が数回あった。このバイクでは初めての経験だ。前を走る友人も、スピードを控えている。

トヨタ博物館は、今「ヘンリー・フォードとT型フォード」という企画展示を行っている。それはそれで大いに興味を引かれたが、一番気に入ったのはミゼットやスバル360だった。ミゼットといえば学生服を着た昆ちゃん(大村昆)と佐々やん(佐々十郎)のコマーシャルを思い出す。スバル360は、小学校3〜4年の時の担任A先生が乗っていた車だ。車に興味を持ち始めた若い頃、これに乗りたいと始めて思った117クーペがあった。ジウジアーロのデザインは未だに色褪せない。コスモスポーツがあった。ロータリーエンジンを搭載したスポーツカーだ。当時、東名のパトカーにはコスモスポーツを採用していると聞いた記憶がある。逃げ切れないだろうと思ったものだ。あだ名はたしか「モナカ」。

前日、ネットでトヨタ博物館のHPを見ていたら、写真撮影可能とのこと。三脚の使用も迷惑のかからない範囲でなら良いという。私は手撮りでいくことにした。そしてVRズームニッコールED18-200mmの手ブレ補正の効果を確認することが出来た。先月行った大江町の鬼博物館では、ISO400、1/25秒で満足(≒自己満足)のいく写真が撮れている。トヨタ博物館は新館2Fが暗くて撮影条件が悪かっが、ISO800、1/10秒で満足(≒自己満足)のいく写真が撮れた。D40のISO800も十分使えます。

2007.04.23
 カメラボディD40とレンズAF-S DX VR ズームニッコール ED18-200mmF3.5-5.6Gが届いて2週間になる。その間、300枚近く撮影した。E-10との差等、感じた事を書いてみる。
 まず画面サイズ。E-10は【横/縦】比が1.3(パソコンの画面と同じ比率)なのに対しD40は1.5で、D40の方が横に長い。いずれ慣れると思うが、少々違和感がある。
 絵の美しさは文句無くD40。空気感まで表現出来るって感じ。E-10の撮像素子は2/3型で6.75×9.00mm= 60.8平方mm。D40はAPS-Cニコン型で23.7×15.6=369.7平方mm 。約6倍の面積になる。画素数はD40が600万画素、E-10が400万画素だから、1画素当たりの面積はD40の方が約4倍大きい。この差が画質の差となっているのだろう。この6年間のデジカメの進歩を実感した。
 次にISO感度。E-10はISO80でD40はISO200が標準だ。D40の方が手ぶれしにくいということになる。または、より絞り込めるということになる。昔白黒フィルムの現像をしていてトライXの粒子の粗さを見てきたので、感度を上げる事には抵抗がありE-10はISO80オンリーで撮影してきた。だから可能な限り三脚を使用した。D40は高感度に強いという情報もあり、先日ISO400(トライXの感度)で撮影してみた。まったく問題無い。今度ISO800で試してみよう。高感度に強いのは、やはり1画素当たりの面積が大きいためなのだろう。
ボディが高感度に強く、レンズが手ぶれ補正内蔵なので、カメラぶれはかなり防止出来そうだ。
 撮像素子が大きくなると被写界深度が浅くなる。(前後のピントの合う範囲が狭くなる。)なれるまで注意しなければならないだろう。逆に、バックをぼかし被写体を浮かび上がらせるというテクニックを(E-10より)使いやすくなったとも言えるが。
 電池が専用タイプとなったが、予想以上に保ちが悪い。手ぶれ補正レンズのため減りが早いのだろうか。ボディ購入と同時に予備の電池を1個購入したが、旅行等にはもう1個必要かもしれない。

2007.04.07
3月始め、インターネットでカメラを注文した。ひさしぶりの高い買い物だ。ただ、交換レンズの方が注文してから約1ヶ月待ちという。このレンズ、発売開始から1年以上経過したがいまだに品不足が続いている人気商品である。レンズが入荷したらボディと一緒に発送してもらうことにした。

現在使っているデジカメはOLYMPUSのE-10。これが始めてのデジカメで約6年のつきあいだ。一眼レフだがレンズ交換が出来ない。レンズ交換が出来ないと言うことは、逆に言うとレンズ交換をしなくても良いと言うことで、ニコマートELからE-10に替えた最初の頃は何と楽なカメラだと思ったものだ。ニコマートEL時代は、ボディと交換レンズ3本のセットで持ち歩いていた。

E-10にくっついているズームレンズは、35mmフィルム換算で35〜140mm相当になる。f2.0〜2.4の明るいレンズだ。8〜9割はこの範囲で間に合うのだが、もう少し広角側が・・・、もう少し望遠側が・・・、と人間の欲望には切りが無い。
「なら、お前が動け!」と言われそうだ。望遠側が足りなければ自分が歩いて被写体に近づけば良いが、ロケーションによってそれが出来ない場合もある。広角側についても同じだ。
だから、カメラ本体より先にレンズを選んだ。35mmフィルム換算で27〜300mmをカバーするズームレンズを購入することにした。これなら、このレンズ一本で済ませることができる。(色々レンズがあれば楽しいし便利だろうけど、先立つものが無い。)
選んだレンズはニコン製だ。ボディはおのずとニコンになる。一番安い600万画素の撮像素子をつんだ機種を購入することにした。これも先立つものが無いのが最大の理由だが、画素数の多いカメラはいらないという思いもある。現在使っているE-10は400万画素だ。デジタル一眼レフカメラは1000万画素以上が現在の主流だが、印刷サイズがA4までだから、私の場合400万画素で不満は無い。逆に、同じ容量のメディアなら沢山撮影が出来るし、パソコン処理も軽快に出来るというメリットがある。

で、本日注文先から電話が入り明日手に入ることになった。楽しみだ。

2007.02.11
「発掘RR大事典U」のねつ造問題が世間を騒がせている。
話は4年前に飛ぶ。病院のベッドで時間つぶしにTVを見ていたら、強く興味を引く放送があった。松の実を1日20粒食べると肩こりが治るというのだ。「発掘RR大事典」という番組だった。私は手帳を取り出してメモを取った。
私は肩こりがひどかった。肩こり解消のため、バーベルやダンベルを首の後で上げ下げする運動や、軽い鉄アレイを持ってラジオ体操をするなど色々試みた。それなりに効果が有ったが、それでもすっきりせず仕事中も木槌で肩を叩いたりしていた。肩こりがひどくなると頭が痛くなる。頭痛薬を常に携帯していた。最低40〜50分歩くのが一番効果があった。最後の切り札である。
入院中に見た「発掘RR大事典」によると、鮫の油に含まれるスクワレンという成分が肩こり解消に良いという。しかし鮫の油なんて簡単に手に入らない。次に松の実が紹介される。松の実なら料理等に使うので、スーパーでも売っている。 肩こりは血液の循環が悪いことから起こる。松の実を毎日20粒食べると赤血球の柔軟性が増すため血流が良くなり肩こりが解消するというのだ。何ミクロンかのスリットを通過出来ない赤血球の映像が流がされる。そして松の実を一定期間食した後の映像では、赤血球がスリットを通過している。説得力があった。
退院後、早速試してみた。松の実ってクルミを思い出させる好みの味だった。ナッツ類はもともと好物なので、おやつ代わりにもなる。これなら続けられると思った。結果は、効果抜群だった。そんなわけで、何人もの友人知人に勧めたのだが、今回ねつ造が発覚した。ねつ造されたのは別のテーマなのだが、松の実の効果のほどを一度友人知人に確認しようと思う。

2007.01.07
ビ○グカメラで「ターミネーター」のDVDが安かったので買った。TVで一度見た1984年制作の映画だ。アンドロイドであるターミネーターが、故障(怪我)した自分の腕を切り開き修理(手術)する場面が強く記憶に残っていた。この後目玉も修理(手術)するのだが、これは記憶に無かった。もう一つ強く記憶に残っているたのは、警察署に乗り込んだターミネーターが30人近くの警官を銃殺してゆく場面だ。ターミネーターは不死身だ。警官の発射した弾はターミネーターにヒットするのだが、撃ち返されて死んでゆく。これほど警官が死ぬ映画を思い出せない。
あらためてDVDで見ると、新しい発見がある。警官の一人にエイリアン2でビショップを演じた俳優がいた。(ビショップもアンドロイドである。)そういえば、「ターミネーター」も「エイリアン2」も監督はジェームズ・キャメロンだ。それから、ターミネーターがぶっ放していた銃の一つがウージーだった。(ウージーは私のハンドルネームであります。)
シュワルツェネッガーが若い。リンダ・ハミルトンも若い。正義の味方の「ターミネーター2」より悪役の「ターミネーター」の方が映画として魅力を感じてしまう。「ターミネーター」の方は低予算映画なので特撮はちゃちですが。

2007.01.01
新年、明けましておめでとうございます。本年も「神社参拝記」をよろしくお願い申し上げます。
現在8時30分、これから地元の神社に初詣に参ります。

2006.12.30
映画は好きだが、好きな割に映画館に足を運ぶ回数は少ない。もっぱらTV、ビデオ、DVDが中心だ。今日新聞のTV番組欄を見ていて「アンドロメダ」という活字が目に付いた。これは映画館で見た数少ない映画の一つだ。1970年だったか1971年だったか、当時バイト先で知り合ったK大生にこの映画のチケットをもらったのだ。彼の趣味は映画鑑賞。試写会(と言うのだったか?)には、必ず応募葉書を出していて、それに当選したチケットだった。当日のスケジュールが合わなかったのか、理由は忘れたがチケットを私にくれたのだった。同じ頃封切りの「栄光のル・マン」は、高校からの友人が持っていた株主優待券で彼と梅田の○S劇場だったかで見た。ローバーミニが活躍する「ミニミニ大作戦」は、隣の方から頂いたチケットで見た。「金を出して見たことが無いのか!」と言われそう。自腹を切って見た映画というと・・・、結婚前嫁さんと見た「エイリアン」がそうだ。エイリアンがはっきりと姿を現さずストレスがたまった映画だったが、内容はおもしろかった。(DVD持ってます。)また音響もすごかった。場末の3本立ての映画館を利用するのがほとんどだったので、この音響には感動した。1970年頃場末の3本立て映画館で見た映画というと・・・、「バニシング・ポイント」「悪魔のいけにえ」「悪魔のはらわた」それから、いやこのへんで止めとこ。

2006.11.28
こんな夢を見た。
小用がしたくなった。トイレに行くと、タイルの床がプールの様になっている。小便があふれたのだ。これじゃ便器まで行けないではないか。せっぱ詰まっているので、他の棟のトイレまで走って行く。ここは小学校のようだ。この棟のトイレは古くさい。木造である。拳でたたけば割れてしまいそうな、長年風雨にさらされた薄い板張りだった。なんと、ここも小便があふれている。しかし玄関から便器まで板が渡してあった。板は幅30cmほどだが、便器が遠く10m位の長さがある。バランスを取りながら渡る。板が薄いので上下に揺れる。安定感が悪い。便器に到着したら、なんと便器も小便が満杯ではないか。しかし、せっぱ詰まっているので、ここですることにした。準備は出来たが、板が上下に振動して狙いが定まらない。油断すると落ちそうだ。したいのに出来ない、出来ない、出来ない・・・・・・・・。 目が覚めた。すぐトイレに行ったのは言うまでもない。

2006.10.22
三十年来の友人との二人で琵琶湖ツーリングに行った。琵琶湖大橋を渡ったところにある道の駅で、まず1回目のトイレ休憩。ここで相談して今津までR367を利用することにした。信号がまったくと言ってよいほど無いので、快適に走ることができる。(浅井長政の翻意を知った織田信長が京へ逃げ帰ったコースの逆を行くことになる。)道の駅(たしか「くつき新本陣」といった。)で2回目のトイレ休憩をした。例によって売店をのぞく。珍しいものを見つけた。まず、焼き鯖寿司。酢締めの鯖寿司はおなじみだが、焼いたのは始めて見た。美味そうだ。時計を見ると11時をすこし過ぎていた。友人に話し、早いが昼食に購入することにした。ワサビと醤油をつけると実に美味かった。デザートに栃餅を買った。これも美味かった。栃餅は残りを持ち帰ったが、家族にも好評だった。

2006.09.30
デスクトップパソコンを買い換えた。 今まで使っていたヤツはWindows98が出た年に買ったのだった。約8年間使ったことになる。
このパソコン、HDDをよくいじったので、たまに接触不良をおこしフリーズすることがある。 ホームページビルダーV9が重い。(システムリソース不足が発生する。) HDDウォークマンのソフトがWindows98に対応していない。(ノートパソコンはXPなので、ノートで使っていた。)
ということで、買い換え時期と判断した。 今回も前回同様BTO。メモリは2G搭載。ディスプレーやキーボードは前回のものを引き続き使用することにした。 パソコン本体が届いてから、コードの接続やソフトのインストール、設定等で2日間の休日が消化されました。 その中には、インターネット接続のパスワード等が書かれた書類を探し回った時間も含まれます。
で、新しいパソコンなんだが、まず、写真が美しい! なぜ美しくなったのか、私には理解できません。ディスプレーは従来のもを流用しているんだし、画像のデジタルデータは同じなんだし。 ビデオカードはGeforceのなんとかが付いていると言っていた。処理速度は速いかもしれないが、色まで変わるんだろうか。 インターネットが早い! 大きなサイズの画像でも素早く表示する。 そこでベンチマークテストのソフトをダウンロードして以前のパソコンと比較してみた。総合性能で約9倍と出た。もう一つ特筆すべきは、音が静かになったことです。

2006.08.26
インスタントラーメンが世に出たのは私が小学生の時だった。日○食品のチキンラーメンだ。袋からラーメンを取り出し、丼椀に入れて熱湯をかけ、蓋をして3分間待つ。さて、インスタントラーメンの初体験は? 駄目でした。ほとんど残してしまった。
中学2年生の時、友人の家に遊びに行ってラーメンをご馳走になった。白い皮のようなものが入っていて、好物のチキンラーメンとはかなり味が違う。これがエー○コッ○のワンタンメンだった。
以上の2つは40年以上経過した現在も販売されている。
現在、もっともよく食べるインスタントラーメンは○星中華三昧四川風だろうか。
しかし、チキンラーメンやワンタンメンもまた食べたくなるのだ。
今日は贅沢に行こうとなると、日○食品の「行列のできる店のラーメン 和歌山」。
このくそ暑いのにと思われるかもしれないが、冷房の効いた部屋で熱いラーメンをすするのが、さらなる贅沢なのだ。

2006.07.22
 中学校の同窓会に行って来た。25年前、クラスだけの同窓会に出席して以来だ。今回は学年全体の同窓会で、これは初の出席である。
 受付に数名の方がいたが、だれだか皆目分からない。席を決めるクジを引く。6番。そうだ、卒業時私は6組だった。会場に入る。30分早く着いたので、まだ準備中だった。女性のグループが目に付いた。見覚えのある顔、顔である。名前が出てこない。名札には現在のものと旧姓が書かれている。そうだ、彼女達とは同じクラスだった。脳味噌の奥の奥から、乏しい記憶が少しずつにじみ出て来る。会場に参加者が次から次と入ってくる。「あ! ○○君だ。」なんて大声を上げているのは私だけだ。(今回の出席者の中で、25年間も欠席していたのは私だけのようです。)
 6番のテーブルに着く。同じテーブルで、速、誰だか分かったのはAさんだけだった。彼女のお母さんは郵便局に勤められていた。中学生の私が行くと、いつも何か声をかけてくださった。
 先生方の挨拶が始まった。卒業時の担任だったS先生も来られていた。後でうかがったら80歳になられたとの事だった。挨拶で御自身もおっしゃったが、少し腰がまがっておられた。しかし、挨拶をされている様子は昔のまんまである。さすが元教師、プロである。
 6番テーブルの私の正面の男性、20分ほどして完全に思い出した。2年生の時同じクラスだったB君だ。B君も私を覚えていてくれた。(ありがとう。)テスト中なのに、私は「ボーイズライフ」という月刊誌を買いに行って、帰りに彼の家に寄った。家に上げてもらったが、彼は勉強中だった。「この本見る?」と言ったが断られた。そりゃそうだ。テスト中なんだぞ。そんな断片が思い出される。
 昔とちっとも変わらないC君が、「S先生、呼んでるで。」C君も私を覚えていてくれた。(ありがとう。)
S先生も私を覚えていてくださった。(ありがとうございます。)家族が引っ越したため、私は他県の高校を受験することになり、先生には大変ご心配をおかけした。さらに、合格したのに先生への報告が遅くなり、心配された先生が家までたずねて来てくださったのだ。
 隣の席のDさんは4組だったそうで、卒業写真を見せてもらっても思い出せなかった。しかし話がはずみ、後に「北空港」をデュエットして頂く。
 25年前のクラスだけの同窓会に出席したおり会ったE君が、亡くなったとう話を聞いた。同学年では他にも亡くなられた方がいるという。そりゃ、早すぎるよ。私より先に亡くなるなんて、やっぱ早すぎるよ。

2006.06.10
HDDタイプのウォークマンを購入した。当初はメモリータイプを買うつもりだった。コンパクトだし。
名張のM電化へ行ったら、色々並んでる。あれ、メモリータイプもHDDタイプも値段があまり変わらない。なのに容量は3倍だ。HDDタイプに傾きだした。しかし、メモリータイプに比べると図体はかなり大きくなるぞ。だけどカセットウォークマンより小さいし。6ギガと20ギガ、容量は3倍以上なのに価格差は少ない。で、結局購入したのは20ギガのHDDタイプ。帰ってから持っていたカセットウォークマンと比較したら、20ギガはほんの少し小さいだけだった。
 その日から、会社から帰宅後CDを1〜2枚づつ落とし込む日が続く。600曲ほど入って完了。結構CD持っていたのだ。600曲に使った記憶容量は2ギガ。まだまだ、もっともっと、たくさんたくさん曲が入るって事です。もったいない買い物をしたかなと一瞬後悔したが、外部記憶装置としても活用できるんだからと、自身を納得させる。

使い勝手はなかなか良い。外出先であのカセットを持ってくれば良かったと後悔することがない。ワーグナーを聴いた直後に坂本冬美を聞くことも出来る。(アーチスト、ジャンル、CDタイトル、曲名で検索可能なのです。)

デジタル技術ってすごいと思う。今パソコンで、エディターを使ってこのHDDウォークマンに関する文章を書いている。文書が完成すればHPにアップするのだが、これらは全てデジタルだ。最近つくづく思う。生まれてくるのが20年早かった。

2006.05.28
T○Y○TAカローラが40周年をむかえたそうだ。で、古い記憶がよみがえった。中学2年生だったか3年生だったかの頃、クラスメートのM君が、「自動車の名前を募集している。花に関係する名前だ。いい名前はないか?」と言う。初耳だったが、即座にひらめいた名前は「フローラ」。花の女神の名だ。美術が好きで、当時ながめていた画集に出ていたのだ。聞いたM君、まんざらでもない様子だった。彼がその名前で応募したかどうかは知らない。「カローラ」が出てきて、「おお、かすったやないか。」と思った。ちなみに、我が家へ最初に入った車がカローラの中古だった。当時普通自動車免許を持っていたのは弟だけで、当然弟が乗り回していた。

2006.04.27
 古い記憶は芋蔓式によみがえるものです。 手首を使う仕事をしていて、小学校の時鼓笛隊で小太鼓をたたいていたことを思い出したのが始まりだった。
次に、音楽の時間、楽器演奏の実技テストで、先生のピアノ演奏に合わせて小太鼓をたたいことがあったのを思い出した。先生が「小太鼓で試験を受けろ。」と言われたのだ。
同じく音楽の時間、友達と二人この先生にビンタをくらったことを思い出した。「赤とんぼ」を合唱しているときだった。「とまっているよ竿の先」とかいう歌詞があるが、以前「とまっているよ○ん○んの先」なんて替え歌を歌っていたので、そこのところへ来た時、二人で笑ったか、小突き合ったかしたのを見つかった。いきなりピアノの演奏を止めた先生は、ツカツカと近寄って来ると何も言わず私と友達のほっぺたを思いっきり張った。
この先生、クラスの全員のほっぺたを張った事もあった。「親に言うな。」とか言ったので、馬鹿正直な私は何も言わなかった。近所に女子のクラスメートがいた。彼女はきっちり親に報告したのだ。で私の親も知ることになったのだが、先生に対して抗議の声が上がった様子も無い。
小学校3、4年も彼女とは同じクラスだった。当時の担任は毎朝漢字のテストを実施した。テストの結果を、4ランクか5ランクに分けて番付表みたいに名前を張り出すのだ。私の成績は、彼女を通じて親に筒抜けだった。
この女子のクラスメートとは、お風呂で何度か会ったことがある。当時我が家には風呂が無く、銭湯へ行っていた。彼女の家には確かお風呂があった気がするのだが、たまに銭湯へ来ていた。奥に、少し温度の低い浴槽があり、二人いっしょに浸かっていた。彼女とお風呂で何を話したんだろう。
そうだ! 私は小学校5年生まで女風呂に入っていたのだ!

2006.03.24
 今年は何処の桜を見に行こうかと悩んでおります。 「何を買おうか。」とかの悩みと同類の悩みでして、これは楽しい悩みであります。
 何処の桜でも桜は桜なんで、「♪桜に変わりがあるじゃなし〜 散ってしまえば皆同じ〜♪」(マヒナスターズの「お座敷小唄」のメロディーで♪) 事実、開花宣言の指標となる染井吉野は、1本の木から枝分かれしたクローンだそうで「♪日本全国皆同じ〜♪」なわけでございます。  とは言うものの、山里に咲く桜、古寺に咲く桜、神社の境内に咲く桜と、 桜がヒロインには違い無いのですが、相方によりそのおもむきがかわってきます。
 名張にも桜の名所があります。中央公園、青蓮寺ダム、桜ヶ丘へはたびたび足を運びました。しかし、ここ3年ほどは京都に通っております。昔は京都へ桜を見に行くなんて思いもしませんでした。行ったけど、まだ早かった、散った後だったでは報われませんから。今はインターネットがあります。毎日のように各地区の桜の開花状況を写真で紹介してくれるので、当たり外れがありません。「4月初旬の土日は晴れてくれますように!」とひたすら祈る次第です。
 

2006.02.25
 麻雀ゲームにはまっている。先月日本橋でたまたまソフトを見つけ、安かったので衝動買いしてしまったのだ。メンバーが個性的で、「そんな筋とおらないよ。」とか、「ドラ捨てやがった。」とか、いろいろしゃべってくれる。
 ゲームも含めて、麻雀をしたのは何年ぶりだろう? いや何十年ぶりだろう?長いことしてなかった証拠に、点数の数え方をすっかり忘れてる。ゲームソフトなのだからパソコンが計算してくれるわけで、忘れていてもまったく問題ないのだが、昔は私が点数の数え役を引き受けることが多かっただけに、少々ショックではあった。(「にーよん、よんぱー、くんろく、いちくに、さんぱし」とかが頭の隅に残っている。)
 私が麻雀を始めたのは高校に入ってまもない頃だ。親父が牌を買ったのがきっかけだった。当時は麻雀をする友達がいなくて、家族でやっていた。4人家族だったので、面子【めんつ】はそろっていたわけだ。
 麻雀を始めるについて、役と点数の数え方を覚えるため、上野のU書店に麻雀の本を買いに行った。私が麻雀の本を立ち読みしていたら、和服を着た長身の男性が話しかけてきた。開いた本の写真を指さし、これは自分だという。本の1ページが使われた結構大きな写真で、軍服姿の沢山の人達が写っていた。ちょうど卒業写真のような感じだが、100人以上の人が写っている。その人の隊は硫黄島で玉砕したという。自分はその生き残りだと言われた。最後に「君はまだ若い。しっかり勉強しなさい。」というようなことをおっしゃって店を出て行かれた。学校の帰りで学生服を着ていたから、私が高校生だと分かったのでしょう。私がその男性に対してどのような受け応えをしたのかは覚えていないが、手に持っていた麻雀の本をその男性に見えないように持ち替えたりしていた記憶がある。
 「私は麻雀の本を棚にもどすと、因数分解の問題集を・・・・」ってのは嘘で、きっちり麻雀の本を買って帰り、確率の勉強にいそしんだのでした。
カンチャン待ちより両面【りゃんめん】待ちの方が、ツモる確率が高いのです。

2019.01.06
硫黄島玉砕に関する文章を読んだ。そして「uziの雑(な)文」に書いた内容を思い出した。私の文章はあまりにも軽い。軽すぎる。今の私だったら、U書店で出会ったその方に対して最敬礼をするだろう。

2006.02.04
  小さいときからテッポ(=鉄砲=Gun)が好きす。
 そんなこと言うと、「鉄砲? 人を殺傷する道具やないか!」「人だけじゃないわよ、動物の殺傷にも使われているわ。」とお怒りになる方々がおられるかも知れませんが、テッポを使って人や動物を撃つのが好きなのではありません。テッポが好きなのです。私のハンドル「ウージー」はイスラエルの機関銃名からとりました。(正確には短機関銃というようです。)
 子供の頃は自作のテッポで遊びました。板を切り抜いてライフル銃を造りました。薄い板だと安っぽいので、かなり厚手の板を苦労してノコギリできった記憶があります。当時TV放送していた西部劇「ライフルマン}(主演:チャック・コナーズ)の影響だったと思います。ライフル銃を短くしたランダル銃を使っていたのが「拳銃無宿」のジョッシュ・ランダル。スティーブ・マックィーンが演じておりました。小学校4年生(1960年)の時、友達がライフル銃(おもちゃ)を買ってもらった。うらやましかった。ほんと。その友達はエポック社の野球盤を持っていたし、なんとテープレコーダーも持っていたのだ。
 板を切り抜いたライフルは玉がとぶはずもありませんが、近所の仲間とそれをかまえて西部劇ごっこをしていたのでした。
玉をとばしたくて、造ったのがゴムテッポです。工作用の1センチ位の角材で造りました。玉は厚紙を四角に切ったモノ。飛距離は結構ありましたが、まっすぐとばなかったっけ。
 玉がとぶテッポとしては銀玉鉄砲がありました。たしか駄菓子屋で購入しました。神社の境内で撃ち合いをして遊んだものです。玉はまっすぐとんだが飛距離が無かった。購入した銀玉鉄砲のかたちは、ワルサーPPKに近かったと思います。
 玉はとばないが、音のでる巻玉鉄砲もありました。巻玉には火薬が使われているため破裂音が出たのですが、煙とにおいで結構雰囲気ありました。当然購入しておりました。

1月に日本橋に行った。パソコン関連の店等を回っていたらエアガンの店があったので、ふらっとのぞいてみた。ワルサーP38がある! ベレッタ、ルガーがある! 私から見るとこれらはモデルガンみたいに実銃に近い外観で、しかもエアガンだから玉もとぶという代物だ。横で「じゃんけんで勝ったら買うわ。」と20歳位の二人連れが話してる。そして、そう言った男はじゃんけんに勝ち財布を取り出した。20歳代前半位に見える別の客が店員と話しをしている。「試し撃ちしてみますか?」「お願いします。」候補が2丁あるらしい。それはオートマチックタイプのハンドガンだった。その店には奥に試射コーナーがあった。私も横で見学する。なんと、玉を発射するとガンの上部がスライドしているではないか!しかも発射された6mm径の玉が、真っ直ぐとんですべて的に当たっている! 感動した。 銀玉鉄砲しか撃ったことのなかった私にとって、この店は、まさにグアム島から帰ってきた横井庄一さんが見た日本そのものでありました。

エアガンほしい〜〜〜〜!!!!!!!!

と50歳代のおっさんが言っております。

2006.01.01
 あけましておめでとうございます。 本年もよろしくお願い申し上げます。

 新年早々、伏見稲荷大社の稲荷山にある荷田社をアップ致しました。12月は色々ございましてHPの更新から少々遠ざかっておりました。それが原因かどうかは分かりませんが、「神社参拝記」でGoogle検索しますとトップに表示されておりましたのが、影もかたちも無くなってしまいました。ひさしぶりの連休ですが、やっと本日1日ゆったりとした時間を自分のものにすることができました。で、朝からパソコンの前に座った次第です。

2005.12.30
 仕事納めの日、定年退職されるAさんの送別会兼忘年会があった。職場が同じだったAさんは生き字引的な存在の方で、来年から会社におられないとなると私めは少々不安であります。
が、Aさんは、「さあ、旅行するぞ!」って感じで明るく次のステップへ進まれました。

 さて、2次会のカラオケだ〜!!!
何を歌ったか思い出してみる。
「メリージェーン」「贈る言葉」「悲しい色やね」「星降る街角」だけだったか? 「傘がない」はおしくも時間切れで歌えなかったしなぁ。
最初に歌った「メリージェーン」、オリジナルキーで歌おうと機械本体の「#」を押したらスピーカーからキーの上がった自分の声が聞こえてきて、何がなんだかわからいままに終わってしまった。
ひそかに練習していた「メリージェーン」は、今回初公開だったのに。 (T_T)

2005.12.11
 学生時代、少ないこづかいのほとんどを本とレコード購入につぎ込んでいました。CDの時代になってから、CDを購入することはあまりありません。ぜひ聞きたいと思う音楽がなくなってきたのか、音楽を聞く自分の感性がなくなってきたのか。たぶん後者でしょう。そうそう、ちょうど2年前、出張先の地下街で「ママス&パパス」と「コニー・フランシス」を衝動買いしたのでした。その前はというと、高校生の時によく聞いたジリオラ・チンクエッティの「夢見る思い」が入っていたカンツォーネ集だったっけ。(オールディーズばっかりだ。)いつ買ったのか、もう「記憶にございません。」
 2ヶ月前、地元のレンタル店Gで「小田和正自己ベスト」というCDを借りました。このCDは大変気に入りました。MDに録音し、以来ずっと続けて通勤時に聞いております。なつかしい「愛を止めないで」も入っています。ジャケットに1979年の曲と記載されていました。26年前の曲か。「さよなら」は?これも1979年だ。若い子にオールディーズと言われかねない。
 会社で若い女性と音楽の話をしていたら、彼女、古い曲もよく知っている。良い曲はいつまでも残り、あらゆる年代の人達に愛されるのだ!! 「よく知ってるなぁ。」と言うと、「お母さんがよく聞いてますので。」と彼女。お母さんのお歳を聞いたら、私と同じ歳でございました。はい。

2005.11.17
 NHK衛星放送第2で「ローハイド」をやっていた。私が小学生の頃に放送していた西部劇だ。たしか当時22時からの放送で、我が家では子供は寝ていなければならない時間帯だった。従って当時の私は「ローハイド」を見せてもらえなかった。唯一例外があった。それは、叔母が泊まりがけで我が家に遊びに来たときである。叔母は「ローハイド」が好きだったし、「ララミー牧場」も好きだった。
 今から思えば、私にとっての「ローハイド」は、ストーリーや俳優よりフランキーレーンが歌うテーマソングがすべてだった気がする。イトウ・モトミチ(漢字知りません)とリリオリズムエアーズというコーラスグループがいて「ローハイド」をレパートリーにしていた。「ローレン ローレン ローレン ローハイーーーー ヒャー ピシッ ヒャー ピシッ」という歌詞の「ピシッ」は鞭の音であるが、リリオリズムエアーズはスリッパの底をはたいて音を出していた。そういえば、メンバーに初代若乃花に似た人がいたような。
 「ローハイド」にクリントイーストウッドが出演していたのを知ったのは高校生の頃だった。当時彼は、マカロニウエスタンでブレークしていた。

2005.10.15
 今年も長浜の芸術版楽市楽座(アート・イン・ナガハマ)に行って来た。今回は従来のまちなか会場と、新たに設定された豊公園湖畔会場の二カ所で開催されておりました。
 行きだして5年目位になるだろうか。琵琶湖ツーリングのおり昼食のため長浜駅前へ行ったら、何かイベントをやってるようなので見てみようと思ったのが最初だった。展示されている品物の質の高さに驚いたものだ。手に入れたいものは沢山あるが、なにぶん高価である。行っても小物を1つ2つ買う位だ。そんな中でも2回目に行ったとき購入した万華鏡(細野朝士氏作)が最も高価で、私の宝物になっている。今回は、色の違った木を張り合わせて作った「しおり」と、木で作ったキノコの置物を衝動買いしました。

2005.08.28
 デジカメで撮影していたら、突然ファインダーの視野が真っ黒けになってしまった。スイッチを入り切りしてみた。念のため電池を交換してみた。駄目だ。撮影済みの画像は液晶モニターで確認可能だし、コントロールパネルの表示も異常無い。ただ、シャッタースピードが「2秒」で点滅している。シャッターを押して跳ね上がったミラーが元に戻らなければ、こんな症状をおこすのではないかと思った。ニコマートELにはミラーを上げ下げするレバーが付いていたが、E−10にはそんなの無いよ。(T_T) レンズを覗くとしぼりが閉じたままだった。通常は開いているのではなかったか。

 E−10を購入したのは4年前。その間、このカメラで撮した写真は2万枚を越える。(影の声「下手な鉄砲も数撃ちゃあたる。」)E−10で初めて撮した神社はたしか都祁山口神社だったなあ。E−20が発売されたら5万円も安くなったっけ。(T_T)

 長い間、ありがとう。伴侶としてよく私に尽くしてくれました。
(影の声「ご臨終ですか? 入院すりゃ直るんじゃないの。」「あっ! まさか・・・  ○○と畳は新しい方がいいってんで、新しい伴侶を!?」)

2005.08.02
 先日、京都へ日本画の展覧会を見に行った。友人の娘さんが出品していると聞いたので、ぜひ見てみたいと思った。私は、2〜3歳の頃の娘さんしか知らない。20年近く前の話だ。友人の後から顔を覗かせて、「あかんべー。」をした彼女が私の記憶に残っている。
 受付には女性が3人いた。会釈しながらチェックを入れたが、彼女はいなかった。(と思う。)もし、らしき人が居たら声をかけてみるかと思っていたのに残念。
 彼女の名前を見つけた。へぇ、こんな絵を描くんだ。一点はすごい迫力を感じた。一点は背景の色遣いに関心した。一点は、表情が良かった。いずれも大作だ。
 「あかんべー」の女の子が大きくなって、こんな作品を生み出すまでになったのだ。(その分私は歳をとりました。)
その彼女は、高校の後輩でもあります。

2005.07.10
 アクセスカウンターの数字が増えると、嬉しいです。励みになります。

 でも、このあいだネットサーフィンしていたら、「超人気サイトはサーバーに負担がかかるため、転送量無制限で契約したのにサーバー会社から追加料金を請求された」というような内容の記事があった。対策として、コンテンツを複数のサーバーに分散する等の処置を行ったそうだ。

 「あんたは心配せんでええよ。」(お客様の声)

 そうですね。ファイルの容量(50Mバイト以下)さえチェックしていれば良いですね。(YAHOOとのお約束)
しかし写真が多いからすぐにオーバーしたりして。

2005.06.25
ホームページを開設して1ヶ月が経過しました。この1ヶ月はアッという間に過ぎた1ヶ月だったけっど、非常に中身の濃い1ヶ月でした。
この1ヶ月間を振り返ると・・・・

 まず最初に、非常にたくさんの方々が私のHPを訪問してくださいました。ありがとうございました。感謝いたしております。1ヶ月でアクセスカウンターが600を越えました。これは私にとって予想を遙かに超えた数字です。感謝、感謝です。

 次に、yahooにおいて「神社参拝記」で検索するとヒットするようになりました。

 次に、「ななかまど」さんにリンクして頂きました。ビックリしました。同名のHPがあるのか?「名張」? クリックして自分のHPが現れたときには「本当だ!」感謝、感激です。その後あわててバナーを作成いたしました。

この1ヶ月、嬉しい「予想外」の連続で、感謝、感激です。

2005.05.28
 本屋で「鳥居のある風景」というタイトルの写真集が目に入った。(作者は外国の方だった。)少し動揺した。
 自分のHPのコーナー名は「鳥居の風景」である。司馬遼太郎の「空海の風景」が頭の隅に残っていたため、ひらめいたネーミングではないかと、ページを作ってから思ったものだ。
 では、「鳥居色々」「狛犬色々」「手水舎色々」は?
もちろん、島倉千代子の「人生いろいろ」です。(カラオケも唄えるよ♪)


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